カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

高校生×社会人哲学カフェ

2024-06-21 | 高校生哲学対話サークル


【テーマ】  教育は子どもにとってよいものなのか?
【開催日】  7月20日(土) 14:00~16:00 
【会 場】 文化堂ビル3階・セミナールーム(福島市上町2−2)
https://pentonotelife.com/
※ リニューアルオープンされた文化堂ビルには、素敵なカフェや文具店が並んでいます。
【問題提起者】 横山美優さん(福島東高校3年)

【問題提起の趣旨】
 現在、日本の児童虐待件数は増加していますが、国の調査では「教育虐待」という分類がないなど不十分な面があります。このテーマを設定した理由には、私自身、将来教育に携わる仕事に就くために大学進学を志望しており、教育とはどのようなものなのか関心があるからです。
私自身、幼稚園の頃から塾に行っていた環境で、周囲の子たちの勉強に対するネガティブな声を聴くことがしばしばありました。子どもが楽しんで勉強していない様子を目のあたりにしながら、果たして教育は子どもにとって良いことなのか。そんな疑問を抱いてきました。
すべての教育が子どもにとって良いものなのか。教育について、周りの人がどのような意見を持っているのかを知りながら、自分の考えを作り上げたいと思い、今回のテーマを設定しました。
【主催者より】
 今回の問題提起者である横山さんは、東高での「総合的な探究の時間」で自身が取り組むテーマをもとに、同世代の高校生や大人たちと対話を交わしながら、そこから知り得たさまざまな意見をもとに探究レポートをまとめる予定です。こちらも高校生の参加は可能です。ぜひ、老若男女の対話の声を響かせましょう。
(渡部 純)
【参加申込】 定員20名程度
 飲食物の注文は文化堂内のカフェよりご注文下さい。持ち込みは不可です。事前にメッセージで参加をお申し込み下さい。

映画「越後奥三面―山に生かされた日々」を語る会

2024-06-01 | 映画系


【鑑賞作品】「越後奥三面―山に生かされた日々」
上映時間・145 監督・姫田忠義 監修・デジタル版 小原信之/姫田蘭 進行・デジタル版・今井友樹/遠藤協
【上映期間・フォーラム福島】6/28(金)~7/4(木)予定
【語り合う会】6月30日(日)14:00~16:00【開始時間を変更しました】
【ゲストトーク】
姫田 蘭 氏(民映研理事)
阿部泰宏 氏(フォーラム福島支配人)
林 薫平 氏(福島大学食農学類准教授)

【会 場】如春荘
 ※あらかじめフォーラム福島で本作品をご覧になってから如春荘へお越しください。
【カフェマスター】荒川信一


 新潟県北部、朝日連峰に位置する奥三面。狩り、漁、採集、田畑・・・縄文の時代から連綿と続く、山とともに生き山に生かされてきた人々の暮らし。
 その奥三面がダムに沈むまで、映像作家・映像民俗作家の姫田忠義ひきいる民族文化映像研究所が執念もってフィルムに残した記録映画です。
 熱い思いで本作の上映を実現したフォーラム福島支配人:阿部泰宏氏をお迎えし、その思いやこの映像の価値をお聞きしながら、参加者みなさんでこの映画をテーマに語り合いましょう。

【作品紹介】
(C)民族文化映像研究所
新潟県の北部、朝日連峰の懐深くに位置する奥三面(おくみおもて)。人々は山にとりつき、山の恵みを受けて暮らし続けてきた。冬、深い雪におおわれた山では、ウサギなどの小動物や熊を狩る。春には山菜採りが始まる。特にゼンマイ採りは戦争とよばれるほど忙しい。そして慶長2年(1597年)の記録が残る古い田での田植え。夏は、かつて焼畑の季節だった。川では仕掛けやヤスでサケ・マス・イワナを捕らえる。秋には、木の実やキノコ採り。3万haに及ぶ広大な山地をくまなく利用して生きてきた奥三面がダムの底に沈む…。
40年前まで確かに存在した山の暮らし。その喪失と記録が現代に問いかける記録映画の金字塔がデジタルリマスター版で蘇る。(1984年9月21日、日本初公開)

【予告編・フォーラム福島URL】
https://www.forum-movie.net/fukushima/movie/5734

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』読書会

2024-05-01 | 文学系

【日 時】2024年5月25日(土)14時〜16時
【会 場】如春荘(福島県立美術館前)
【課題図書】ルシア・ベルリン『掃除負のための手引書』
【カフェマスター】島貫 真
【定 員】15名
【参加申込】メッセージからお申し込みください。
【会場費・資料代】無料


【カフェマスターより】
前回は、サリンジャーの『フラニーとゾーイ』という作品をカフェロゴで読みましたが、これがとても愉しい会になりました。
そこで味をしめた、というわけではありませんが、上記の通りまた読書会をしたいと思います。作品はルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』。サリンジャーの作品とは違って、おそらく初めて名前を聞く方も多いかと思います。
短編集で読みやすく、「ルシア・ベルリンの小説は読むことの快楽そのものだ」と訳者はあとがきで書いています。少々大げさな表現ですが、この小説を「発見した」訳者の気持ちは、分かるような気がします。
簡単に以下、簡単に作家と作品の紹介をします。
表紙より
「波瀾万丈の人生から紡いだ鮮やかな言葉で、本国アメリカで衝撃を与えた奇跡の作家。大反響を呼んだ初の邦訳短編集」
腰巻き惹句より
「1936年アラスカ生まれ。父の仕事の関係で、北米の鉱山町やチリで育つ。3度の結婚と離婚を経て、シングルマザーとして4人の息子を育てる。学校教師、掃除婦、電話交換sy、看護助手として働く一方、アルコール依存症に苦しむ。2004年逝去。生前は一部にその名を知られるのみであった」
次に訳者の対談から
岸本佐知子&山崎まどかが「とにかくすごい」と語彙を失うルシア・ベルリンとは何者か
https://mi-mollet.com/articles/-/18893?layout=b(mi-molle KODANSHA)
川上未映子×岸本佐知子『掃除婦のための手引き書』刊行記念対談(講談社Tree)
https://tree-novel.com/.../72b31906235dc3d6786242614cb8c4...
というわけで、よろしかったらぜひご参加ください。
(講談社には在庫があるそうです。書店にお問い合わせを。)
カフェマスターは、島貫が務めます

