約1年ぶりに友人のA氏に逢った。
彼とは同期入社でその時からの付き合いである。同じ社員寮にいたこともあり、結婚してからも
お互いが近くに住んでいたので、月に1度程度は逢っていた。もう40年以上のつきあいである。
グループ会社を転戦してから私は45歳で会社を辞め、彼は50歳を過ぎてから会社を辞めた。
退職理由は上司との軋轢であったようで、その時は「日本の職場は俺には向いていない」と言い、
その後、水産会社の中国の現地法人で董事長(日本で言う社長業)として働くようになった。
中国で8年働いた後60歳になって、中国のその会社も辞め、日本に帰ってきた。
中国での実績を買われ、帰国後も働く場もあったが、「もう人に使われて働くのは耐えられない」と
言って働こうとはしなかった。中国から帰って来てすでに5年が経つ、読書と散歩と時々の山登り、
そんなことで日を送っている。
社会との直接の関わりを断って年金生活に入って行った彼と、まだ現役の私では次第に話題が
合わなくなって、微妙なズレが生じて始め、しばしば意見の対立が起るようになった。
彼は上意下達の意識が強い方で、友人の私にでさえ自分の優位さは保っていたい性分である。
そんな性格からか、人は敬遠して彼の交友関係は少ない。
彼は中国が長かったこともあり、中国びいきである。逢えば必ず「日本は中国に比べて、・・・・」
「日本人は中国人に比べて・・・どうだこうだ」「日本は国際社会についていけなくなる・・・・・」等、
ことごとく日本人を扱き下ろす(こきおろす)発言をする。「お前も同じ日本人だろう」と思うのだが、
自分だけは日本人一般とは違い、特別の人間のようである。
それから、共通の知人のこと小馬鹿にする。「あんな能力のない奴がいるから会社がダメになる・・」
というように、自分が暗に彼らに比べ優れている人間であるかを言いつのっているように聞こえてくる。
そして私が言うことは必ず否定してから自分の理論展開をして行く。「お前の言うのはおかしい」
「お前は世の中が分かっていない」。それは議論ではなく、相手を抑え込むための理屈である。
昔からそんな性分だったが、仕事を辞めてからは特にそんな性格は顕著になったように思う。
昨年9月ごろ、「暇だから映画に行こうと思う。なにか面白い映画はないか」と電話で聞いてきた。
「う~ん、先週見た映画で『メガネ』というのが面白かったよ」と言ったら彼は早速見に行ったらしい。
数日して携帯に電話をかけてきた。「お前が面白いと言ったから見に行ったが、あの映画は何だ!
あれは自然の冒涜だよ。映画を作った監督は何を考えているのだ・・・・」そんなことを言い始めた。
彼の独善的な話し方は日頃から違和感を持っていたのだが、さすがにその時は許せなかった。
「お前はいつも人の言うことを否定する。そんなに自分のことが正しいと思うのなら、自分一人で
やっていけばいい。もう俺にはなにも聞く必要もないだろう!」と言って一方的に電話を切っていた。
彼も言いすぎたと思ったのか電話を掛け直して、私をとりなしたが、私の感情は治まらなかった。
それ以来私の方から声をかけることはなく、彼から「飯でも食おう」というメールを何度もらったが、
その都度理由をつけて断っていた。彼の独善的な物言いが許容できなくなっていたからである。
年が明け、年賀状や時々のメールのやり取りはあるものの、その後も彼に会うことはなかった。
先日、彼がメールをくれた「中国に行って、お土産を買ってきたから、一度会おう」という誘いでる。
これ以上かたくなに拒絶するのも大人げないと思い、先週の日曜日に1年ぶりに逢うことにした。
会った始めはやはりわだかまりは残ったものの、話すうちにしだいに何時もの2人に戻って行った。
さすがに人を馬鹿にした物言いや、人の言うことを否定するスタンスは押さえていたのであろう。
今までと違って素直で、自分の現状の苦しさや弱気な一面をも語ってくるようになった。
彼は女房と娘の3人で暮らしているが、先月32歳になる娘が亀有にワンルームマンションを借りて、
家を出ていったそうである。理由は定かではないが、親父をうるさく感じてだろうと彼は言う。
彼としては娘が早く結婚し、世帯を持つことを望んでいた。しかしいわゆるパラサイト状態で
母親が娘の世話を焼き過ぎるのがが良くないと思っていたらしく、日頃から「早く家を出て行け、
何時まで親を頼っているのだ!、自分で生計を立てないと困るのはお前だ」と言い続けたらしい。
そんな父親を女房も娘も嫌っていたようである。そして、いざ娘が出て行ってしまうと困惑する。
