龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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2011.12.25(日)

2011年12月25日 14時08分58秒 | 大震災の中で
7:30
今日は早朝から町内会の側溝清掃だった。

いわき市は比較的線量が低いから、それほど話題にも上らない……っていう問題なのか、平均年齢70歳以上の黄昏共同体だから気にしないのか、根本的にどうってことないという認識からなのか、側溝の線量、なんて話は誰も口にせず、淡々と朝から泥を流して汲み取り、空き地に置いて終了。

むむむ。

我々は『風の谷のナウシカ』に出てくるじいさんたちのようだ、とふと思った。幾分かは身を縮めて、しかしその状況下で「普通に」生きていくしかない。
汚染された土地は放棄し、風がたまたま守ってくれたためになんとか生活できる場所にへばりついて、大きな状況を甘受しながら何かに対して抵抗することもなく生きていく老人たち。

普通の年寄りなんですがね。
何かあったらそんときはそんとき。
賞味期限が切れた食品を
「サスケねえ」(差し支えない)
といって食べる雰囲気で放射能とつきあっている。

おそらく、東京の人たちからみたら
「土人」
の振る舞いだろうねえ。

でもさ、福島で出た瓦礫も泥も、福島で貯めて福島で処理するしかないんだよね。
実際は福島という「境界線」にはほぼ何の意味もない。
かといってどこが高線量か、なんてホットスポット「自慢」を始めたところで埒はあかない。

除染も所詮限定的な効果しかもたらさないことがわかってきた。
第一比較的低線量のいわき市には、そんなに大規模な除染もなされないだろう。

とすれば、たとえ外部から「茹でガエル」とか「土人」呼ばわりされたとしても、ここに住む以外の選択肢を選ぶのが誰にとって合理的か?
は、じっくり考える必要があるだろう。

私は少なくても、70歳過ぎた彼らの選択は、合理的だと思う。

さて、私は50代で、まあ微妙といえば微妙。
仮に万が一2,3年後に発ガンしたとして、それが原発事故由来の発病だったとしたら、メチャメチャ後悔するのだろうか。主観的にはいろいろクヨクヨするのだろうね。
でも、所詮全てのリスクを管理できているわけではない現状だし、家も仕事もあるこの場所を動くリスクの方がずっと大きい。

だから動かずにいる。

無論いわき市は国の基準では安全な場所、ということになっている。
でも、実際本当に安全なのかどうか、は分かりゃしない。

ただ、分かっているのは、福島県に若い人はしばらく流入しないだろうし、出産数も減るに違いない、ということだ。

そして、繰り返しになるけれど、福島県という境界線は、外部に流通する便利な表象ではあっても、何ら実質は伴っていない。それは事故直後地図の上に描かれた同心円上の避難区域の円と同じだ。

結局のところ、日本中どこでも、外部被曝も内部被曝も、常に細かく計測できる「べき」だと思う。

それが整わない限り、日本中どこに住んでいたって安全は担保されないんじゃないかな。

その上で、福島県とその周辺とかがやはりリスクが高いとするなら、食べ物の収穫時、流通時、そして摂食時にどれだけ正確にみんなが計測できるか、がポイントになる。

素人だってそんなことはわかる。
でも、それがなかなか十分にできていない。

ある種の作為=悪意さえ感じるほどだ。

セシウムはどこに寄せてもなくならないのだとしたら、きめ細かく可視(計測)化して避けるしかないにきまっている。まとめて寄せて浜通りに原発を並べた結果がこのとおりなのだから。
また原発事故の場所に汚染物を集約する、ということになるのだろう。大量に発生した汚染物は他に持って行きどころがない、と私も思う。
でも、「拡散したセシウムは無主物だから、東電には責任がない」っていう論理には失笑した。

わたしたちはそれが誰のセシウムだろうがプルトニウムだろうが、気を使いながらそれと付き合って何十年も生きていくしかないというのに。

いろいろなところに境界線を引いて、その外部に立てばいいというわけにはいかないんじゃないかなあ。

大震災は私たちに「人為の裂け目」を見せつけてくれたけれど、そしてそれは聖なる痕跡として私たちは受け止める必要があると思うけれど、間違ってもそれは神のお告げじゃないのであって、私たちは新たに示された
「生存の可能性条件」
をどう受け止め、自分の力をいかにそこで出していくか、を問わねばならない。

そこでは、想像力を働かせるだけではたぶん足りないんだろうね。






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