60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

仏像

2012年03月23日 08時36分32秒 | Weblog
 会社の近くの喫茶店で「作仏展」をやっている。作家は福井市で手づくりの箸や器など、木材食器の制作販売している宮保克行さんという若い職人さんである。たまたまこの喫茶店を訪れ、店の雰囲気が気にいったのか、「自分の作品を展示してほしい」と依頼された。店主は気さくな女性で、その若者の朴訥な人柄に触れて、応援する気になった。仏像はわずか10~15センチ程度の小さなものと、流木に顔を彫った素朴なものとの2種類。町屋の雰囲気を残した小さな喫茶店に、この小さな仏像達は馴染んでいる。
 仕事の合間に作った自分の作品、これから発展させていきたいと言う思いがあるのだろう。まずは下町の住宅地の喫茶店からの手探りのスタートなのかもしれない。値段は付けていないが、欲しい人がいれば販売するらしい。流木を使ったものが4000円、小さな仏像が7000円、大きいものが10000円だそうである。展示して5日の間に7点が売れたそうだ。こけしなどの民芸品と違い一応は仏像である。買う人にどんな動機があるのだろうと思ってみた。そう言えば私もむかし仏像を買った思い出がある。

 まだ独身の時代(40年前)、仕事で台湾に出張したことがある。養豚場やハム工場を見学した後、大きなお土産店に連れて行ってもらった。会社の上司や同僚にはすでに免税ショップで、ウイスキーとブランド品のネクタイを買っていた。私は観光土産的なものには興味は無く、同行者が買物をする間、店内をぶらぶらしていた。その時、彫刻のお土産コーナーの中に一つの仏像が目にとまる。高さ25センチぐらいで、台座に立った日本的な仏様である。荒削りな仏像であるが土産品の中で、それだけが異質な存在感を持っているように感じたのである。それを眺めていると早速店員が寄って来て、たどたどしい日本語で、「どうですか?」と売り込んでくる。値段を聞くと土産品の値段とは違い、結構高い値段を言われる。「それは高い」、そう言ってその場を離れた。

 その仏像に興味を引かれたのには理由がある。それは以前に見た宮本武蔵の映画の中で、何度もの決闘を勝ち抜き、その後の旅の途中に、農家の納屋でひたすら仏像を彫っている場面が印象に残っていた。決闘といえ大勢の人の命を奪い、その弔いの気持ちを仏像を彫るという演出で表現していたのであろう。そのシーンに出てきた仏像と、今見た仏像が繋がりを持ったのかもしれない。「仏像」という私には無縁と思われたものが目の前に、しかも手に届く値段で置いてある。一端売り場から離れたものの、やはりその仏像が気になってしまう。再び売り場に戻って値段交渉をした。幾らで買ったのかは覚えていないが、今の価値で言えば2~3万円ぐらいだったろう。それを手に入れた時から、自分の持ち物の中で一番価値のある「お宝」になった。

 当時私は独身で、東村山市の1DKの木賃アパートに住んでいた。ある時、母が一人で訪ねてきたことがある。部屋を片づけていたのだろう、和箪笥の上に置いていたその仏像を見つけた。仏像を手にして眺めていた母が突然、「これ私に頂戴」と言う。「何と簡単に言ってくれるのだろう。これは俺のお宝なのに・・・・」、そうは思ったものの母の一途な思いが伝わってくる。思わず「良いよ」と言ってしまった。母はその仏像に強い思いが働いたのだろう、有無を言わせぬ強引さで持って帰ってしまった。

 当時母は3番目の息子(私の下の弟)を交通事故で亡くして落ち込んでいた時期である。一緒に暮らしていないから定かではないが、多分毎日を泣き暮らしていたのだろうと想像できる。私のアパートに一人で遊びに来たのも、気晴らしの意味合いがあったのかもしれない。私のアパートを訪れてから何ヶ月も経ってから、母から長い手紙が届いた。・・・貰った仏像は仏壇に置き、毎日俊男(私の弟)の冥福を祈っている。この仏像を眺めて手を合わせていると、そこに俊男がいるように思え、語りかけている私がいる。「なぜ、なぜ、なぜ?、・・・お前は一番の親不孝者だよ」、そんな恨みごとを言っていることもある。しかし穏やかな仏様の顔を眺めていると、心が落ち着き、俊男があの世に旅立ったことが実感できるように思う。・・・・・こんなことが手紙に書いてあった。

 その後何年かして両親は上京して、上野の仏具店で15センチぐらいの阿弥陀如来像を購入した。浄土宗の仏像は本来は阿弥陀如来のようである。多分これは母のたっての希望だったのかもしれない。その後下関の実家に帰った時、母は(私から奪って行った)仏像を持ってきて、「この仏像はあなたに返すから、あなたからお母さん(義母)にあげてくれないだろうか」と言う。前年に私の義父(女房の父)は食道がんで亡くなっている。「連れ合いを亡くした悲しみ、この仏像がそれを癒してくれるかもしれない」、母はそんな思いで私にこの仏像をことづけたのであろう。今その仏像は女房の実家にある。名も知らない台湾の職人の手になった一つの仏像、それは作品として未熟なものであったとしても、見る人の気持ちが通うのであれば、それはただの彫刻ではなくなってしまう。それが仏像なのかもしれない。

 喫茶店に来て並べてある仏像に興味を持った人は、一つ一つを丹念に見て自分の思いが通じたものを買って行くそうである。その顔が故人に似ているとか、笑顔が良いとか、一番幼く可愛いいとか、それぞれにそれぞれの理由があるようである。外国の宗教と違って仏教はいかにも人間臭い宗教である。仏教伝来から1500年、我々は仏像を通して「慈悲の世界」を見ているのかもしれない。

      

      
                        流木に顔を入れた仏像