【参加される皆様へ】
福島市で個人で書店をはじめられたはなみずき書店さんがあります。
全国的に書店の衰退が著しい中で、書店ゼロの市町村数で福島県は、2017年に全国3位というデータがあります。
(出典:日本著者販促センター 書店が1軒もない自治体の数 日本書籍出版協会の資料より(2015年5月1日現在)
出典:朝日新聞「書店ゼロの自治体、2割強に」トーハンの資料より(2017年7月31日現在))
そのような状況で福島市で書店を開かれたはなみずき書店さんを応援する意味も込めて、よろしければ、ぜひ今回の課題図書は、はなみずき書店さんで注文して購入していただければ幸いです。
店主の荒木さんのご厚意で、福島市内にお住まいの方は注文本をお届けしていただけます。
郵送の場合には180円の送料が必要となりますが、いずれも読書会当日にお支払いいただければ大丈夫とのことです。
以下、はなみずき書店のX(旧Twitter)をご覧ください。
https://twitter.com/hanamizukibs
【はなみずき書店】@hanamizukibs
福島市内で活動を始めた書店です。人文系の新刊書中心です。本を通じて何かと何かがつながって生まれたり、育ったりしていくのを応援したり、見守ったりしていきたいです。まだ店舗はありませんが、そういう場を作りたいと準備中です。はなみずき書店とゆっくりと走りながら、まわりの景色を楽しみ、一緒に考えていきませんか。

サリンジャー『フラニーとズーイ』読書会・雑感

2024-04-07 | 文学系

久しぶりの文学、そして読書会でした。
課題書はサリンジャーの『フラニーとゾーイ(ズーイ:村上春樹訳)』。
今回のマスターはあをだまさん。
あをだまさんはこの日のためにしっかりとしたレジュメと資料を用意して下さいました。
その準備期間はおよそ一か月。
あをだまさんの並々ならぬ意欲が伝わります。
しかし、あをだまさんはこの本のエッセンスを参加者にどう伝えるべきか悩んだそうです。
悩んだ挙句に頼ったのが、なんとチャットGPT !
なるほど、そういう相談相手としての活用法があったのか!
レジュメはチャットGPTとのやりとりから作られたものだそうですが、そのやりとりは神にすると20頁ほどになるとか。
これまた驚きです。
17歳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』から入ったあをだまさんのサリンジャー経験を述べながら、本書初読時に抱いた3つの疑問を提示しながら、その解釈を述べるところから会は始まりました。
その疑問とは、
①なんで最後に眠りに落ちて終わりなんだ?
②「太っちょのオバサマ」がどうしてキリストだってことになるわけ?
③ゾーイのキャラは皮肉っぽくて反抗的で、あまり良い子に見えないのに、どうして妹には優しくできるのか?
あをだまさんは、サリンジャーの他の著書の読解や解説書を下調べしながらその疑問を読み解いていきます。
その際、サリンジャーの宗教観にもふれます。
たいへん興味深いあをだまさんの解釈については、写真にあるレジュメをご参照ください。




さて、参加者どうしの話し合いでは、まず主な登場人であるフラニーとゾーイ、母親のなかの誰の視点に立って読んだかが話題となりました。
青臭すぎるフラニーはスノッブな彼氏や大学の教授、院生などのファッション的な定型の言動に嫌悪感を催し、純粋な宗教性に魅かれていきます。
若さの純粋性といえば美しいですが、それは心身に危機を生じさせます。
はっきり言って、日々の仕事にウンザリさせられる日々を送っている参加者はフラニーの視点で読んでいたでしょう。。
一方、彼女の兄であるゾーイはフラニーの青臭い純粋さが誤っていることを言葉巧みに解きほぐそうとします。けれど、そうしながらも彼は彼でその自分の未熟さに自家中毒になるちょっと大人になりかけた青年です。
まぁまぁ、そんな若気の至りというか、そんな理想に周囲がなっていないことに失望して感情が揺さぶられていた時代もあったよね、とちょっと人生に達観した方は、このゾーイの視点で本書を読んだようです。
また、息子娘たちとかみ合わない、理解し合えない会話のやりとりをする母親という視点から読んだ参加者は、まさにご自身の母親としての経験が深く影響していたようです。
もうちょっと母親の身になって話し相手になってよ。
ゾーイは、それでも母親の要望にある程度こたえられる演じ方を身につけられているよね。
けれど、青臭いフラニーにはそれができない。
純粋さなんてありもしないけれど、その純粋さに苦しんでいることにゾーイは気づかせようとしている。
そういえば、ゾーイは俳優だし、演技というのも本書のキーワードの一つでした。

