5月6日(金)予定を変更、小雨が続く草見の棚田に立ち寄りました。
東寄りの風で小雨模様 5月6日朝のNHK気象情報
鹿児島の予報は曇りのち晴れ、午前中の降水確率は50%。大隅半島から宮崎県側に雨雲が広がっています。
自宅庭先のバラ 以下の画像は5月6日に撮影
日置市では殆ど降っていないだろうと考えて出発・・・予想に反して小雨が降り続きました。
日置市日吉町 住吉地区にある草見の棚田
この時季の棚田を見たくなり、いつもの伊集院から日吉方面への道を毘沙門バス停のすぐ先で左折、草見方向へ走りました。
アジサイ園よりも少し上流側の棚田にはカラーとアヤメでしょうか、咲いていました。田植が済んだばかりの所や水が張られたところもありました。
棚田跡のアジサイ園
紫陽花の季節を前に通路は草刈が済んで、きれいになっていました。雨の日は足元が滑りやすく、アジサイが茂って通路が狭いところなどは注意が必要です。
ニオイバンマツリ
ずっと上の山手で見かけたガクウツギ
白い花が一杯 バイカウツギでしょうか?
右はカフェ野の花 10:00~16:00 木金のみ営業
山アジサイが咲き始め、スイレンもありました。アジサイの葉にカエルが止まり蕾がふくらむのを待っているような感じでした。
笠ケ野の田の神様 北側に引き返す途中の左手に見えた
道路側から見える石の形が田の神様だと思い、車を止めて正面に回り込むと正解でした。周辺の農地整備などでこの場所に移転したようです。
かつて住吉小学校区だった笠ケ野(地名)は「かさごん」と呼んでいました。中学からは私も通った日置中学校で、今も旧友の名前を思い出します。
旧日吉町内の小中学校は昨年4月に統合され日置市立日吉学園となりました。統合時の児童生徒数は262名とのこと。私が通った日置小学校だけでも6年生当時(昭和30年代末期)の児童数は500名ほどと記憶しています。
地方の過疎化は止まることなく、昔を思えば浦島太郎のような気持ちです。
かなり古い田の神様
大きなメシゲを持つ姿は素朴で力強いものでした。ネット情報によると宝暦7(1757)年の文字が刻まれているとのこと。
小雨が降り続く中でしたが、手入れが進み田植の季節を迎えた棚田風景に心が和みました。アジサイが咲き始める頃、再び訪れたいと思います。
東寄りの風で小雨模様 5月6日朝のNHK気象情報
鹿児島の予報は曇りのち晴れ、午前中の降水確率は50%。大隅半島から宮崎県側に雨雲が広がっています。
自宅庭先のバラ 以下の画像は5月6日に撮影
日置市では殆ど降っていないだろうと考えて出発・・・予想に反して小雨が降り続きました。
日置市日吉町 住吉地区にある草見の棚田
この時季の棚田を見たくなり、いつもの伊集院から日吉方面への道を毘沙門バス停のすぐ先で左折、草見方向へ走りました。
アジサイ園よりも少し上流側の棚田にはカラーとアヤメでしょうか、咲いていました。田植が済んだばかりの所や水が張られたところもありました。
棚田跡のアジサイ園
紫陽花の季節を前に通路は草刈が済んで、きれいになっていました。雨の日は足元が滑りやすく、アジサイが茂って通路が狭いところなどは注意が必要です。
ニオイバンマツリ
ずっと上の山手で見かけたガクウツギ
白い花が一杯 バイカウツギでしょうか?
右はカフェ野の花 10:00~16:00 木金のみ営業
山アジサイが咲き始め、スイレンもありました。アジサイの葉にカエルが止まり蕾がふくらむのを待っているような感じでした。
笠ケ野の田の神様 北側に引き返す途中の左手に見えた
道路側から見える石の形が田の神様だと思い、車を止めて正面に回り込むと正解でした。周辺の農地整備などでこの場所に移転したようです。
かつて住吉小学校区だった笠ケ野(地名)は「かさごん」と呼んでいました。中学からは私も通った日置中学校で、今も旧友の名前を思い出します。
旧日吉町内の小中学校は昨年4月に統合され日置市立日吉学園となりました。統合時の児童生徒数は262名とのこと。私が通った日置小学校だけでも6年生当時(昭和30年代末期)の児童数は500名ほどと記憶しています。
地方の過疎化は止まることなく、昔を思えば浦島太郎のような気持ちです。
かなり古い田の神様
大きなメシゲを持つ姿は素朴で力強いものでした。ネット情報によると宝暦7(1757)年の文字が刻まれているとのこと。
小雨が降り続く中でしたが、手入れが進み田植の季節を迎えた棚田風景に心が和みました。アジサイが咲き始める頃、再び訪れたいと思います。
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