60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

心がとらわれる

2012年03月16日 09時01分01秒 | Weblog
 東日本大震災から1年、先週はTVも新聞も追想の報道が大半を占めていた。1年前、震災の凄まじさと悲惨な状況を嫌というほど見続けていた。「もう見たくない」、そんな気持ちが働いたのか、TVはあまり見ないようにしていた。それでもTVを付ければ当時の惨状が飛び込んでくる。「この経験を忘れてはいけない」、そんな論調で押し流される街の様子を何度も何度も放映している。そんな報道スタンスは、被害を受けた人々への配慮が欠けているようで、不快感を感じてしまう。

 家族を失い、家を失い、未だに避難所で暮らす人々にとって、忘れようにも忘れようのない現実を、今も生きているのである。出来れば無かったことにしたい。早く忌まわしい記憶を払しょくして普通の生活に戻りたい。そう願っている人々に対して「忘れてはいけない」という言葉は、古傷を無理やり触られているように感じてしまうのではないだろうか。そしてもう一つ、被災したお婆ちゃんが言っていた言葉が気になった。「みんなは頑張れ頑張れと励ましてくれる。自分はこの一年、ずっと頑張ってきた。これ以上どう頑張ったらいいのか・・・」と言う言葉である。言葉をかけることはたやすい。傷つき疲れ果てている人に言葉で励ますより、被災者の悲しみや心の内を聞いてあげることの方が、重要なように思うのである。

 私は過去の忌まわしい記憶を忘れることができるなら、サッサと忘れる方が良いと思う。ダメージが酷ければ酷いほど、そのことは意識から離れない。思い出すたびに暗澹とした気分になり、振り払おうとしても意のままにならないものである。そんなことがトラウマになれば、その人にとってプラスになることはない。首都圏直下型地震が近いと言う報道があったからと言って、そのことを何時も意識に置いて生活することはできないように、人は2つのことを同時並行では考えられないのである(PCで言えばデュアルコアではなくシングルコアである)。一つの憂鬱が意識を占有してしまえば、どうしても普段がおろそかになってしまう。だから憂鬱を吐き出してしまうか、意識の奥深くに押し込めてしまうしかないのであろう。吐き出すにしても、意識下に押しやる(忘れる)にしても、ある程度の時間は必要である。その時間はダメージの程度にもよるが、少し心が軽くなるのは半年から1年半ぐらいのように思う。今日はそんな話を書いて見る。

 昔、一緒に働いたことがある知人が、会社から車で帰る途中で交通事故を起こしてしまった。事故現場は神奈川県の片側2車線の県道である。彼は信号機のない交差点で右折の為に中央線ギリギリで止まり、対向車が通り過ぎるのを待っていた。そこへ2台のオートバイが中央線寄りに反対車線を走って来る。先頭のオートバイが彼の車を避けきれず、接触して転倒した。後を走ってきたオートバイは前方が見えなかったのか、もろにぶつかりボンネットの上を跳ね上がって、何メーターか飛んで落下する。一人は重症、もう一人は打ちどころが悪く死亡してしまった。彼はオートバイが中央線をはみ出して走行してきたと言う。オートバイ側は車が中央線をはみ出して動いたと主張した。その判定はどう決着したのかは覚えていないが、当然車の方が賠償責任を負うことになる。

 彼は死亡した若者の葬儀やお詫びに遺族の家に通う。覚悟はしていたが、家族や親戚からののしられ罵倒される。その後は保険会社が入り賠償交渉になった。しかしその交渉は遅遅として進まない。保険会社は規定に基づいて金額を提示するのだが、相手の親は、「こんな金額で息子の命が償えると思うのか!」と交渉のテーブルにも着かない。そんな膠着状態は何カ月も続く。事故とは言え、自分が原因で人1人が死んでしまったわけである。後悔や自責の念が重くのしかかり、晴れることはない。そんな状態が半年を越す頃、彼はたまらず相手の遺族の元に出向いた。「保険会社の提示金額ではご不満と聞いております。私が持っている預金の全て(約400万)をプラスさせていただきますから、何とか了解していただけないでしょうか」、そんな風に申し出たそうである。その時の相手の返事は、「お前は息子の命を奪っておいて、その責任を金で解決しようとするのか・・・・」と罵倒され追い返されてしまった。彼としては自分の誠意を示そうとしたのであろうが、一面早く楽になりたい一心でもあったはずである。

 その話を保険会社の担当者にしたら、「それは無理ですよ。我々は相手先に通い続けなければいけないけれど、通ったからと言って解決するものではないのです。ある期間が過ぎるまではどうしようもないことなのです」、そんな話をされたそうです。それから一周忌を過ぎ数ヶ月経ってから、あれほど頑なだった相手は嘘のように書類に判子を押したそうである。結局家族が息子の死を受け入れるまでに一年以上の月日を要したのである。