女房は平然としているのに、彼の方が動揺して気になって仕方がない、グーグルで地図を出して
ひそかにそのマンションを訪ねて、そっと様子を見てそのまま帰ってきたという。
彼は不器用な人間なのである。ほんとうは私との仲も良好に維持しておきたかったはずである。
ほんとうは娘とは適度なコミュニュケーションを保って人生のアドバイスしていきたかったはずである。
しかし彼は自分の思いを素直な形で表現できない。自分を相手より優位な立場に置いておか
なければ物が言えないのであろう。相手と対等な位置関係で話すことが苦手なようである。
その結果、彼を敬遠して昔の仲間が離れていく、娘さえもいたたまれなくなって家を出て行く。
彼が何となく今までと様子が違うことを感じ始めてくると、自分の権威が落ちたとのだと錯覚し、
より独善的な性格をパワーアップして行ったように思う。「これでも聞いてくれないのか!」と、
歳をとるに従って、その人の特徴的な性格はより肥大化して行くと言う。
彼の場合は仕事をする上で、自分の地位を高めることで、相手をコントロールしようとした。
しかし仕事を辞めてからは世間一般に通じる解り易い地位の「物指し」がなくなってしまった。
だからより独善的な物言を進化させることで、相手に言うことをきかせようとしたのではないだろうか。
感情高い女性が歳とともに、その感情がより強くなって、理性的な話が出来なくなったり、
自己顕示欲が強いオーナー経営者が歳を増すごとに鼻もちならないほどに自己顕示していったり、
頑固親父がより頑固になって孤立し行き、臆病者がより臆病になって家に引きこもってしまう。
歳を経るほどに人はバランスを保っていることが難しくなって行き、崩れていくように思う。
私は他人の性格の歪さは見えても、さて自分がどうなのだろうと思うと自分の歪さは見えない。
「人のふり見て我がふり直せ」ではないが、「我がふり」はなかなか見えないものである。
外からは見えても内からは見えずらい。自分を自分の外から見ることが「客観視」なのであろう。
「人は自分を映す鏡」、謙虚に相手の話を聞くスタンスを失ってはいけないと、思い直してみる。
彼とは同期入社でその時からの付き合いである。同じ社員寮にいたこともあり、結婚してからも
お互いが近くに住んでいたので、月に1度程度は逢っていた。もう40年以上のつきあいである。
グループ会社を転戦してから私は45歳で会社を辞め、彼は50歳を過ぎてから会社を辞めた。
退職理由は上司との軋轢であったようで、その時は「日本の職場は俺には向いていない」と言い、
その後、水産会社の中国の現地法人で董事長(日本で言う社長業)として働くようになった。
中国で8年働いた後60歳になって、中国のその会社も辞め、日本に帰ってきた。
中国での実績を買われ、帰国後も働く場もあったが、「もう人に使われて働くのは耐えられない」と
言って働こうとはしなかった。中国から帰って来てすでに5年が経つ、読書と散歩と時々の山登り、
そんなことで日を送っている。
社会との直接の関わりを断って年金生活に入って行った彼と、まだ現役の私では次第に話題が
合わなくなって、微妙なズレが生じて始め、しばしば意見の対立が起るようになった。
彼は上意下達の意識が強い方で、友人の私にでさえ自分の優位さは保っていたい性分である。
そんな性格からか、人は敬遠して彼の交友関係は少ない。
彼は中国が長かったこともあり、中国びいきである。逢えば必ず「日本は中国に比べて、・・・・」
「日本人は中国人に比べて・・・どうだこうだ」「日本は国際社会についていけなくなる・・・・・」等、
ことごとく日本人を扱き下ろす(こきおろす)発言をする。「お前も同じ日本人だろう」と思うのだが、
自分だけは日本人一般とは違い、特別の人間のようである。
それから、共通の知人のこと小馬鹿にする。「あんな能力のない奴がいるから会社がダメになる・・」
というように、自分が暗に彼らに比べ優れている人間であるかを言いつのっているように聞こえてくる。
そして私が言うことは必ず否定してから自分の理論展開をして行く。「お前の言うのはおかしい」
「お前は世の中が分かっていない」。それは議論ではなく、相手を抑え込むための理屈である。
昔からそんな性分だったが、仕事を辞めてからは特にそんな性格は顕著になったように思う。
昨年9月ごろ、「暇だから映画に行こうと思う。なにか面白い映画はないか」と電話で聞いてきた。
「う~ん、先週見た映画で『メガネ』というのが面白かったよ」と言ったら彼は早速見に行ったらしい。
数日して携帯に電話をかけてきた。「お前が面白いと言ったから見に行ったが、あの映画は何だ!
