
私と同じように元の会社から独立し、個人として生計を立てているOさんという人がいる。
彼は昔デザイナーを目指して勉強し、パッケージ会社のデザインスタッフとして入社した。
しかしデザイナーにはある種センスが不可欠である。彼のデザインは世の中に通用しなかったらしい。
その結果、デザイナーとしての道はあきらめ、版下製作を専門として仕事をするようになった。
版下も写植の時代からパソコンでの製作へ移行して行く。彼は自費でパソコンを買い、版下製作の
スピードアップとデーター管理を追及していった。やがてウインドウズからマックへと移行して行く。
やはり自前でPCやプリンターを揃え、デザイン及び版下の管理の全てをまかされやるようになった。
しかしアナログな経営者から見れば「PCを操作しているだけで生産性は少ない」と思われており、
彼の評価は低く扱われ、年功序列の社員の給与体系から外し出来高制の移行を言い渡された。
それ以来彼は個人事業主として版下製作の仕事を続けている。
版下の仕事は正確さや緻密さを必要とし、一つ一つの作業を順を追ってこなして行かねばならない。
大勢人がいるところだと気が散るからと、会社のそばのマンションに一人閉じこもって作業をしている。
部屋は乱雑に物が置かれどこに何があるかわからない。しかしPC内のファイル管理は徹底しており、
営業担当別、得意先別、年代別ですべて管理され、過去のどんなデーターも呼び出すことができる。
仕事の性格上、大量の仕事が入っても手を抜くわけにいかず必然的に時間でカバーすることになる。
忙しい時は何日も会社に泊まり込み、黙々と作業をこなしていたようである。
根をつめて頑張っても、発注した側からすれば正しくやって当たり前、納期に遅れたり、ミスがあれば
それは全て彼の性になってしまう。そんな彼の努力や苦労を理解してくれる人は少なかったようだ。
彼は自分の私生活面はルーズであるが、仕事の面では手を抜かず丁寧な仕事をする。
デザイナーから上がったデザインに、表示事項を書き込み、紙、紙器、シール、フィルム等に合わせ、
位置合わせのトンボを付け、それぞれの印刷業者に合わせた版下を作って手渡していく。
原材料等の表示事項の法令的な知識も豊富で、彼に任せておけば仕事は滞りなく流れていく。
営業担当は自分の不手際からの仕事の遅れも彼に押し付け、時間短縮を強要してはばからない。
そこでまた徹夜の作業が発生する。しかし彼はがまん強く、そんな事も対応してくれていた。
時に営業担当者の理不尽さに不平を言いつつも、しかし一人黙々とやっていたように思う。
彼が何時からうつ病を発症したのかは解らないが、病院に通い薬を服用していることは知っていた。
たぶん、出口のない仕事環境の中で、理解者が少なくストレスを溜めて行ったのが原因であろう。
彼は57歳で独身である。唯一の楽しみは仕事を終えてからの、一杯飲み屋でのお酒であろう。
彼とは何度か飲みに行ったことがある。いつも冷酒を注文する。升の中のコップに酒が注がれると、
お酒がコップから溢れ升にも満ちる。そのコップに口を持って行き、いかにも美味しそうに飲んでいた。
約2時間で3杯の酒を飲み、ふらふらとした足取りで家路につく、それが彼の生活パターンであった。
しかし独立してから彼の立場は一層弱くなり、無理な要求に次第にうつ症状も顕著になって行った。
そして、それにつれて酒量も上がり、時には昼間から酒を飲むようになっていったようである。
薬の性か、酒の性かわからないが、昼間からろれつが回らないことも多くなったように聞く。
そんな彼が先日、救急車で病院に運ばれ、そのまま1週間の検査入院ということになったらしい。
話によれば、突然胸が苦しく耐えられなくなって、自ら救急車を呼び病院に搬送してもらったようだ。
見舞いに行った人からの話では、何本もの点滴につながれ集中治療室に寝かされていたという。
医者から「最近、何にかひどいショックを受けたことはなかったか?」と質問されたらしい。
版下製作の納期に追われ、それができないため徹夜作業が続き、疲労困憊していたらしい。
それに加え、彼のうつ症状とアルコール依存が重なり、倒れたのではないかと推察することができる。
彼が倒れたことで、会社は主要な部門を彼一人に依存しきっていたことをおもい知ることになった。
彼以外では今までの仕事の経過ややり方が分らず、一時的に社内は混乱を起こすことになった。
出入りの他のデザイナーに頼んで、彼のPCを操作してもらい急場を回避しようとしている。