 もう一つ、ある知人(30代で3児の母)が、心の葛藤を何度かのメールに分けて綴ってきた。自分の中で処理ができず、かと言って近親者に心の内を晒すわけもいかない。直接生活に影響のない第三者として私が選ばれたのであろう。彼女の心をとらえて離さなかった事件、メールの一部を抜粋してまとめてみた。

 彼女に小学校に上ったばかりの長男のママ友がいた。愚痴を言い合い、何でも相談でき、子どもを預かったりするほどの親しい間柄である。そんな友人がある時期、同じグループの他のメンバーから疎外されるようになる(女性同士のいじめ?)。そしてそれが原因なのか、元々その気質があったのか、その友人はウツを発症してしまう。彼女はそんな友人の悩みを聞き、相談を受け、子どもを預かったりして助けになろうと努力した。しかしその友人は自殺してしまう。
 その日、彼女の家で遊んでいた友人の子どもを「今からそちらに送リ届けるから」とメールをすると、その友人から「また来週、うめ合せするから、・・・」と返信があった。そしてその子を連れて友人のマンションに行く。しかし部屋には人の気配がしない。子どもが家中を探し、ベランダで首をくくっていた自分の母親を見つけた。当然彼女もその光景を目の当たりにすることになる。「いったい、なにが起こったのか」、彼女にとっては青天の霹靂である。その後この事件は彼女をとらえて離さなくなってしまう。

 なぜ??、私が彼女の子どもを連れて帰るのを知っていたのに・・・・・
 本当に死にたかったのだろうか?
 本当は誰よりも生きたかったんじゃないのだろうか?
 それとも…死にたくて死にたくて…やっと死ねると思ったのかもしれない…
 最後の最後に私に助けを求めたのかもしれない…

 あの日、私が助けても…また同じようなことは起るのかもしれないし、何が何だかよくわからない。
 子供は今まで通り我が家に遊びに来るのに、彼女が存在しないことが不思議でならない…
 自殺したら、魂は安らげるのでしょうか、それとも無になって楽になれるのでしょうか…
 彼女が怖いという感覚は今の私には感じないので、やっぱり楽になったのかなと思ったりする。
 でも…親がまっとうに生きなかったら、その宿命は子に受け継がれると聞いたことがあるから、
 幼い子どもが心配でなりません…
 私には謎ばかりで、本当にわからないことばかりです。

 自分も責めるし、友だちのことも憎んじゃう、
 暇があると考えちゃうから、とにかく忙しい方がいいと思って、
 悩むヒマがないくらい、がむしゃらに毎日を過ごしていこうと思ってみたり…
 でも…亡くなったのが家族だったら、
 もっともっと苦しいんだろうなと思うと、ほっとしたりもするんですよね…

 共感しよう共感しようと振り回され、最後はひどい苦しみの中に突き落とされた感じです。
 彼女は、本当に自分のことしか考えていなかった…
 自分が楽になることばかり、ウツって怖い病気です…
 本当は、亡くなった友だちが憎くて憎くて仕方なくて泣いているんです…どうしても許せなくて…
 助けてあげられなかった罪悪感と、・・・・許せる日は、いつか来るのでしょうか、

 こんなに苦しい思いをなぜしなくちゃいけないのかなと思うと、
 やっぱり彼女を恨んでしまうことも多いのです。
 それも全て私のわがままで…、未熟な心によるものなんだなぁ、とも思ってしまいます。
 彼女とのことを振り返っても、なにか空しいメールのやりとりばかりでした。
 生きているうちに、もっと彼女と色々話しておきたかったなと思ってみたりします。
 私は彼女とつき合いながらも、本当はどんどん嫌いになっていったように思うのです。

 「大丈夫、嫌いになんかならないよ」と約束したのに…
 自分の器の小ささが悲しいですね…
 最後の頃は、いつも彼女に監視されているような…
 いつも見られているような…怖い感覚があり、本当におびえていました…
 今でもその時の恐怖感を夢に見る時があります。
 死んだ人間を嫌いだなんて、なかなか言えなかったのです。

数ヶ月に及ぶメールのやり取りで、直近にこんなメールを貰いました。

 Fさんとメールのやりとりをして以来、ほとんど彼女の事を考えなくなったのです。
 不思議です。あんなにとらわれていたのに、吐き出すことって大事なんだなとつくづく思いました。
 今日、久しぶりにふと考えたくらいで、考えないことのほうが多くなりました。
 しかも、あんなに憎んでいた思いが消えて、気持ちがずっと楽になりました。
 今も、何で彼女がいないのか、不思議だなと思う時はあるのですが・・・・・
 前みたいな気持ちはなく、涙も出なくなりました。
 人は忘れる生き物だからかもしれませんが、自分のことも、責めなくなりました。
 運命を受けとめることができたのかなと思います。
 私と彼女は、性格が全く違っていて、どちらかというと、私が彼女に振り回されていました。
 それでも、彼女といると、本当に楽しかったのです。