いずれにせよ、本書は言葉のやり取りは膨大にあるけれど、その核心が何なのかよくわからない。
そんな読後感をもったようです。
たとえば、フラニーとゾーイは7人兄弟。
幼い頃に兄妹全員で羅時を番組に出演していた、いわば子役たちという背景があります。
年長の兄弟には戦死したものもいれば、自死した者もいます。
とりわけシーモアという自死した亡兄の存在がこの小説の中で大きな意味をもつのですが、しかしなぜ彼は死ななければならなかったのかなどは説明がありません。
母親は、会話しなくなった兄弟たちにラジオ出演していた頃に戻ってもらいたいと思っていますが、本書では一人ひとりが深い問題を抱えていることをほのめかしながら、その原因が何なのかも説明されません。
ただ、幼いことに公衆の目に曝され続けたことがフラニーをして、画一的な大衆性に嫌悪感を催す感性=問題をもたらしたのではないかなと推測できるのみです。
目に見える会話のやりとりでは明らかにされない何かがある。
ということは、本書の会話や言葉のやりとりの意味だけを探っていてはなにがなんだかわからない。
これはサリンジャーの戦争体験、PTSDが大きく影響しているのではないか。
サリンジャーはベトナム帰還兵たちに「これはわれわれの話だ”!」と受け取られたという話も挙げられました。
だからといって、精神分析や精神医療の問題に回収されたくはない拒絶感も本書では語られています。
はっきり言って本書は読みにくい。
でも、その読みにくさとは、このサリンジャーの戦争体験に深く関係している。
新しい文学とは、それまでの文学や文体、形式では語りえない時代に入ったことを別の仕方で表現せざるを得ないものだとすれば、サリンジャーのおもしろさとはそこにあるのではないでしょうか。
それは、一見するとなにがなんだかわからない。
けれど、その時代のとば口でもがいている人間にとってはすぐさまに直感的に「これだ!」とわかるものでしょう。
それは、残念ながら訳者である村上春樹にはない。
村上春樹はドーナツの穴、空洞であると評した参加者もいました。
いかにも、それは中心に何もない。
ロラン・バルトもまた『表徴の帝国』で東京という都市を「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」と評しましたが、それは村上春樹の作品群にもあてはまるでしょう。
サリンジャーはそれとは違います。
何かがあるけれどそれが無数の言葉のやり取りの中から想像されるしかない。
それはけっしてフロイト的な無意識の構造というものでもないでしょう(なぜなら、精神分析を忌み嫌ったやりとりも描かれているので)。
それが何なのか。
「解説」を付さないことを出版条件にしたサリンジャーでしたが、それでも何かを言いたくなるということで村上春樹は付録でそれに近いものを書いています。
そこで村上は、サリンジャーの「表面的な『宗教臭さ』にまどわされれることなく」読むことを注意しています。
そうなのか?
ということが話題に上がりました。
キリスト、イエスの思想を誤解して苦しんでいるとフラニーを諭すゾーイですが、しかしそれは必ずしもキリスト教っぽくないよねという話になります。
「太っちょのオバサマ」やスノッブな教授たちもキリストだっていう仕方は、むしろ仏性が生きとし生けるものという東洋仏教を読んでいるかのようだったし、あるいはそれはスピノザの神、すなわち汎神論的な説明であって、ユダヤ性すらかぎ取れるんじゃないの?
それに抜きにしたら、やっぱり片手落ちの読解になっちゃんじゃないか。
そんな話にもなりました。
「太っちょのオバサマ」といえば、この話のデジャブ体験を語ってくれた参加者もいました。
本書の中で、ラジオ番組に出演する際に製作スタッフ・観客・スポンサーみんなが「うすらバカ」とつむじを曲げたゾーイに対して、兄シーモアが「それでもお前は太っちょのオバサマのために靴を磨くんだ」と諭します。
この「太っちょのオバサマ」は実在ではなく、いわば統制的理念のような存在なのでしょう。
フラニーとゾーイはそれぞれラジオの前で、それを楽しみに、あるいは習慣的に聞いている「太っちょのオバサマ」なる人物を想定して、けっして目にすることはない自分の「靴」を磨くことは、その存在のために万端準備することが仕事に対する構えそのものを成立させるということなのでしょう。
見えない細部にこそ神は宿れ。
あをだまさんはこれを「禅っぽい」と評しました。
さて、先の参加者のデジャブ体験とは、彼もまた子どもの頃の学芸会で準主役を務めた際、当日になっていきたくないと駄々をこねたそうです。
すると、お父上が「この学芸会をいつも楽しみにしているおばあちゃんがいるから、その人のために出なければいけないよ」と諭してくれたそうです。
さて、そのおばあちゃんが実在したかどうかは定かではない。にもかかわらず、その統制的理念のようなものが出演の行為を促したそうで、それが後年『フラニーとゾーイ』に書かれた「太っちょのオバサマ」の話を詠んだ際に、「これはあのときのことではないか!」と驚いたそうです。
ちなみに、お父上はそのエピソードを全く覚えていなかったようです。

本書ははっきり言えば、読みにくい本でした。
おもしろいかと聞かれれば、けっして面白いとは言い難いものです。
にもかかわらず、読書会という経験がなければ読むこともなかったでしょうし、何より複数で読むことのおもしろさがいかんなく発揮される時間となりました。
選者にしてカフェマスターを務めて下さったあをだまさんには心より御礼申し上げます。