あれは自然の冒涜だよ。映画を作った監督は何を考えているのだ・・・・」そんなことを言い始めた。
彼の独善的な話し方は日頃から違和感を持っていたのだが、さすがにその時は許せなかった。
「お前はいつも人の言うことを否定する。そんなに自分のことが正しいと思うのなら、自分一人で
やっていけばいい。もう俺にはなにも聞く必要もないだろう!」と言って一方的に電話を切っていた。
彼も言いすぎたと思ったのか電話を掛け直して、私をとりなしたが、私の感情は治まらなかった。
それ以来私の方から声をかけることはなく、彼から「飯でも食おう」というメールを何度もらったが、
その都度理由をつけて断っていた。彼の独善的な物言いが許容できなくなっていたからである。
年が明け、年賀状や時々のメールのやり取りはあるものの、その後も彼に会うことはなかった。
先日、彼がメールをくれた「中国に行って、お土産を買ってきたから、一度会おう」という誘いでる。
これ以上かたくなに拒絶するのも大人げないと思い、先週の日曜日に1年ぶりに逢うことにした。
会った始めはやはりわだかまりは残ったものの、話すうちにしだいに何時もの2人に戻って行った。
さすがに人を馬鹿にした物言いや、人の言うことを否定するスタンスは押さえていたのであろう。
今までと違って素直で、自分の現状の苦しさや弱気な一面をも語ってくるようになった。
彼は女房と娘の3人で暮らしているが、先月32歳になる娘が亀有にワンルームマンションを借りて、
家を出ていったそうである。理由は定かではないが、親父をうるさく感じてだろうと彼は言う。
彼としては娘が早く結婚し、世帯を持つことを望んでいた。しかしいわゆるパラサイト状態で
母親が娘の世話を焼き過ぎるのがが良くないと思っていたらしく、日頃から「早く家を出て行け、
何時まで親を頼っているのだ!、自分で生計を立てないと困るのはお前だ」と言い続けたらしい。
そんな父親を女房も娘も嫌っていたようである。そして、いざ娘が出て行ってしまうと困惑する。
女房は平然としているのに、彼の方が動揺して気になって仕方がない、グーグルで地図を出して
ひそかにそのマンションを訪ねて、そっと様子を見てそのまま帰ってきたという。
彼は不器用な人間なのである。ほんとうは私との仲も良好に維持しておきたかったはずである。
ほんとうは娘とは適度なコミュニュケーションを保って人生のアドバイスしていきたかったはずである。
しかし彼は自分の思いを素直な形で表現できない。自分を相手より優位な立場に置いておか
なければ物が言えないのであろう。相手と対等な位置関係で話すことが苦手なようである。
その結果、彼を敬遠して昔の仲間が離れていく、娘さえもいたたまれなくなって家を出て行く。
彼が何となく今までと様子が違うことを感じ始めてくると、自分の権威が落ちたとのだと錯覚し、
より独善的な性格をパワーアップして行ったように思う。「これでも聞いてくれないのか!」と、
歳をとるに従って、その人の特徴的な性格はより肥大化して行くと言う。
彼の場合は仕事をする上で、自分の地位を高めることで、相手をコントロールしようとした。
しかし仕事を辞めてからは世間一般に通じる解り易い地位の「物指し」がなくなってしまった。
だからより独善的な物言を進化させることで、相手に言うことをきかせようとしたのではないだろうか。
感情高い女性が歳とともに、その感情がより強くなって、理性的な話が出来なくなったり、
自己顕示欲が強いオーナー経営者が歳を増すごとに鼻もちならないほどに自己顕示していったり、
頑固親父がより頑固になって孤立し行き、臆病者がより臆病になって家に引きこもってしまう。
歳を経るほどに人はバランスを保っていることが難しくなって行き、崩れていくように思う。
私は他人の性格の歪さは見えても、さて自分がどうなのだろうと思うと自分の歪さは見えない。
「人のふり見て我がふり直せ」ではないが、「我がふり」はなかなか見えないものである。
外からは見えても内からは見えずらい。自分を自分の外から見ることが「客観視」なのであろう。
「人は自分を映す鏡」、謙虚に相手の話を聞くスタンスを失ってはいけないと、思い直してみる。