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ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

木下晋展「明日へ」 ギャラリーみつけ(9月3日~10月2日)

2022年09月05日 | 展覧会より






ギャラリーみつけで木下晋展「明日へ」が始まった。「鉛筆画の巨匠」として知られるが、入り口から10点あまり、滅多に見る事のなかった油彩画が並ぶ。氏は油彩画で自由美術展に史上最年少の一六歳で入選した実績を持っており、20代までの作品だが、デッサン力、マチエール、迫真的な筆力に圧倒される。それでも1970年代にニューヨークに行きカルチャーショックを受け方向転換を迫られる。以降、独自の鉛筆画の世界を築き上げたのだが、作品が放つ「闇と光」「崇高さ」などには、単なる技術的な転向だけではないことを思い知らされる。
ギャラリーみつけでの展覧会初日、木下氏のトークが行われた。氏は瞽女・小林ハルさんと出会い、対話するうちに光を失った人の会話の中に「色」を感じ、その世界を知りたいと思ったと語った。それを描くのは10Hから10Bまで22段階の鉛筆だ。筆圧等で描き分けるのではない。絵具の色彩と同じように鉛筆を使い分けるのだ。それが闇をいっそう深く、光をより輝かせる。さらに氏は「知らない人は描けない」という。その内面に関心を持てなければ描く意味がないからだ。だからこそ、その画面には真摯な畏敬の念が込められている。

木下晋氏には2008年5月、游文舎開館記念企画として、公仁会ライフセンター内の旧游文舎ギャラリーを飾っていただいている。初めて実物作品を見た時、密度ある鉛筆画面に驚嘆しつつも、モデルの異様さに一瞬言葉を失ったことを告白しなければならない。老い、病み、崩れた顔や肉体を執拗に克明に描き出す。醜いと言ってもよい。しかし目を背けることを許さない。なぜそれらを描いたのか、描かなければならなかったのかを、彼らの目が、背中が訴えかけてくるのだ。モデルに対する価値の転倒を促したのが(今展には出品されていないが)小林ハルさんを描いた《102年の胎内回帰》であり、桜井哲夫さんを描いた《祝福》だった。
そういえば俳優で語り芸人でもあった小沢昭一は、自身について「芸能者として不適性」と言い、「クロウト」を訪ね歩いたという。小沢の言う「クロウト」とは何か? 本来芸能を司っていたのは、河原乞食のように、そうしなければ生きていけない人たち、命がけで芸を演じ、糧を得ていた人たちだ。生後間もなく視力を失い瞽女にならざるを得なかった小林ハルさんも、ハンセン病で、詩人になった桜井哲夫さんもまさに「クロウト」だ。そして木下氏もまた、絵描きになるしかなかった人だと思う。その眼差しは孤独の淵源に迫り、共振し、神々しいまでの画面へと転化し、天啓のように《祝福》というタイトルが与えられたに違いない。

今展で初見の作品では、2016年制作の《風》にそこはかとない情感を感じた。そして直前まで描かれていたらしい最新作《夢想》は、パーキンソン病を患う妻の、閉じられた眼だけを大きく描いたものだが、静謐な空間に、実は膨大な記憶を宿した時間を感じる、感動的な作品だった。

「芸術は呪術である」――「岡本太郎展――太陽の塔への道」

2021年03月01日 | 展覧会より


万代島美術館で「岡本太郎展――太陽の塔への道」を観た。入ってすぐに太陽の塔内部と「生命の樹」の模型が展示されている。まばゆいばかりの光の中、大きな樹を見上げると、生命の進化を表わす生き物がびっしりと実っている。万博閉幕後に扉を閉ざして放置され、ほとんど廃物同様になっていたのだという。
会場はその後、単独の絵画、立体、写真と続き、再びエスキースなど太陽の塔制作に関わる展示となり、塔地下の復元展示で締めくくられている。