【エチカ福島】13年目の『たゆたいながら』・記録

2024-03-12 | 〈3.11〉系


3月9日、福島市写真美術館で映画『たゆたいながら』の監督・阿部周一さんをゲストに招いた対話イベントが開催されました。
「13年目の『たゆたいながら』」と題した今回のエチカ福島は、8年前に一度本作品の上映会を開催したことがあります。
そこでの場面が今回の上映作品に盛り込まれていますが、あのときにこの映画が引き出した対話の力を再び〈3.11〉から13年目に見たとき、何が引き出されるのかを期して企画しました。
以下、雑駁な対話のやりとりを記録させていただきます。

阿部周一監督

2016年のエチカ上映会では15年バージョン。その上映会の場面を挿入したのが今回の作品。
久しぶりに自分でも見たけれど、時間の流れを感じた。
映画に出演してもらった幼稚園園長さんも昨年亡くなられた。父母も若くて元気だったなぁという感想をもった。
観ながら、編集のパッションを思い出した。
こんなに長かったかなという思いももった。
〈3.11〉から13年目を迎えるにあたって、この作品が参加された皆さんがどのような感想をもたれたか、ぜひ聞いてみたい。

・自分自身が映っていて、こんな顔していたんだ。浪江町出身で、震災当時から福島市渡利に住んでいて、自分たちは子どもも含めて避難しなかった。今日はその後の答え合わせができた。その後、自分の考え方はどんどん変わっていった。映像を見てながら、子どもたちに「フレコンバックって、オレの故郷にもっていったんだぜ」、「東日本壊滅寸前だったんだぜ」と伝えたい。自分の中で折り合いをつけていく。これからも新しいことが出てくるので、考え続けるべきだし、阿部監督には撮り続けて行ってもらいたい。自分の中では「復興」という言葉の呪いが解けた。一人称で語るっていう事をテーマに考えている。福島の怒りや喪失はたくさんの人の話がある。一人一人違う。私は被災地の出身者として、外から来た人に話すときに相手に一人称で語ることを意識している。

・「大学では、学生たちと復興のために聞き取りをしてアーカイブに残すことをしている。高校教員時代は外になかなか出られなかった。浜通りにも行けなかった。浜通りの先生の話を聴いて代表する形で、組合の大会で県外の人たちに報告していた。自分自身被災者なのか。中通りに住んでいて津波被害もない。線量計を見て感じることもあったが、自分が被災者なのかという疑問があった。組合活動で国や県と交渉する過程で空虚な感じがした。環境省は予算を使って汚染土について学生の話し合いをさせる予定である。大学もイノベに反対するとカネが来ない。映画の感想は自分の中でのわだかまり、自分もこういう思いがあったなぁと思った。一番素の福島の人の証言を生で聞くことができる映画だと思った。質的に他の映画異なる。映画の続編でこの続きを見ていきたい。

・私も映画の続編はどんなものができるのかを考えていた。毎年3.11が近づくと憂鬱になり、当時のことを思い出した。今の福島はこの映画の続編を生きている。同じテーマで続編をとることができるのか?変えなければならないのか?私は今でも十分たゆたっている気がします。たゆたい方が違っているのかなと分析できないんだけれど。

【阿部】ずっと続編を考えてはいるが、テーマが思い浮いては悩んでいる。当時、聴き取れなかったのは子どもたちのこと。「実はあの時、避難したくはなかった」ということを言語化したケースもある。あの時、子どもたちはどう思っていたのか?子どもたちの世代が、あらためてこの13年をどんな思いで過ごしていたのか?フレコンバックの意味もわからなかった子どもたちが、今どう思うのか。「子どもを守るために避難した/残った」親の選択を子どもがどう思っているのか。

・浪江で過ごした子ども時代に、「原発安全なの?」と父親に聞いたら「ば~か、原発爆発したら日本がなくなるから心配しなくていいんだ」と聞いてから考えなくなった。それが自分にとって一番の取り返しのつかない経験だった。「これからの福島の夢と希望、復興を語ります。福島を復興させるために〇〇になります」と語る高校生の言葉をしばしば耳にするが、それは大人が言わせたんじゃないか。大人が求めることを先回りして言える力が高校生にはある。子どもが子どもである所以は、自分が言った言葉に囚われる。自分で自分に呪いをかける。それはどうのかな?一生自分の言葉に縛られてしまう。あの震災を覚えている人たちが、そういう経験をした。あの経験を知らない今の子どもたちがどう思うか。阪神淡路大震災を経験した福大の先生が「被災から10年後が問われる」といった話を思い出す。

・小学校の教員をしています。震災の齢に生まれた子がこの三月で卒業します。立場上花むけの言葉を言うのだけれど、あなたたちが生まれるちょっと前に震災があった。新しい生命は希望だった。あなたちの親さんたちが苦労したことを覚えておいてほしいと伝えた。

・2014年に京都から東京、福島へUターン。県外避難者の支援・相談のお仕事をした。2016年に全国に窓口を作る。住宅支援の打ち切り話し合いの場づくりを思い出した。行政と避難者の間に入って支援団体の声を県に伝える役目で、ストレスが多すぎて限界がきて辞めたけれど、そのときにつながった団体とは今でもつながりある。母子避難者の子どもたちが大学に巣立ったタイミングで、お母さんたちがつながりやすい場づくりの相談をした。そのときにできたつながりが、今も関係する。その後の家族や住む土地の変容。それぞれの家族にとってはあの出来事は今でも続いているのではないか。

