60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

ブローカー

2009年07月31日 09時49分48秒 | Weblog
仲間が次々と退職していくと、何かと集まりが多くなる。
職場から解放されると同時に、自分の身の回りに人がいなくなり、寂しくなってくるのであろう。
先日も昔の会社の同僚達が集まった。昔話に花が咲いて、和気あいあいの時間が過ぎて行く。
「これからは定期的に集るようにしよう!」誰かが発案する。「次回は9月だな!」と声が出る。
幹事を決め、連絡方法を確認し、やがてお開きになる。会社組織に対しての帰属が解けると、
やはり皆との繋がりが維持されていることを確認することで、安心感を得るのかもしれない。

こんな席で必ず聞かれることがある。「お前、今、何をしているんだっけ?」という質問である。
私のように65歳で現役でいることは珍しく、退職組からすればうらやましい状況でもあるらしい。
「パッケージを扱ったり、そのパッケージを絡ませて相手方のPBを作って商品とともに供給したり、
問屋的に商品を流したりと色々やっているんだよ」と答えるのだが、ほとんどは理解してくれない。
「まあ個人商社と言うかブローカーと言うか、パッケージや商品の仲介業務だよ」というと理解する。
長く組織で働いてきた彼らにとっては、個人で仕事が成り立つということに、なんとなく、うさん臭さ
を感じるのであろう。だからブローカーという言葉がぴったりくるののかもしれない。不動産ブローカー、
証券ブローカーなどというと、どちらかと言えば聞こえがいいほうではないだろう。しかし自分では
これは一種のネットワークビジネスで必然性があるビジネスだと思っている。

ブローカー業(仲介業)は、Aというメーカーからこの商品を売ってほしいと依頼があれば、自分の
ネットワークの中から販売先を探す。Cという販売者から、「こんな商品はないか?」と問われれば、
ネットワークの中からそんな商品を作るメーカーを探す。相手が求めるもの、相手が期待するもの
そんなものを手軽に探し出してパイプをつなげていく。そんなビジネスである。
もともとの親会社がパッケージ業者だから、デザインから包材の製作まで大体のことが可能である。
このノウハウを活用して販売先のブランドを冠してのPB商品を作ったり、商品供給もやっている。

製造から末端の販売まで、その流通網は多岐にわたり、決して大手だけが担うものではない。
百貨店、スーパー、専門店、コンビニ、小売店、お土産店、カタログ通販、ネット通販、等々
ありとあらゆる流通チャネルがあり、その中を様々な商品が日々現われては消えしているのである。
その中で求められるのは、手軽でスピーディーでリーズナブルな単価での商品開発や提案であろう。
大手以外にも中小は中小のネットワークがあり、そんな中で生き残っていく余地はあるように思う。

もともと私は大手スーパーに入社した。4年間店舗で販売実務をしたあと、本部の商品部に転勤し
そこで食品のバイヤーという仕事をする。約15年、いろいろな商品を担当しその流通を理解した。
その後同系のコンビニエンスへ転籍し、ここでも仕入れの仕事を3年やってからある理由で退社した。
その後は小さな問屋やメーカーの商品開発の手伝いを経験した後にパッケージ会社に再就職した。
そのパッケージ会社の子会社を任され、やがてこの子会社を自分で買い取り一人でやるようになる。
スーパー入社以来、小売から食品メーカー、問屋、パッケージ会社まで経験したことが、今の仕事に
生きているように思う。45歳以降、転々としていた時代は腰が定まらず不安定で不安でもあった。
しかし今思えばこんな経験もまた得がたい財産なのであろうと思っている。

今のような自称ブローカー業を続けてきて10年以上経つ、その間も多くのネットワークが生まれた。
中小零細企業はどうしても、会社対会社の付き合いより、個人対個人のつながりの方が強くなる。
何年も何十年もの取引になるため、お互いの実力やお互いの性格やネットワークは把握している。
そんなブローカー仲間とのネットワークを活用するにはお互いに暗黙の了解事項があるように思う。
それは「一人勝ちをしてはいけない。成果は乏しく分けあう」と、最近は思うようになった。

先日仲間から電話が来る、「あまり出回っていない物で、日持ちが60日程度のお菓子が欲しい」、
早速、2社に電話しサンプルを送ってもらう。その人はサンプルをやはりスーパーに強い仲間に送る。
そしてその彼が主力にしているスーパーに出向き商談をする。そして商品は中堅スーパーに決まる。
その間私はサンプルの送付指示と見積り作成と、商品の規格書の転送だけで机からは動かない。
やがて導入日が決まる。(E)というスーパーから問屋(D)に発注が来て、(D)から私の仲間の(C)に、
そしてその仲間から私(B)に発注がある。私はメーカー(A)にFAXで発注をする。
商品はメーカーから直接スーパーに送られるが、伝票は(A)→(B)→(C)→(D)→(E)と回って行く。
考えればいかにも長いルートで、商売の原則からすれば逆行しているように思われる。だからここで、
それぞれが思うような値入を確保していったら、この商売はなり立たない。お互いが少しずつ我慢し
取引を成立させるということを最優先する。このためには「乏しく分かち合う」ということが必要である。

(E)というスーパーに強い(D)という問屋。(A)というメーカーと懇意な(B)というの私。
そこに(D)と(B)を結びつけた(C)。それぞれがそれぞれの役割を果たし、商売を成立させていく。
私もメーカーの営業もスーパーに商談に行くこともなく、それに関わる煩雑な仕事をしなくても良い。
一旦決まれば(B)も(C)も(D)もFAX一枚で商品を右から左へ流し伝票一枚で売上を立てて行く。
しかし楽な分だけ、おのずとそれぞれの粗利も少なくなる。これが「乏しく分けあう」ということである。
PB開発のようにデザイン費、資材費、生産ロットに対するリスクまで負うのであれば、それなりの
粗利は取ってしかるべきであるが、しかしブローカー商売は5~10%の粗利で商売すべきだろう。

もう昔の気力も体力も失せてきた。そんなときに支えてくれるのは、構築してきたネットワークである。
セイフティーネットを自分の周りに張り巡らしておけば、やがてそのネットが自分を助けてくれる。
サラリーマンで定年まで勤めるのが一番安全なのだろうが、しかし定年してから何かやろうとしても
その時はすでに遅いように思う。気力、体力、知識力、行動力そんなものが充実している時に、
次のステップに変わってみるのも良いように思う。出来れば50歳から、理想的には45歳から、
自分の将来のためのセーフティーネットを意識しそのための準備をしていたほうが良いのだろう。
滅私奉公で企業戦士を貫き通すより、ある程度のスキルを身につけたら、戦いの渦の中から外れて、
独自の路線で生きることを模索していくのも、これからの時代の一つの道のように思える。
昔の仲間の退職後の憂鬱や無気力な生活ぶりを聞くにつけ、そんな風にも思ってみるのである。