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ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

霜田文子展「遡行」 新潟市豊栄地区公民館区民ギャラリーで開催中

2019年10月23日 | 展覧会より





10月22日より11月10日まで新潟市北区豊栄地区公民館区民ギャラリーで游文舎企画委員・霜田文子の個展が開催されています。今展では和紙を線香で燃やし、紙片をコラージュする、独自のバーントドローイング作品を展示しています。ぜひご高覧下さい。10月27日午後1時よりギャラリートークがあります。




遡行―Drawing maps of my mind―

 小学生の時、初めて地図帳を手にしてすっかり虜になった。
現時点の地図だけではなく、地形の変化や都市の変遷、様々
な統計等、地図帳がもたらしてくれる情報に夢中になり、日
がな一日、中庭の地面にぐるぐると地図を描いていた。想像
の中の街や道はどんどん延び、広がり、山や川は周縁に追い
やられていく。高度経済成長期の、地方に生まれ育った子供
の夢と憧れが詰まった地図だった。
 戦争や大災害で国境や地形は大きく変わる。地図の下には、
夥しい数の“地図”が地層のように堆積していることに気づ
くのに時間はかからなかった。その頃にはもう、地図を描く
ことはなかったけれど。
 2010年、游文舎小谷文庫の中から、川田喜久治氏の写真集
『地図』(1965年刊)を発見した。原爆ドームの壁の“しみ”
に、戦争という暴力の縮図を見、風化しかけた深層の“地図”
を抉り出すかのような川田氏の写真には、“しみ”がさらに浸
潤し、増殖する幻視の光景さえ写し込まれていた。見ている
うちに私は、地図を描いていた子供に立ち帰っていた。
 和紙を線香で焼き切り、紙片を貼り重ねる―「描く」とい
うにはあまりにも迂遠な方法は、しかし、世界や自身の歴史
や記憶を遡るのに十分な時間を与えてくれる。
 1940年代、何年も掛けてミシシッピ川を踏査し、幾筋もの
流路の変遷を一つの地図に重ねて描き出した、ハロルド・フィ
スクへのオマージュでもある。(霜田文子)

銀座ギャルリー志門で「毒立記念日」

2019年07月16日 | 展覧会より

初日のパーティで(奥は近藤武弘氏の、手前は星野健司氏の作品)

7月1日から6日まで、東京銀座のギャルリー志門で「毒立記念日」展が開かれた。出品者は新潟の阿部克志、近藤武弘、霜田文子、高橋洋子、星野健司の五氏。このグループ展は今年1月に新潟のNSG美術館で開かれた「毒立記念日」の延長戦であり、今年9月に游文舎で予定している「毒素の秋Ⅴ」の前哨戦でもある。五氏のうち四氏は「毒立記念日」に出品しているし、「毒素の秋Ⅴ」への出品を予定している。
 阿部克志の作品は版画であるが、最近はリトグラフの手法も扱っていて、刻むのではなく、奔放に描くことを志している。自由で大胆な描線は作品に深みを与えている。

阿部克志氏の作品

 霜田文子は新作を含めたボックス・アート作品を出品。間歇的に制作されている作品はそのたびに新しい地平を開いているように思われる。今度の新作も刺激的で、痙攣的な美しさを誇っている。

霜田文子氏の新作ボックス・アート

 9月の「毒素の秋Ⅴ」を楽しみに待つ材料がそろった。

高橋洋子・霜田文子二人展「既視から未視へ」(続)

2019年05月03日 | 展覧会より




以上は高橋洋子の作品。

高橋洋子も霜田文子も、一方は版画、一方は油彩の違いはあるが、どちらも気味の悪い卵のようなものをモチーフとすることがある。卵を体内に持たない男性には思いもよらないモチーフであって、それは内臓感覚をとおして捉えられた「心にひそむ闇」なのだ。男性には到底表現不可能な領域であり、この二人展はそのような世界を執拗に見せつけてくる。
「心にひそむ闇」は二人に共通する要素である。高橋洋子はカラスの死骸や動物の頭蓋骨をモチーフにすることもあり、霜田文子の卵は始原的な気味の悪さのようなものを漂わせている。二人とも極めて内向的な作家であり、内向的であること自体が、暗いもの、気味の悪いもの、まがまがしいものを要求するのだと言ってもよい。
二人の違いは二人が追求する時間軸の相違にある。高橋洋子の作品はいつでも死のイメージに支配されていて、そこには終末論的な世界観が感じ取れる。一方、霜田文子の原始のスープに漂う卵たちは、始源の生命のイメージを持っている。だから二人の世界観は違う方向を向いているように見える。
しかし、終末論的なイメージも始源論的なイメージも、どこかで通底している部分があり、二人の世界観にそれほど大きな違いはないのかも知れない。霜田文子にとって始源の生命のイメージが必ずしも肯定的に捉えられてはいないからである。それらの作品が一貫して、ドイツ語で無精卵を意味する〝風の卵〟と名付けられていることにその理由を見出すことができる。
 高橋洋子の死屍累々たる終末のイメージも、霜田文子の生命を孕むことのない卵の増殖という始源のイメージも、結局は世界に対する拒絶の意志を共有しているのである。高橋洋子は終末的な死を希求し、霜田文子は始源的な死を希求している。
(游文舎企画委員 柴野)


高橋洋子・霜田文子二人展「既視から未視へ」 南魚沼市池田記念美術館で開催中

2019年04月29日 | 展覧会より

南魚沼市浦佐・池田記念美術館で高橋洋子・霜田文子二人展「既視から未視へ」が開催されています。写真は霜田文子油彩とバーントドローイング。高橋洋子銅版画と造形作品は追ってご紹介します。ぜひご高覧下さい。会期は4月27日から6月3日まで。水曜日休館(5月3日は開館)