「地底の太陽」は圧巻だった。「いのり」という呪術空間の中心だったが、万博後行方不明になったままで、当時の記録を元に復元されたという。黄金の巨大な仮面と、それを取り巻くような世界の仮面や神像たちが不敵に、大胆に、時にユーモラスな表情を見せる。生き生きとしている。実は岡本の最も好きなものたちが集められたのではないかと思ってしまった。そして胎内巡りをするかのような瞑想空間である地下展示のジオラマは、随分縮減されているにも拘わらず、地底で蠢くエネルギーを想像させた。ここは畏れと神秘の中で、戦いも信仰も一続きのうちにある古代の生の場そのものなのだろう。
1970年大阪万博から半世紀、すでにしてこれほどの空間アートが達成されていたとは――。もうこの時点で現代アートは出尽くしていたのではないか、とさえ言いたくなる。塔内部も展示空間(パビリオンの一つ)であったと知ったのは最近のことだ。観た人もたくさんいたはずなのに、それを聞く機会がなかったのは迂闊だった。あるいは覚えていなかっただけかもしれない。大阪万博は、地方の高校生になりたてだった私には遠いことだった。1964年の東京オリンピックは素朴に楽しんだけれど、その勢いに乗って地方を置いてきぼりにしたまま大はしゃぎでお祭り騒ぎしているようで、ほとんど目を向けていなかった。だから「太陽の塔」は「お祭り広場」という白々しい祝祭空間にふさわしいキッチュなこけおどしのモニュメントにしか思えなかったのだった。
岡本太郎に目を向けるようになったのは縄文の発見者としてである。縄文土器と言えば、東京オリンピックと同じ1964年に開催された新潟国体の炬火台のデザインが新潟県で発掘された火焔土器であり、子供心にも「美」とは違う、感動させるものがあると思っていた。だからずっと後に、それを言葉で表現した文章に出会った喜びは大きかった。パリで文化人類学を学んだ岡本は、体系づけられた芸術論や美術史が西欧の目だけから見た世界であり、彼らの「時間」で捉えられた流れにしかすぎないことをいち早く看破している。同時に日本の美の基準も、急速な近代化の中で西欧文化へのコンプレックスから急ごしらえされたものでしかないことも指摘する。縄文土器を初め、世界各地のプリミティブアートに向ける目は、日本も西欧も相対化出来る視線から生まれたものだ。
今展で観ることができたのは、もちろん岡本のほんの一部でしかないが、それでもそのスケールの大きさは十分に感じ取ることが出来た。岡本についてのプロフィールではよく、絵画、彫刻、陶芸、文章など“幅広く多才”と紹介されているが、それらはジャンル分けするのではなく全てがつながっていて、充満した変幻自在の一つの球体のように思う。だがそんな中で絵画にどこか窮屈さを感じてしまった。欠点をあげつらおうというのではない。批判のためではない。岡本の作品を技術の巧拙とか一般的な美の基準で捉えようなどとも思っていない。それだからこそむしろシュルレアリスムとも抽象表現主義ともつかない油彩画を観ていると、そこだけ借り物のようで違和感がある。


      <エクセホモ>1963年

1960年頃のいくつかの作品の前には「芸術は呪術である」と書かれたパネルがあり、まるで何かが降りてきてそのままキャンバスに描きつけられたような作品が並んでいたが、あれほどに原始から未来までの長大な時空間の中で美術を捉えているにも拘わらず、それから見ればほんの僅かな歴史しか持たない油彩画の、しかも直近の美術潮流の中に絡め取られている矛盾を見たような気がしたのだ。そこには直接西欧の美術潮流に浸かった者として、単に西欧に追随する――戦前も戦後も自己批判することなく――日本の美術界へのもどかしさもあったかもしれない。葛藤もあっただろう。しかし「残ったものよりも消えた世界の方がどの位い大きく無限の広がりをもって躍動していたか」「惜しみなく消えていった文化の巨大さ、高貴さ」(『美の呪力』1971年)という岡本のことである。前衛とは、直近のものを超える程度のものではないことは自身が最もよく知っていたはずだ。作品タイトルにもなっている「明日の神話」こそ、逆説的な前衛性を物語ってはいないだろうか。