オーナーにすれば「仕事を与えてやっているのに、それを全うできないのは自己管理が悪いからだ」
ということになる。生活が不規則、酒や煙草が止められない。そんな者に仕事を回すわけにいかない。
今は彼の版下作業を大幅に減らし、別の下請け先に回すことを考えているようである。
自業自得なのか、それとも会社の軋轢に押しつぶされた結果なのか、一概には言えないように思う。
世の中は辛いこと、やりきれないこと、不条理なことなどストレスフルな事が毎日のように迫ってくる。
その中にさらされて、自分の適応能力をはるかに越えるようなストレスは、過度の緊張状態に陥らせ、
ついには疲弊させてしまうこのであろう。彼は版下製作の作業が好きあり、適性があったように思う。
一人で黙々とこなすことにストレスは感じなかったはずである。しかし人間関係は不得意であった。
彼は生真面目で優しく、人から頼まれると「イヤ」とはいえない性格である。人に親切にすること、
人に頼まれることは全て受けて立つことで、人間関係を良好にしようとしたのではないだろうかと思う。
そんなことが、自分の中で持ちこたえられずに、次第に酒に逃げていったようにも思う。
先日、彼の行きつけの飲み屋に行ってみた。「ここに良く来るOさん、今、入院しています」と言うと、
「あっ、そうですか、名前は知らないけど、小柄で、いつも銀杏を頼むお客さんですよね?」
「そうかな?、彼は銀杏をよく頼むのですか?」
「来れば必ず銀杏を注文するんですよ。だからこの店では銀杏爺さんと呼んでいるんですよ」
彼は楽しいお酒だったと、女性店員が口をそろえて言う。昼間、一人きりで仕事をする彼にとって
人と話す機会は少ない。だから飲み屋で店員さんと喋ることでバランスを取っていたのかもしれない。
仕事を終えて、お酒を飲むひと時、取り留めもない会話、彼にとっては至福の時であったのだろう。
こんなに気弱で優しく親切な一小市民がちゃんと生きていけない現代社会、人に優しくない会社、
何かが、どこかが、狂っているようにも思ってしまう。
追記
彼の入院はさらに一週間延びて、お盆前の退院になるらしい。
退院後もお盆休みがあって、結果3週間の休業になってしまう。個人商売の彼にとっては収入減も
さることながら、その間に失った信用は大きなダメージになるように思う。
彼は昔デザイナーを目指して勉強し、パッケージ会社のデザインスタッフとして入社した。
しかしデザイナーにはある種センスが不可欠である。彼のデザインは世の中に通用しなかったらしい。
その結果、デザイナーとしての道はあきらめ、版下製作を専門として仕事をするようになった。
版下も写植の時代からパソコンでの製作へ移行して行く。彼は自費でパソコンを買い、版下製作の
スピードアップとデーター管理を追及していった。やがてウインドウズからマックへと移行して行く。
やはり自前でPCやプリンターを揃え、デザイン及び版下の管理の全てをまかされやるようになった。
しかしアナログな経営者から見れば「PCを操作しているだけで生産性は少ない」と思われており、
彼の評価は低く扱われ、年功序列の社員の給与体系から外し出来高制の移行を言い渡された。
それ以来彼は個人事業主として版下製作の仕事を続けている。
版下の仕事は正確さや緻密さを必要とし、一つ一つの作業を順を追ってこなして行かねばならない。
大勢人がいるところだと気が散るからと、会社のそばのマンションに一人閉じこもって作業をしている。
部屋は乱雑に物が置かれどこに何があるかわからない。しかしPC内のファイル管理は徹底しており、
営業担当別、得意先別、年代別ですべて管理され、過去のどんなデーターも呼び出すことができる。
仕事の性格上、大量の仕事が入っても手を抜くわけにいかず必然的に時間でカバーすることになる。
忙しい時は何日も会社に泊まり込み、黙々と作業をこなしていたようである。
根をつめて頑張っても、発注した側からすれば正しくやって当たり前、納期に遅れたり、ミスがあれば
それは全て彼の性になってしまう。そんな彼の努力や苦労を理解してくれる人は少なかったようだ。
彼は自分の私生活面はルーズであるが、仕事の面では手を抜かず丁寧な仕事をする。
デザイナーから上がったデザインに、表示事項を書き込み、紙、紙器、シール、フィルム等に合わせ、
位置合わせのトンボを付け、それぞれの印刷業者に合わせた版下を作って手渡していく。
原材料等の表示事項の法令的な知識も豊富で、彼に任せておけば仕事は滞りなく流れていく。
営業担当は自分の不手際からの仕事の遅れも彼に押し付け、時間短縮を強要してはばからない。