・以前に観たけれど、忘れているシーンがけっこうある。自分の立ち位置が変ってきていると感じている。どう変わったか。震災から二年後に始まったエチカ福島の立ち位置ががこの映画の上映会をしたときに変わった、と今思う。語りえないけれど発信しなければいけない、けれど何を言っていいかわからないから、まずはお勉強しようとエチカ福島は始まった。その時期は勉強しなきゃというカオスの状態。4回目以降、南会津など過疎地域や教育を考える時期がしばらくあったが、この映画を観た会が決定的な変化になった。生きている人の声。他人が語る解説ではなくて、内から出てくる言葉を紡ぎ出そうとする人の声を聴きたいという思いに変わった。それは簡単なことではない。でも100年経ったら「こんな茶番はありえない」と思うかもしれないけれど、でも、たぶんその茶番は続いていくだろう。エチカで漁師の現場の話を聴きに行ったとき、ご高説を賜る縦軸じゃなくて、仲間同士の横軸のつながりが大事だと思った。「あなたはどう考えているの?」と、同じ地べたで考えている人の言葉を聴くことにたどり着いたのかな。地べたで生きている自分の言葉を探したい。

・映画に出てきた「大きな物語」という発言が重要。故郷への帰還を物語化する「家路」という映画の危険性を思い出した。この「たゆたいながら」で一番大切なものは自主避難者たちや残った人たちの「小さな物語」。俵万智の「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言えへ」という歌を思い出しながら、当初は一時避難だったはずが長期避難になってしまった故郷喪失を想う。なかなか戻れない問題。それぞれの声をもう少し見てみたい。言葉の方言の違いは避難と帰還に大きな影響をもつのでは。日系一世の定住/移住の判断は、実は言葉の問題が大きく影響していた。

・私自身、3.11が近づくからという理由だけではなく、あの日福島へ逃げまどっていた自分を思い出す。今現在も同じ思いでいるんだろうなと思っている。子どものためと思って逃がしたのに、避難先から子どもが壊れて帰ってきた。私の不勉強から子どもを壊してしまった。その子どもを「イイ子症候群だね」と尾木ママに言われる。イイ子でなければお母さんが泣いちゃう。だから、被災地の子たちはイイ子が多い。解放してあげて下さいと言われた。でもそう言われても、状況が変わっていない中でいったいどうすればいいっていうのか。小さな社会や家庭の中で、この思いを変えていかなければならないのだろうか。そこに復興という大きな物語が入ってくる。今、インバウンドで語り部の仕事を頼まれる。福島の夢と希望を語ることを要求される。子どもが小学校入学時に「お母さん、僕はどこの小学校に行くの?」と尋ねられたことでハッと気づき、それで南相馬に戻った。生活のために、子どものために働く、子育てする、そこに子どもは「イイ子症候群」だと言わる。自主避難/強制避難という言葉で括ってほしくない。どちらも「子どもをどうやって守るのか」の一点でやってきた13年だった。自分の中であまり区切りがなかったんだなぁと思う。Fレイの話が息子の通う高校で話題にされたとき、息子はぼそっとこう言った。「ここに人が戻ってくるのか?ここに来るのは移住者だ。3.4年経ったら皆いなくなるでしょう」と。

・前向きで被災のことを話さない被災地出身の同僚。その中で変化している人もいる。故郷を諦める人が増えている。全国に散らばった浪江の避難者たちが戻る場所はあるけれど、海に入っちゃいけないことになっている。賠償金の問題で「浪江」という言葉を口にできない。自分の故郷を誇れるものがない。口をつぐんでいる人たちが、口を開けるようになるには、一人称で語ること、自分で考えたことは語っていいのだというのが当たり前となればいい。広島の被爆者の中で本当に訴えたい人たちは喋られない死者であったり、胎児性水俣病患者の人々であったりすることを知り、そのことを思い出す。

【阿部】皆さんのお話を聴きながら、なおさら続編は取れないんじゃないかなと思った。ますますわからなくなってきた。今振り返ると、この映画では「自主避難者/残った人々」という対立構造を作っているので、結構危ないことをしていたなと思う。もっと両者の間にはグラデーションがあるはずなのに、カテゴライズを当てはめて編集しているなと思った。一人称の言葉を並べて編集することの怖さを感じる。当時の子どもの言葉を聞かなくてよかったんだなと思った。

・先日、小高と浪江の人たちの話を聴いて、ほんとうに震災の心の傷の酷さを実感できた。自分も南相馬市鹿島出身だけれど、そこは30km圏内。小高は20km圏内。そのあいだに温度差がある。息子が自死した親さんが「なぜ、息子を助けられなかったのか」と、ようやく人前で話せるようになったという話を聴いた。震災の被害は現在進行形。心の病はこれから出てくるのかな。福島にいると自分はそれほど原発に深刻さを覚えなかったが、これだけの被害の深刻な人の話を聴くにつけ、自分自身の無力さを感じる。

・今ドキドキしている。映画を観て当時のことを思い出した。3.11は気が重くなる。こんなに気持ちが辛い感じがしているのに、また政府は原発再稼働している。震災当時、実家の大津に息子を連れて避難した。そのときも周りの人たちは無関心。腫れ物に触りたくない気持ちもあったのかも。私たちが3.11が近づくと気が重くなっているのに、13年も経っているのに政府は何もやっていない、誰も学んでいないことに唖然とする。こういう映画を全国でいろんな人に見せた方がいいんじゃないか。今まで福島以外でどれくらい上映されてきたのか?