      <いのり>

ところで私は地下展示のジオラマの中でも、無数の仮面が吊されている<いのり>というスペースが特に好きだ。仮面について岡本は次のように述べている。
「人間というのは根源的に矛盾的存在なのである。自分と自分を超えたものとを、いつも自分の内にもち、そしてその双方をしっかりとつかんでいなければ本当には生きられないのだ。・・・・・・矛盾を克服するためにさらに矛盾した様相で身をよそおい、一だんとそれを深める。仮面――。人間存在の矛盾律、その言いようのない二重性を克服するために仮面が存在しているとしか思えない。」(『美の呪力』)
仮面は神や祖霊など超自然的なものと結びつく手段であると共に、岡本自身が密かに身につけ、自己の内部の矛盾を克服するためのものでもあったのだろう。そうして様々な仮面をつけながら自分ではない、自分以上のものを創り出し、別の次元へと引き上げていこうとしたのではないだろうか。
「芸術は呪術行為である」とは岡本が崇敬するピカソの言葉にもある。絵を描くのは美的行為ではなく、世界と自分とを取り次ぐ一種の魔術であるとピカソは捉えていた。しかし西欧美術の行き詰まりの中で原始美術に目を向けたピカソは、原始の人々の、世界との交信・対峙の手段としての遺物を、換骨奪胎して自身の芸術創造に生かしたのではなかったか。ピカソの技術に及ばないことを自覚していた岡本は、しかし、ピカソよりもはるかに古代の精神を引き継いでいたと思う。だから岡本にとっての<ゲルニカ>である<明日の神話>は、メキシコの壁画のような巨大な壁画でなければならなかったし、それと対をなす「太陽の塔」の太陽は、彼を惹きつけてやまないオルメカ時代(メキシコの古代文明)の巨石の顔と重なって見えるのである。(霜田文子)

アール・ブリュット―日本人と自然―(2)

2020年12月31日 | 展覧会より
今年は東京芸大美術館で大規模なアール・ブリュット展があった。また東京都渋谷公園通りギャラリーで「満天の星に、創造の原石たちも輝く」という賑々しいタイトルの展覧会もあった。残念ながらこの状況下で出かけられなかったが、チラシを見たり、話を聞くと展示の仕方などにも凝っていて、(想像していたとおり)素晴らしい展覧会だったらしい。游文舎などで「無心の表現者たち」展をしてから11年になるが、その頃に知った作家たちも存在感を放っている一方で、新たな作家もたくさんいて、その手法も様々で、奥深さ、拡がりを感じないではいられない。今展でも初めて見る作家・作品の、思いがけない表現に出会うことが出来た。しかもこうした展覧会を観る度ごとに、展示方法が工夫され、洗練されていることを感じる。
ところで今展で高橋和彦さん、山崎健一さんが亡くなられていたことを知った。


山崎健一さん(1944~2015年 新潟県)の作品


高橋和彦さん(1941~2018年 岩手県)の作品

のどかな、どこにでもある風景なのに、点描で埋め尽くされ、小さな人物が不思議な存在感を見せる高橋さんの作品。方眼紙に製図器を使い、緻密な幾何学的画面ながら、夢のような世界を展開していく山崎さんの作品。こうしてまとまって保管され、今も見る機会があることを幸運に思う。
 初めて見る印象に残った作品を幾つか紹介したい。



藤橋貴之さんの絵を見たとき、その画材が色鉛筆であるとはとても想像がつかなかった。鮮やかでマットな色面は、ちょうど切り絵のように見える。170色の色鉛筆を強い筆圧を込めて丹念に塗り重ねて描くそうだが、執拗に塗り重ねる行為への集中が、風景画にあるべき陰影や奥行きを無視し、結果として大胆でシャープな画面の出現へとなるのだろう。しかしそれらの絵は、「絵画は・・・ある順序で集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを、思い出すべきである」という理論を持つモーリス・ドニ等、ナビ派の画家たち、あるいは切り絵をも手がけたアンリ・マティスを思い出させる。



平野智之さんの「美保さんシリーズ」という作品はアニメのようで、連続したテキスト形式を採るとおり、そこには明確なストーリーがある。どこかとぼけた、不条理なとも言いたくなるストーリーにふさわしい、画面の切り取り方、絶妙な余白の使い方が心憎いばかりだ。



与那覇俊さんの2点の大きな作品――接ぎ剥いだのだろうか、初めからその大きさだったのだろうか。とにかく世界の全てを描ききれないではいられない様な画面。ちょうど金剛界と胎蔵界の曼荼羅のように、宇宙の真理を表わすかのような目眩くような二つの作品が向かい合って展示されていた。時に感情をぶつけながらも知的で精緻な理論の絵画化とも思える。時間と空間を二次元に還元した時の息苦しいほどの密度と、それを超えた奇妙なカタルシス。作品として昇華された証左ではないだろうか。