そこでまた徹夜の作業が発生する。しかし彼はがまん強く、そんな事も対応してくれていた。
時に営業担当者の理不尽さに不平を言いつつも、しかし一人黙々とやっていたように思う。
彼が何時からうつ病を発症したのかは解らないが、病院に通い薬を服用していることは知っていた。
たぶん、出口のない仕事環境の中で、理解者が少なくストレスを溜めて行ったのが原因であろう。
彼は57歳で独身である。唯一の楽しみは仕事を終えてからの、一杯飲み屋でのお酒であろう。
彼とは何度か飲みに行ったことがある。いつも冷酒を注文する。升の中のコップに酒が注がれると、
お酒がコップから溢れ升にも満ちる。そのコップに口を持って行き、いかにも美味しそうに飲んでいた。
約2時間で3杯の酒を飲み、ふらふらとした足取りで家路につく、それが彼の生活パターンであった。
しかし独立してから彼の立場は一層弱くなり、無理な要求に次第にうつ症状も顕著になって行った。
そして、それにつれて酒量も上がり、時には昼間から酒を飲むようになっていったようである。
薬の性か、酒の性かわからないが、昼間からろれつが回らないことも多くなったように聞く。
そんな彼が先日、救急車で病院に運ばれ、そのまま1週間の検査入院ということになったらしい。
話によれば、突然胸が苦しく耐えられなくなって、自ら救急車を呼び病院に搬送してもらったようだ。
見舞いに行った人からの話では、何本もの点滴につながれ集中治療室に寝かされていたという。
医者から「最近、何にかひどいショックを受けたことはなかったか?」と質問されたらしい。
版下製作の納期に追われ、それができないため徹夜作業が続き、疲労困憊していたらしい。
それに加え、彼のうつ症状とアルコール依存が重なり、倒れたのではないかと推察することができる。
彼が倒れたことで、会社は主要な部門を彼一人に依存しきっていたことをおもい知ることになった。
彼以外では今までの仕事の経過ややり方が分らず、一時的に社内は混乱を起こすことになった。
出入りの他のデザイナーに頼んで、彼のPCを操作してもらい急場を回避しようとしている。
オーナーにすれば「仕事を与えてやっているのに、それを全うできないのは自己管理が悪いからだ」
ということになる。生活が不規則、酒や煙草が止められない。そんな者に仕事を回すわけにいかない。
今は彼の版下作業を大幅に減らし、別の下請け先に回すことを考えているようである。
自業自得なのか、それとも会社の軋轢に押しつぶされた結果なのか、一概には言えないように思う。
世の中は辛いこと、やりきれないこと、不条理なことなどストレスフルな事が毎日のように迫ってくる。
その中にさらされて、自分の適応能力をはるかに越えるようなストレスは、過度の緊張状態に陥らせ、
ついには疲弊させてしまうこのであろう。彼は版下製作の作業が好きあり、適性があったように思う。
一人で黙々とこなすことにストレスは感じなかったはずである。しかし人間関係は不得意であった。
彼は生真面目で優しく、人から頼まれると「イヤ」とはいえない性格である。人に親切にすること、
人に頼まれることは全て受けて立つことで、人間関係を良好にしようとしたのではないだろうかと思う。
そんなことが、自分の中で持ちこたえられずに、次第に酒に逃げていったようにも思う。
先日、彼の行きつけの飲み屋に行ってみた。「ここに良く来るOさん、今、入院しています」と言うと、
「あっ、そうですか、名前は知らないけど、小柄で、いつも銀杏を頼むお客さんですよね?」
「そうかな?、彼は銀杏をよく頼むのですか?」
「来れば必ず銀杏を注文するんですよ。だからこの店では銀杏爺さんと呼んでいるんですよ」
彼は楽しいお酒だったと、女性店員が口をそろえて言う。昼間、一人きりで仕事をする彼にとって
人と話す機会は少ない。だから飲み屋で店員さんと喋ることでバランスを取っていたのかもしれない。
仕事を終えて、お酒を飲むひと時、取り留めもない会話、彼にとっては至福の時であったのだろう。
こんなに気弱で優しく親切な一小市民がちゃんと生きていけない現代社会、人に優しくない会社、
何かが、どこかが、狂っているようにも思ってしまう。
追記
彼の入院はさらに一週間延びて、お盆前の退院になるらしい。
退院後もお盆休みがあって、結果3週間の休業になってしまう。個人商売の彼にとっては収入減も
さることながら、その間に失った信用は大きなダメージになるように思う。
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