【阿部】関西の原告団や京都の原発反対のシンポジウムなどで上映させてもらった。けれど、残念なことに、そこでは原発になにがしか答えをもっている人しか来ない場所で、そういう答えをもっている人たちが集う場でしか上映していない。そこに来る人たちは、自分がもっている意見の答え合わせに来ている。自分の考えを補強するためにきている人が多い。若い人は来ない。そういう経験の中で徒労感のようなものを感じてきた。

・あらためて強度をもった映画だと感じた。自分の中での答え合わせをするわけだけれど、8年経ってみると、それだけじゃないな、それこそが地べただと感じている。

・今30歳。この映画ははじめて観た。はじめのスタートが分断の話で、分断の構図を示しながらも、その中に色々から見合ったものがあってそれが和解、赦しに至る。映画を観た後に、感想が思いつかない。分断すべきではなく和解の方向性に向かうべきなんだろうけれど、「うん、そうだよね」で終わってしまうところがあって、そこから自分が何かを語ろうとすると、こちらが止まってしまう。言葉を引き出せている一方で、自分自身が何を語ろうかとなると出てこない。自分には高校・大学など自分のルーツへのこだわりがないところがある。気になったのは分断を超えていく中で、赦しが結果として描かれていたと思うが、「おばあちゃんを家から追い出したのは僕だったかもしれない」という傷はこの映画を通じて報われたのか?

【阿部】急に東京に住むことになったストレスで、数日後に両親が一時避難してきたときに、一緒に帰られると思ったときに「残れ」と言われたのがすごくショックだった。祖母への八つ当たり。ちゃんと謝ることができなかった。祖母がわかる間に謝りたかった。心残り。

・こうやって3.11について話し合う場にいたくなる。違う温度差。私自身の一人称で語ることができない環境を作ってきてしまった気がする。2014年柏崎に入る。学生という立ち位置は色々な人と距離が旨く持てる、貴重な立ち位置なのではないか。

時間が足りず、もっともっと話し合いたいこと、語りたいことがあった様子が参加者の皆さんから感じられましたが、ここで対話は打ち切りとなりました。
しかし、〈3.11〉から13年目をむかえる時点で、ようやく一人一人の語りが少しずつ出されるような予感を覚える時間でもありました。これをきっかけに、あらたな語り合いの場づくりができる予感もあります。
阿部監督にはお忙しいところ福島にまでゲストに来ていただき、感謝申し上げます。
ここでの出会いが新たなつながりへ展開していくことを期待します。

【エチカ福島】13年目の『たゆたいながら』上映会&対話イベント

2024-02-26 | 〈3.11〉系

【日 時】2024年3月9日(土)13時~16時
【会 場】福島市写真美術館(福島市森合町11-36)
【ゲスト】阿部周一監督
【定 員】20名

【参加申込】メッセージからお申し込みください。


阿部周一監督のドキュメンタリー映画作品『たゆたいながら』の上映会&対話イベントを開催します。
この作品は、阿部監督が大阪芸術大学の卒業制作としてつくられた労作で、原発事故に被災した福島市の住民が自主避難するか、居住地に残るかの選択で引き裂かれた葛藤を描いたものです。
監督自身も、避難者としての自己を問う意味が込められていた作品であると述べていました。
エチカ福島では、2016年10月に同作品の2015年版の上映会と対話イベントを開催したことがありますが、あれから8年の時を経た今日、再び福島の人々の目にはどのような映像として捉えられるか。
そのような問いのもとに、原発事故から13年目をむかえる3月9日に上映会と対話イベントを開催します。
なお、阿部監督の交通費・謝礼として当日カンパをいただければ幸いです。


徐京植『フクシマを歩いて』・雑感

2024-02-25 | 〈3.11〉系


8名の方にご参加いただいた徐京植『フクシマを歩いて』から考える会。
いつになく、参加者の生きざまが開陳される対話となりました。
一人ひとりの人生のセンシティブな内容が話し合われたという点で、この空間が安心かつ信頼できる場として成立していたことに主催者として大変ありがたさを感じるものでした。
以下は、渡部がこの対話を通して考えた雑感です。
もちろん、参加者の個人的経験を具体的に記述するわけにはいきませんが、対話で投げかけられた言葉一つひとつに応答する思考の抽象化によって読み手の想像力に投げかけてみたいと思います。

徐京植の『フクシマを歩いて』を購入したのは、割と出版されて早い時期だったと記憶する。
昔から徐氏のファンでもあったこともあり、その書に何かを期待して手に取ってみたというところだったと思うが、しかし読み始めてすぐに本を閉じてしまった。
数ページ読んだところで、どこか徐氏の記述に訳知り顔のようなものを感じてしまった気がしたのである。
それから十数年が経ち、同書を開いたもののすぐに閉じるということが何度か続いたきり、読み進めることはできなかった。
今回、笠井さんの提案で開催されたことを機に意を決して読み進めてみた。
一読して、2012年3月10日出版されていた同書がこれほどリアリティをもって生彩を放っていることに、今さらながら驚いた。
ただし、ここでいうリアリティとは、現在に共鳴するという事態とは少し違う。
原発事故直後には定かではなかったことが、そういうことだったのかと得心できるまでに自分の中で12年という月日が必要だったという時間性と、そこに宛がう言葉を既に徐氏が見抜いていたという鮮烈さが重なり合うことにおいて、それが感得されたのである。

