龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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福島第一原発視察(その4)

2016年04月26日 21時48分00秒 | 大震災の中で
第一原発に着くと、こんな靴カバーを装着。



線量計を一人一人配布され、胸ポケットに入れておくよう言われる。そこにはこんなポスターが。



構内はバスで巡ります。

4号機はすぐそばまで行きました。脇に使用済み燃料を取り出す時につかった鉄骨の建造物があります。



凍土壁のための凍結用の媒質を循環させるパイプがこれ。既に稼働しています。



唯一震災前の壁が残っている2号機。中は大変なことになっているのでしょうが。



結局線量計は全く表示が変わらず。その3でも書きましたが、構内の線量は当初からは考えられないほど低く安全になっています。
安定的な状況ようやく実現した、というところでしょうか。

ただし、まだこれは「力づくで押さえ込んだ」という表現が相応しい状況だとも感じました。
まるでSF小説のスペースコロニーのようなのです。

火星とか月世界とか、人類が隔離的に居住している状況に近い。
小説と一緒にするな、と人はいうでしょうか。
しかし、私は「スターシップ・トゥルーパー」のように、つまり無理矢理危険な異物をマッチョにねじ伏せるB級映画のようなテイストを、ここの施設には感じました。

だって、全て人工的だからこそ、低線量に出来ているに過ぎない。
通っている国道や取り付け道路は、構内(原子炉建屋から離れた高台の作業する場所)の5倍から10倍の放射線量なのです。
まして、林や山は手つかずのまま。

原発周辺の土地は中間貯蔵地帯になっていく予定です。

確かに、廃炉作業が継続的に行われいくのですから、楢葉町や広野町、そして富岡町の一部にはその作業に当たる人たちの生活圏が形成されていくのでしょう。それはそれで大切な事業であることは間違いありません。
原発は止められても、廃炉はやめられないのですから、これほど確実に継続しなければならない事業は他にない、ともいえそうです。

けれども、これは人為の限りを尽くしたある種の「限界状況」でありつづけることもまた、疑えません。線量が低下した作業環境を仕事をする方達のために喜ぶと同時に、私はとても複雑な思いを強く抱きました。

ここまで強く放射線を強く「制圧」したとしても、これは構内に限定して、のことに過ぎないのです。周辺の大熊町は、これから長い間高線量が続いていきます。富岡町は帰還困難区域と居住制限区域、それに避難指示解除準備区域に分かれています。楢葉町は避難解除にはなったけれど、まだ6%しか帰還していません。

トリチウム汚染水の希釈後海洋放出も本格的に議論が始まりそうです。

私たちは選択できないものを選択させられている。
改めてそう感じずにはいられませんでした。

東京電力や鹿島建設、松村組、東芝、日立などの企業がタッグを組んで汚染除去や廃炉に向けて様々な取り組みを行っていることを頼もしく思うと同時に、廃炉作業でさえ、そうした超大手企業の「商売」の種になっていかざるを得ない「現実」に、いささかならずうんざりさせられます。

こんなことが起こっても、それをきちんと商売にしつつ、原発再稼働を真剣に主張する東電復興本社というのは、どういう存在なのでしょうか。

まあ、廃炉作業は不可避でしょう。しかし、レクチャーでも話がありましたが、東京電力福島第一原子力発電所は、たまたま免震棟が完成していたし、たまたま敷地が広大だったし、偶然の条件があって、現況があるわけです。

もし、別の場所でこんな事態が起こったら?

と考えたとき、私たちはこの事故からどんな教訓を導き出すべきなのかは、自ずと答えは出てくるように思われます。

悪いことは言わないから原発は止めておけ、そう改めて感じました。

と同時に、この廃炉作業を完遂するための環境づくりについては、私たちが皆で考えていかねばならないことでもある、とも強く思います。
国や東電、ゼネコンや原発メーカーだけに任せていてはいけない。

安心して忘却するのではなく、見つめ続けて注文も出していかねばならない。

そういう意味で、視察は継続されていくという話なので、またいずれ見に行こうと思います。

今回視察を企画してくれたAWFの吉川さんには感謝しつつ、みなさんもぜひ、自分の目で廃炉の状況を見て、直接説明を受けることをお薦めします。



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