龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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第一部の内容メモ「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」

2014年09月25日 16時10分32秒 | メディア日記
9/21(日)に東大駒場18号館で行われた、
「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」
の第一部メモができました。
個人でメモしたものですので、記録違い、不明個所もあります。
個人的な忘備録代わりですので、ご了解ください。

以下第1部(樋口先生、國分先生、島薗先生各30分の発表

☆樋口陽一先生☆

このテーマはとてつもなく大きい、それをどう受け止めるかだ。

2つ確認。

一つは、立憲主義デモクラシーについて。
専門家ではない加藤周一のデモクラシーの定義をいつも引用し、用いている。加藤は立憲とは言っていないが、近代のデモクラシーは立憲デモクラシーですからいいでしょう。

「デモクラシーとは、個人の尊厳と平等を前提にした制度である。」

私はこれが重要だと考えている。

ところが今は、個人の危機である。

そこにはまず、ユーロアトランティック文化圏の危機もある。

また、それに折り重なる形で2012年の自民党改憲案もある。

13条の条文が「個人」から「人」に変えられている。
そういう意味では、人類普遍の原理へのコミットメントを排除しなければならない、と草案の書き手は考えている。

草案についてのQ&Aにそう書かれてある。

もう一つ、東アジアの思想文化については、私は語れません。
ここには立ち入れない。ただつぎのことを。

東アジアで曲がりなりにも憲法を制定したのが1889年。
これは個人抜きの立憲立だった。立憲とは、権力を制限するたということ。
建て前としては、帝国憲法も、その立場をとっていた。
1989年には天安門事件が起こった。
1789年からフランス革命。
その先行者として
1689年、名誉革命。

120年前、中国が○○戦争敗北の後、日本に対して関心を持った時期があった。

さて、日本における立憲デモクラシーの危機を、個人の危機というか欠如とみる見方がある。

ステレオタイプとして日本には個人がない、というね。

他方、その見方自体をステレオタイプに過ぎないとして批判する人もいる。 

だが、少なくても事実があるからそういうステレオタイプの批判も起こるのだろう。
(例)
会社の政治的自由と個人の政治的自由の裁判。
あるいは自衛官靖国神社合祀事件。

いずれも原告側(個人)の敗訴に終わる。

問題点は、司法が法人の人格を簡単に立てて認めてしまう、ということ。

(少なくても)個人を前提としているからこそ人権だ、という認識は共有されてこなかった。

日本における個人を意識する場合、二つの視点がある。

一つは、規範的視点と記述的視点ということだ。
アメリカでも記述的に言えば、マッカーシズムやティーパーティを挙げることもできるだろう。

もう一つは知識人と一般人という視点だ。

漱石、吉野作造、永井荷物風、石橋湛山、官僚小野梓……。

皆、知識人は、強迫観念のように個人を考えていた。少数の知識人の間ではそうだった。

しかし、社会一般(司法も含めて)の中では家族を基礎とした集団として国家を考えてきたのではないか。

そこでいったんことが起こると、知識人の徹底的な孤独が起こる。

もちろんそれは西欧でも起こる。

余計なことだが、フランスではレジスタンスができたが、ドイツや日本では組織的な抵抗ができなかった。

戦前ナチスを避けて東北帝大にいたカール・レヴィットが、ヨーロッパのニヒリズムについて書いている。

その中に、ヨーロッパには批判精神がある。日本ではどれだけそれを理解しているのか、という日本の読者に向けた数行がある。

直接的には東北帝大の人たちに。
つまり、日本人は二階建てに住んでいる。二階ではプラトン以来の西洋哲学が並んでいる。しかし階下は日本のままだ、と。

意地悪なカリカチュアだが。


☆國分功一郎先生☆


下の世代としての考え方をいっておきたい

樋口陽一先生の赤旗のインタビューで、1973年に触れておられたのが印象に残った。

あのときはいい意味で民主がけ元気な時代だった。樋口先生はその中にあっても、だからこそ、立憲主義を全面に押し出した。 
ここが興味深い。

私は1974年生まれ。
僕の世代から眺めた日本を考えている。

7/1の解釈改憲を思い起こさざるを得ない。

現行憲法の中で集団的自衛権の行使が可能だとした。

これはどういうことか。

イラクの時は「非戦闘地域」というこじつけでやった。

ところがそういうことをやらない。
本当に有事に備えたいなら、法律を作ればいいのに。

本当に日本に危機が迫っているなら、それは個別的自衛権じゃないのか。 

ということは、本当に有事に備えるなら法律を変えればいい。
集団的自衛権としては不十分。

ということは、自衛権とか関係なくね?

これは、憲法解釈を変えることソノモノが目的なんじゃないの?

結局今の首相の欲望は、憲法を変えたい、だめなら解釈だけでも、という自己目的化しているのではないか?