とりわけ「根」という言葉は今回の対話の中心を占めるキーワードであった。
徐氏は原発事故によって人々が奪われた事態を「根こぎ」と名指した。
人が生きていく上でいつのまにか張られた人間関係という根。家族、地域社会、商売……。
無数の根が、しかし避難するしないの判断にも影響を及ぼした。
徐氏は、海外から住む知人たちから「すぐ逃げてこい」といわれたが、ここを動かないことを決めたという。
それがなぜだったのか。
プリーモ・レーヴィの『溺れるものとすくわれるもの』から、ナチスの台頭とホロコーストの危機が迫ることが肌で感じらながら、それでも生活地にとどまり続けるユダヤ人たちの姿にそれを重ねて理解する。
避難したくても避難できなかったのは、そこにある具体的な人間関係と生活があるからだ。
避難するということは、それらすべてを捨て去る、壊すことであり、原発事故が犯したのはこの「根こぎ」なのである。
楽観視しているわけでも無知なわけでもない。
その点で、南相馬市の自宅に愛妻と共に「籠城」したスペイン思想家の佐々木孝夫妻は「自らの人生を自らが決定する」生きざまを貫いた人として、徐は会いに行く。
自分の判断で自分の人生を選び取ること。
これが「自由」を意味するのは、国家に避難しろと言われることにも抵抗を示すことに止まらず、被ばくは危険だから避難しろという言説にも抵抗するという点である。認知症の妻を「根」からひき離すことが、それこそ死を意味するのだとすれば、それら外的なものから自らの生と「根」を守るものとしての自己決定こそが自由なのである。
しかし、他方で自己決定こそ自由であるということには戸惑いも覚える。
なぜ、自分は残ったのか。
「根」があったからなのだろうか。
それ以上に、あの法外な出来事を目の当たりにして、呆然と立ち尽くしたまま何もできなかったというのが実のところなのではないだろうか。
自己決定さえも奪われていたのが、あの暴力的な状況だったのではないか。
そこに理由が求められることそのものが暴力ではないだろうか。
それを「思考停止」というならば、そこでいう思考とは何か。
たぶん、思考することと行為することは別の原理である。
思考したから行為するわけではない。思考しながら行為することはできない。
事後的に行為の理由をあれこれ考えられるだけで、なぜその選択をしたのかは確信をもって事後的に説明できるだけなのだ。
それがその人の物語を可能にする。
妻と共に「籠城」すると名指した佐々木孝の「生きざま」として、他者に理解可能になるのであり、それが他者の心を打つのである。
その物語ることが可能な生きざまこそが自由なのではないだろうか。
してみると、あの出来事での経験を語れずに沈黙することに不自由な様をみるのは、このことなのでかもしれない。
自分の行為選択を名指したり物語化できないことにおいて、われわれの言葉は奪われたままなのだということである。

そもそも「根」とは何か。
生活の根圏といわれるものには、それこそ牛馬を繋ぐ「絆」というしがらみだって含まれるだろう。
世間の目というものもあるかもしれない。
そんな自分をしばりつけるものも含めての「根」だというならば、原発事故を機にそんなものから解き放たれたい生だってありうるはずではないか。
そもそもこの世界に、この国に、この土地に、この家族に、この時代に訳も分からず突如誰かによって投げ込まれた理不尽なものなのだから、それによって生かされているなんて単純には言えない。
自分がなぜあのような行為をしたのか、しなかったのかという理由は事後的に付与されるが、そもそも人間の行為の原因はそれほど明確なのだろうか。明確にしなければいけないものなのだろうか。
そんな苛立ちに似た思いもあって、2012年の段階では本書を読み進められなかったのかもしれない。
しかし、逆説的かもしれないが、自分の人生を決める自由を奪われてはじめて、そのありがたさが目に見えたのではないか。
徐氏の「原発事故によって見えるようになったものがある」という指摘の一つには、この自己決定と自由の問題があるのだろう。

もう少し「根」とは何かについて丁寧に考えよう。
自分の「属性」と「根」は重なり合うのだろうか。
「属性」に縛られることの苦しさが話題に上がった。それはどうしても自分の人生からは引きはがせない以上、それとは一生向き合うしかない。
国籍、民族、宗教、家柄、ジェンダーなどなど。
そして、それが個人に対して抑圧的にはたらくのは、その「属性」におけるマイノリティ性や自己の個別性が認識されることにおいてのことである。
しかし、同時にその「属性」が社会全体の中でのマイノリティである場合、逆にそのアイデンティティは拡散されない努力が求められる。
「お前はもう福島出身だと言えないな」と他者から言われれば、それまで意識などしなかった「福島人」というアイデンティティが沸々と湧き上がる。
けれど、「福島の人間として福島のために頑張ります!」と健気な言葉を投げかけられれば、なぜそんな属性に自分の生き方が縛られなければならないのだという反発も覚える。
徐氏は「日本という社会にからめとられる現実」がある一方で、「人間は社会や組織とは無縁に生きていけるだろうか?」という問いを上げかける。

たぶん、「根」とはそういう「属性」とは別の人と人との関わり合いなのだ。
いっしょに生活し、語らい、利害関係も踏まえた上で人とつながっている場所が、たまたま「福島」という土地であるだけで、「属性」が初めからあるわけではない。
けれど、もう一つの「根」があるはずだという声が上がった。
それは「ルーツ」としての「根」である。
自分の親たち先行世代の来歴とつながる自己という歴史性と言い換えてもいいかえられる。
大いにして、それが国家や国民、国籍、民族というものに自己をつなげて考えてしまうことになりがちだけれど、そのような大きな「属性」とどれだけ「根」を相対化できるかが肝要ではないか。
自分の親や祖父母の歴史的経験は、国民国家の歴史物語と一致するどころか、むしろ犠牲を強いられる方が多いとさえいるかもしれない。
「復興」=「福島」を個人の「根」の問題とは関係ないところでスローガン化していることは、今や否定できない。
とはいえ、なぜ日韓戦になると日本の側を応援してしまうのか。
なぜワールドカップラグビーの日本戦をわざわざスポーツバーに行ってみてしまうのか。
なぜ他国の試合にそれほど関心をもてないのか。
そんなメンタリティがあることも否定できない。それはいったい何なのか。