とにかく多様だ。健常者が多様性を主張するならば、それと匹敵するほどの多様な個性。アール・ブリュットとはジャン・デュビュッフェが提唱した概念だ。そして彼は、自分がそれと思われるものにふさわしい作品を収集した。自身はアール・ブリュットとは自分のコレクションしたもののみに使うようにと言っていたという。これだけ世界に周知された今、作品の素晴らしさとは別に、なぜそのように言っていたのか考えてみたいとも思う。


本当に大変な年が暮れようとしています。みなさまよいお年をお迎え下さい。游文舎の活動につきましてもどうぞよろしくお願いいたします。


世界でたった一つの作品たち~アール・ブリュット―日本人と自然―より~(1)

2020年12月16日 | 展覧会より


支持体はちゃぶ台だ。黄緑がかった緑色の油粘土で作られた都市のジオラマが、ちゃぶ台ごと展示されている。空想なのか現実の光景なのか、あるいはそれらが混じり合っているのかわからないが、観ているうちにいつの間にか小さな世界の住人になって、ハイウェイを走り、電車に乗り、通りを歩き、木陰に佇んでいる気分になる。そしてビルの窓からこれと同じ光景を見るだろう。作者は上村空さん。空――「ひろし」と読むのだそうだ。何とすてきな名前だろう。空さんはまさに、空から街を見下ろすような視点で、このようなジオラマを作り続けている。ところがこんなに素晴らしい世界なのに、完成すると惜しげもなく壊されてしまうという。空さんにとってはあくまでもその時々のちゃぶ台の上の工作なのだから。世界にたった一つの作品はまた、たった一瞬の作品でもあるのだ。
直線や緩やかなカーブのハイウェイや線路、高いビル群と、街路樹や公園、小さな家並み――最先端の都市のようでありながら、どこか懐かしさを覚えるのは、面取りしたような立体と、丸っこい木々のせいだろうか。ちょっとユーモラスで、暖かな夢の世界に私たちを誘ってくれる。12年前に游文舎などで開催した「無心の表現者たち」展で辻勇二さんの鳥瞰図のような作品を観たし、今展の戸舎清志さんの作品もまた、町を俯瞰的に描いた作品だ(これらもとてもいい作品だったのは言うまでもない)が、立体作品を観るのは初めてだ。このちゃぶ台には作られては壊されたいくつもの街の前史がある。そして今眼前にある街も、二度と見ることは出来ないだろう。まさに僥倖なのだ。

猪爪彦一・季村江里香二人展「そこに在る物語」  長岡市・たびのそら屋 5月11日~24日

2020年05月19日 | 展覧会より




久しぶりに市外の展覧会に出かけた。たびのそら屋さんで、猪爪彦一さんと季村江里香さんの二人展である。
壁面も空間もめいっぱい使った会場はその面積以上に見応えがあった。
游文舎での季村さんの個展から一年近くたつ。季村さんとの出会いはその数年前、そして「毒素の秋」展の常連として、年々、作風は多彩に展開し、目を瞠るほどに深さを増していった。さらに昨年秋には金沢のアートフェスティバルでも会場を見事にまとめていた。
そのたびに大きく成長する季村さんの作品は、今展でもそれぞれが強い意志を持ちながら、全体として人間の深淵に呼応するように語りかけてくる。細やかな手作業は、祈りや呪術行為をも思わせた。顔だけではない、手や足といった部分の一つ一つが物語の入り口となり、独特のテクスチュアーを引っ掻いたような描線に思考の過程を覗き見る。
そして猪爪さんである。いつもの静かな中世風の風景もよく見ると、ひょいと日常を跳越えている。そんな場面に季村さんの作品が紛れ込んでいても不思議ではない。そして必ず新しい面を見せてくれる。





鳥と、もうひとつ、一体何?会場をぐるぐる回ってはここに戻ってみる。どうにも気になる作品だ。



5月の風の中で、見る人それぞれが日常に潜む、あるいは日常を忘れて、物語を思い巡らす場所になることだろう。