60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

散歩(横浜市青葉区)

2011年09月02日 08時40分00秒 | 散歩(1)
子供の頃の一番楽しかった思い出は、毎年春休みと夏休みに母の実家に遊びに行ったことだろう。
蒸気機関車に引かれた鈍行列車は瀬戸内海を右に見ながらひた走る。乗って30分も経つと、顔が
青ざめて吐き気がしてくる。乗り物酔いは何時ものことで、母は用意してきた新聞紙を渡してくれる。
トンネルを入る寸前に汽笛がなり、その合図で乗客は一斉に窓を閉める。しかし、列車の連結部や
窓の隙間から容赦なく煙が入り、車内に充満してくる。トンネルに入る度に息を止めて耐えていた。
私にとっては苦闘の3時間であったが、それでも田舎に行くことの嬉しさには格別のものがあった。

山陽線の富田という駅に降りる。歩くにつれて空気にワラの臭いが漂ってくる。車1台通るのが
やっとの細い道の脇に水路が走り、その石垣に大きなはさみを持った真っ赤なカニが沢山いて、
私達が近づく気配を感じ、いっせいに穴に逃げ込んで行く。実家に近づくにつれ、期待と気恥ずか
しさとが入り混じったような気持ちでドキドキしてくる。田んぼが見え、田んぼの臭いがしてくると、
やがて懐かしい茅葺屋根の母の実家に着く。従兄弟が我々を見つけ家の奥に走り込んでしまう。
やがて家の中から伯母さんが笑顔で出てくる。「よう、きんしゃったの~、・・大きゅうなっちゃって」
我々を迎える時の何時もの挨拶である。従兄弟の何人かが玄関の陰から、我々を覗き見している。
母のそばから離れられない我々兄弟に向って、伯母は「皆で遊び~さんね」と声を掛けてくれるが、
恥ずかしで動くことが出来ない。

私の一つ上にアーちゃん(朝子)という女の従兄弟がいた。彼女が「ひろちゃん相撲を取ろうよ」と、
言うのが切っ掛けになり、それから堰を切ったように従兄弟同士は遊び始める。最初は皆一緒に
かくれんぼだったり、縄跳びだったりするが、やがて歳の近いグループに分かれて遊び始める。
女兄弟のいない私には、女の子も混じっての遊びは新鮮で、それ自体が非日常の世界であった。

家の前に広がる田んぼ、春は一面の菜の花畑、夏は青々とした稲がどこまでも広がる。青く澄んだ
空の高くにひばりが鳴き、あぜ道の水路にはミズスマシが走りオタマジャクシやメダカが泳いでいる。
夜はうるさいほどの蛙の声、それもいつのまにか馴れ、耳には入ってこなくなる。網を持って自分の
背丈ほどもある稲の間の畔道を走ると、やがて小さな川に出る。川の中に入って土手の下に網を
入れてまさぐると、フナやドジョウが泥に混じって網の中で動いていた。セミを獲りトンボを追っかけ、
1日中走りまわっていた。密集した街中で暮らしていた私にとっては、まさにワンダーランドであった。

納屋には雑多な農機具が置かれ、中に馬が繋がれていた。風呂は五右衛門風呂、手押しポンプで
井戸水を足し、釜戸にワラを放り込んで、お湯を暖める。残り火でワラに火がつき一気に燃え盛る。
真っ赤な炎が頬を火照らせ、その勢いに圧倒された。風呂はセメントの厚い縁で、底は鉄釜が剥き
出しになってる。湯船に浮かぶ丸い板の上に乗り、沈めるようにしてお湯に入る。子供の体重では
なかなか沈んでくれず、二人がかりでやっと沈めてお湯につかることができた。夜は布団を並べての
雑魚寝、まくらを投げて騒いでも、田んぼの一軒家では、どんなに騒ごうが誰もうるさくは言わない。
一週間ほどの楽しかった田舎生活は、あっという間に終り、別れの時が来る。従兄弟と「又来るね」、
「又来てね」と、お互いに言葉をかけるものの、無性に寂しくなって泣き声になる。

母の実家の想い出は、湿気を含んだ布団の肌触りと臭い、釜戸で藁が燃える真っ赤な炎、広く広く
広がる空と稲の波、今も私の記憶のファイルにしまいこまれている。その母の実家には、もう50年も
訪れたことはない。今は広い道路が通り、田んぼは無くなり、瀬戸内工業団地の一画になっている。
母の実家は新しい家に建て変わり、もう当時の面影は全く残っていないと聞いている。


駅からの散歩

No.319   横浜市青葉区  寺家ふるさと村            8月28日

何となく夏の田んぼを見たくなって、散歩の案内書から、横浜の「寺家ふるさと村」を選んでみた。
渋谷から東急田園都市線で青葉台駅で降りる。駅周辺は「スクエア」という専門ショップが何棟も
取り囲んで、おしゃれな雰囲気である。駅構内のインストアベーカリーで遅いモーニングを済ませ、
駅前からバスに乗る。約15分で終点の鴨志田団地に着いた。そこから200m程歩くと、目の前に
田園風景が広がり、田んぼの臭いがしてきた。ここは「寺家ふるさと村」、水田と雑木林が織りなす
景観に恵まれていて、昔ながらの田舎の雰囲気が色濃く残っている。地元主体で始まり、市と県と
国との協力を得て、それらが一体となって、この「寺家ふるさと村」は推し進めらてきたと言う。
ここには手つかずの自然があるのでなく、人々の営みの中で守り継がれてきた里山が残っている。
歩くうちに、昔懐かしい昭和の農村にタイムスリップしたような感覚になってきた。


      
                         東急田園都市線 青葉台駅

      
                  青葉台駅前「スクエア」 入口にウォーターカーテン

      

                
                        AM11:00 遅いモーニング

      
                   青葉台北口から鴨志田団地行きのバスに乗る

                
                           鴨志田団地下車

      
                       目の前に田園風景が広がる

      


      
                雑木林の里山を背景に熊野神社の白い鳥居が見える

                  
                             熊野神社

      


      
                             ふる里の森

                


      
                              大池

      


      


      


                


                


                
                         蜘蛛がトンボを捕まえていた

      


                
                         あぜ道に大豆?が植えてある

                


                


      


      


      
                              水車小屋

                 


               


                 


                 
                               コスモス

                 
                             キバナコスモス

      
                      早いところでは稲刈りが始まっている

      
             この土地は大家から無償で借りて、収穫の一部で支払う契約とか

      
               田んぼによってまちまちだが、ここはコシヒカリだそうである


                 


                 
                                浜ナシ

                 


      

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