なんでこんなに憲法を変えたいのか、「怨念」のようなものを感じる。
「今の憲法はみっともない憲法ですから。」
と首相は言っていた。

樋口陽一先生はニヒリズムといっていた。
とにかく破壊したい。自己破壊まではしたくない。

それはなぜか?
僕はなんとなく分かるような気がする。
僕の中にも、なんとなく戦後民主主義に対する反発心がある。

民主が元気なときに立憲主義を唱えた樋口先生のとこばとかかわる。

憲法によって民主主義も制限される。
これが立憲主義の考え方。

戦後憲法の問題点は9条だった。

だが、僕たちには、護憲派と改憲派が空中戦をしているようだった。

護憲をお札のように崇める考え方あった。、これは結局のところ、権威主義的立憲主義だったのではないか。

これが、あたかも民主主義であるかのように語られてきた。
権威主義的なものが民主主義という覆いを伴ってかぶせられてきたのではないか。

怨念の正体がここにあるのではないか。

立憲主義と民主主義が対立するとまでいっていいのかどうかわからないが。

少なくてもこの関係は簡単ではない。

あんまり考えられてはきていないのではないか。


フランスの現代思想では、立憲主義を低く見ている。

たとえばアントニオネグリは、立憲主義に反対している。かなりアナーキー。

この二つをどう接合するか。

安倍首相と政府、支持するモノタチノ理解、つまり

「最高責任者はわたしだ。」

これはメチャクチャだが、ある種の正直な心情の吐露になっている。

最低最悪の民主主義だが、そう簡単に否定できない。

これは立憲主義に対する反発からでてきている。

日本では、民主は高らかに語られてきたが、立憲主義を咀嚼してこなかったのではないか。

木村草太は

東大法学部出の議員が立憲主義ってなんですか?とtweetして叩かれていたが、わからないこおもない、といっていた。

民主主義ではもりあがったけど、立憲主義をきちんと考えてこなかった。

この後どうすべきか?

そういう勢力に民主主義を名乗らせてしまってはいけない。

樋口先生がおっしゃった個人の問題。

自民党草案はひどすぎて話したくない。
ああいう物が民主主義を体現しているとはいわせられない。

民主主義を育んでいかなければならない。

ではどうするんだよ?ということになる。

行政の過程に住民が参加していく道を複数ルート確保していく。
運動すると、情報を得て、理解し、話をするようになる。いろいろな制度を実験していく事が大切。


下からの怨念の爆発のような形で立憲主義が反発され、民主主義が簒奪されようとしている。

やっぱり、ワイマール末期に今の日本は似ている。

レオシュトラウスが書いているニヒリズムと今のネトウヨが重なっている。

ナチスは、民主主義の代弁者として闊歩していた。

これを考えなければならない。

個人が大事なポイント。
もう一つは怨念。
戦後民主主義の反省も必要。

哲学的には立憲主義と民主主義の関係を考える必要がある。

上から立憲主義を言っても先ほど言ったように、怨念に対する「燃料投下」にしかならない。

今は苦しい状況が続くかなあ、と思っている。


☆島薗進先生☆

松平さんは台湾に深い理解がある。川村さんは、仏教にも詳しい。


憲法とか、は上からというか二階からというか。

今、西洋と日本という対比はだめだろう。
だから東アジア。

ワイマール末期のドイツという面もあるだろうが、西洋が遠くなって、中国や韓国が反発しつつ近くなってきている。

近くの文化の関係が立ち上がってくる。

大新聞や公共放送は人民日報に近くなってきている。
日本会議の人が中心の極端な人脈に従来の捕保守や経済界が追随する時代だ。

先ほど言われた1973年というのは、戦後民主主義批判が盛り上がっていた時代でもある。

そのころ民衆文化論、柳田に人気があった。
もちろん個の自覚もあるが、集団の奉仕も尊ばれる。
仏教は個の否定から始まった。
しかし、個の自覚を尊ぶということはあったのではないか。

自民党は宗教界から金集めしているが、教団は離れている。

靖国参拝と平和主義

これを自民党は肯定しないため、離れている。

今の勢力は国体論的勢力。天皇を尊び富国強兵をやろうとする勢力なのではないか。
それはとりもなおさず明治維新のイデオロギーだろう。そこに回帰したいのではないか。
維新だから革新、でもある。

宋学13世紀以降、、国家秩序中心の考え方がある。

基本的人権を尊ぶためには、中国が変わらなければかわらないのではないか。

背後には、1945年に国家神道が解体したことになっているが、そうはなっていないのではないか。

天皇の祭祀は保持した。
この秩序ビジョンは、諸宗教とは一致しない。

これに対して、個人という軸では対抗できないだろう。
仏教神道が儒教さまざまにある。
だから個人ではなく基本的人権。

『国家神道と日本人』という著作で述べている。

日本会議という勢力はそう大きくない。
しかし、政治を動かしている。

明治維新の理論は水戸学。
これは祭政教一致。
国体中心。
儒教理想の日本版である。

ここの古代日本の姿。 
西洋の外圧を受けてクローズアップされてきた。

皇道が重視された。
教育勅語がそれ。

顕教と密教。

国民向けの天皇中心と官僚の西欧化。つまり、国民向けには天皇中心の国体(顕教)。しかし官僚は西欧のシステムを重視していた(密教)。

それが、逆転していく。

精神主義的な軍隊。これは憲法制定と平行してつくられていく。軍人勅諭と靖国神社。

立憲主義をひっくり返して天皇中心の民衆中心の国家を作ろうとした。
国体論的。

戦争体験はだからこそ重要。

失敗の体験だったのに、そのプロセスを示すことができていなかった事が問題。

憲法学と哲学が柱になることは言うまでもないが、東アジアの思想文化のなかでどう消化されたのかされなかったのかが重要。

以上第一部。



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