いつにもまして、個々の深い思いを語らっていただく中で、これに組みつくせないものを感得する時間であった。

サリンジャー『フラニーとゾーイ』読書会

2024-02-24 | 文学系

【会 場】如春荘(福島県立美術館前)
【日 時】2024年4月6日(土)13時30分〜16時
【カフェマスター】あをだま
【定 員】20名
【参加申込】メッセージからお申し込みください。
【会場費・資料代】300円


◯今回は、サリンジャー文学の一編である『フラニーとゾーイ』(野崎孝訳)に焦点を当てます。
◯「アメリカ東部の小さな大学町、エゴとスノッブのはびこる周囲の状況に耐えきれず、病的なまでに鋭敏になっているフラニー。傷心の彼女に理解を示しつつも、生きる喜びと人間的なつながりを回復させようと、さまざまな説得を試みる兄ゾーイー。しゃれた会話の中に心の微妙なふるえを的確に写しとって、青春の懊悩と焦燥をあざやかにえぐり出し、若者の感受性を代弁する連作二編。」(新潮文庫版紹介文より)
◯サリンジャーの文学は、一般的に若者のものとされがちですが、彼の作品には、おとなになっても感じる孤独や寂しさ、寄る辺のなさ……共感を呼ぶ要素がたくさん詰まっています。今回は、若者だけでなく、かつての若者(自称含む!)も一緒になって、この作品を読み解き味わいたいと思います。これまでに歩んできた人生が長い人もそれほど長くはない人も、それぞれの視点から感じたことや考えたことを共有し、本作品についてお互いに考えを深めていける時間にしたいと思います。

徐京植『フクシマを歩いて』から考える

2024-01-28 | 〈3.11〉系



【会 場】福島市写真美術館(福島市森合町11-36)
【日 時】2024年2月24日(土)13時〜16時
【カフェマスター】笠井哲也
【定 員】20名
【参加申込】メッセージからお申し込みください。
【会場費・資料代】300円


昨年末、徐京植さんが逝去されました。
在日コリアンの視線からディアスポラの思想を紡ぎ出してきた思想家である徐さんは、福島から離散した人々と残った人々へ思いをはせて書かれたのが『フクシマを歩いて』(毎日新聞社)です。
その他にも徐さんは、『フクシマ以後の思想をもとめて 日韓の原発・基地・歴史を歩く』において高橋哲哉さんと韓洪九さんとの対談で朝鮮半島との結びつきに視線を広げています。
今年の元日に起きた能登震災の被害は今もなお深刻な状況が続いていますが、そこに避難と生活の根の問題や志賀原発と計画中止された珠洲原発の問題が問われれています。
徐さんであれば、今の事態をどのように論じただろうか?
日本社会を他者の視線から厳しく論じてきた徐さんがいなくなった今、そして13年目の〈3.11〉を迎えるにあたって、私たちが彼の思考から何か手がかりをつかめる会にしたいと思います。
今回は、主に書籍である『フクシマを歩いて』をもとに語り合いますが、冒頭で60分程度徐さんに関する映像を視聴してから始めますので、必ずしも同書を読まずとも参加できます。
また、カフェマスターである笠井哲也さんに同書の解説と問題提起をしていただくことで進める予定です。
参加費は会場費と資料代で300円です。

著者がかたる『なぜ日本は原発を止められないのか?』

2024-01-18 | 〈3.11〉系


【テーマ】「著者がかたる『なぜ日本は原発を止められないのか?』」
【ゲスト】 青木美希さん
【カフェマスター】竹田洋二 

【日 時】2024年2月10日(土)13:30~16:00
【会 場】福島市写真美術館(福島市森合町11-36)
【会場費】300円 
 ※なお、これとは別にゲスト旅費などにカンパ1,000円程度ご協力いただければ助かります。
【定 員】20名
【参加申込】メッセージからお申し込みください。

 2023年は福島原発事故を過去のものとして忘れさせようとする空気が強まった年でした。すなわち、福島原発事故現場の汚染水の海洋放出、岸田内閣の突然の原発回帰宣言、COP28での原発発電容量3倍宣言など、原発稼働再開に向けての動きが目立ってきました。
 そのような流れに抗って青木さんが出版された「なぜ日本は原発を止められないのか?」は我々にもう一度腰を据えて原発問題と向き合うべきだ、という思いを新たにさせてくれる書籍だと感じます。
 2024年1月1日に発生した能登半島の地震で、志賀原発は相当大きなダメージを受けたにも関わらず、被害の全体像はいまだに明らかにされているわけではありません。と同時に、日本の原発がいかに脆弱な地盤の上に建てられているのかをまざまざと見せてくれました。能登半島地震は自然災害に対する日本社会の対応力のなさを明らかにすると同時に、原発を今すぐやめるべきだ、という自然が与えてくれた最後の警告なのかもしれません。
 原発事故からはや13年がたち、「復興」というスローガンに押し流され、日常から原発事故の記憶が薄れつつある中、青木さんから、お話を伺いながら、いまいちど、原発廃絶に向けて頑張ろうではありませんか。