12月9日(金)、福島市音楽堂で福島県声楽アンサンブルコンテスト(高校の部)を朝から夕方までずっと聴いて、その響きを堪能してきた。
50団体以上、100曲余りの声楽アンサンブル(全部2人~16人までの小編成)を生で聴き続けるなんて経験は、人生の中でもそうはないだろう。
演奏者はリハや本番、練習などがあるので到底無理だし、平日このようなイベントをわざわざ朝から聴きに来るなんてこともなかなかできない。
たまたま高校生の合唱部の引率で、しかも出場が2グループに分かれていて、正顧問が各グループの指導で練習会場に行くので、私はずっと演奏会場で待機しつつ連続してこれだけの演奏を一日中聴く恩恵に浴することができた、というわけだ。
とにかく、すばらしい。私は合唱のステージには何度も立ち演奏もたくさん聴いたことがあるけれど、こんなに多様な小編成の声楽を生で聴いたことはなかった。
昔、皆川達夫という合唱の神様みたいな人が、コンクールの審査員をやっていてハンカチを濡らしながら聴いていた、という話を聴いたことがあった。
嘘だろう、と思った。高校生ごとき(当時はそういうひねくれた高校生でした!)の演奏を聴いて、プロが涙を流すなんてあるわけないじゃん、と考えていた。
さてしかし、今回次々に演奏されるステージを聴いていて、あろうことか、涙がにじんでくるのだ。
震災で心が弱ったのか?
加齢で脳味噌がショートして涙腺が緩んだのか?
眠くてあくびの代わりに涙がにじむのか?
が、これはやっぱり感動の涙以外に考えられない。
それほどに、素敵だった。
上手ヘタは関係ない、といったらコンクールの出演者には失礼だろうか。
なるほど多人数の合唱の場合、正直上手いヘタは素人でも分かるし、ヘタは正直「イタい」こともある。
しかし、少人数編成で各パート1人~2人だと、その緊張感は生でこちらの心まで迫ってくる。
和音がゆらぎ、テンポが振れる。
だが、指揮者を必ずしも前提としないアンサンブルの場合、その身体の微細な揺れを響き合わせて、危うさというか微妙な「差異」のやりとりを前提としつつ繰り返し繰り返し何度も「和声」をその場で「交渉」しあい、「響かせ直し」合いながら幾度も作り上げていく、音楽の不断の生産の場に立ち合うことが聴き手の仕事になる。
これは、音楽好きには泣けるほどに「感動的」なのだ、と初めて知った。
当然、そんなこととは知らずに聴いていたのだが、一位になった郡山東高等学校混声合唱団(十一名)の演奏、
「Le chand des oyseaux(鳥の歌)」
文字通り「鳥肌」がたった。
鳥たちの囀りが、時に不協和音となり、時には美しい和声となり、あるいはてんでに自由な囀りそのものとなり、アンサンブルならではのライブ感と相俟って、もうびっくりたまげるほど楽しい初体験の演奏だった。
そればかりではない。
たった3名とか4名の少人数でステージに立ち、立派にそこに自分達の声だけで音楽をそこに立ち上げてくれた坂下高校や川俣高校の演奏もまた素敵だった。
思い出してみれば、自分達も高校の頃、道ばたを歩いていてもパートが4人揃えばいつだって愛唱歌をハモりながら歩いたものだったし、遠征の帰りは、福島駅の改札口を出ると、市民のみなさんがとおりがかる駅の前で、何曲もその場で歌を歌ったものだった。
そういう、プリミティブ(素朴で幼稚?)な音楽の湧き上がる楽しみと、ステージという緊張とを同時に感じさせてくれるのが、この声楽アンサンブルコンテストだったようだ。
聞くところによると、来年3月には、福島市音楽堂でこの全国大会が開催されるという。
あんまり上手な団体ばっかりだとむしろお上手すぎて「残念」だったりする危惧も抱かないわけではないが、県大会でこんなに楽しく感動的であるなら、ぜひとも聴いてみたい、との思いを強くした。
震災後、ライブを心が求めている。
演劇や音楽は、人の魂にとって間違いなく必要不可欠な「糧」だとしみじみ思う。
本当に素敵だったんですよ!
人数が少ないからこそ、ライブの緊張感と衝迫力はむしろ増すのではないか?
ちょっとだけ技術的なことをいえば、このホールの超長周期の残響は、少人数のアンサンブルにこそふさわしい、とも言えるのかもしれないのだが。
いいものを頂戴しました。出演者のみなさんに、多謝。
50団体以上、100曲余りの声楽アンサンブル(全部2人~16人までの小編成)を生で聴き続けるなんて経験は、人生の中でもそうはないだろう。
演奏者はリハや本番、練習などがあるので到底無理だし、平日このようなイベントをわざわざ朝から聴きに来るなんてこともなかなかできない。
たまたま高校生の合唱部の引率で、しかも出場が2グループに分かれていて、正顧問が各グループの指導で練習会場に行くので、私はずっと演奏会場で待機しつつ連続してこれだけの演奏を一日中聴く恩恵に浴することができた、というわけだ。
とにかく、すばらしい。私は合唱のステージには何度も立ち演奏もたくさん聴いたことがあるけれど、こんなに多様な小編成の声楽を生で聴いたことはなかった。
昔、皆川達夫という合唱の神様みたいな人が、コンクールの審査員をやっていてハンカチを濡らしながら聴いていた、という話を聴いたことがあった。
嘘だろう、と思った。高校生ごとき(当時はそういうひねくれた高校生でした!)の演奏を聴いて、プロが涙を流すなんてあるわけないじゃん、と考えていた。
さてしかし、今回次々に演奏されるステージを聴いていて、あろうことか、涙がにじんでくるのだ。
震災で心が弱ったのか?
加齢で脳味噌がショートして涙腺が緩んだのか?
眠くてあくびの代わりに涙がにじむのか?
が、これはやっぱり感動の涙以外に考えられない。
それほどに、素敵だった。
上手ヘタは関係ない、といったらコンクールの出演者には失礼だろうか。
なるほど多人数の合唱の場合、正直上手いヘタは素人でも分かるし、ヘタは正直「イタい」こともある。
しかし、少人数編成で各パート1人~2人だと、その緊張感は生でこちらの心まで迫ってくる。
和音がゆらぎ、テンポが振れる。
だが、指揮者を必ずしも前提としないアンサンブルの場合、その身体の微細な揺れを響き合わせて、危うさというか微妙な「差異」のやりとりを前提としつつ繰り返し繰り返し何度も「和声」をその場で「交渉」しあい、「響かせ直し」合いながら幾度も作り上げていく、音楽の不断の生産の場に立ち合うことが聴き手の仕事になる。
これは、音楽好きには泣けるほどに「感動的」なのだ、と初めて知った。
当然、そんなこととは知らずに聴いていたのだが、一位になった郡山東高等学校混声合唱団(十一名)の演奏、
「Le chand des oyseaux(鳥の歌)」
文字通り「鳥肌」がたった。
鳥たちの囀りが、時に不協和音となり、時には美しい和声となり、あるいはてんでに自由な囀りそのものとなり、アンサンブルならではのライブ感と相俟って、もうびっくりたまげるほど楽しい初体験の演奏だった。
そればかりではない。
たった3名とか4名の少人数でステージに立ち、立派にそこに自分達の声だけで音楽をそこに立ち上げてくれた坂下高校や川俣高校の演奏もまた素敵だった。
思い出してみれば、自分達も高校の頃、道ばたを歩いていてもパートが4人揃えばいつだって愛唱歌をハモりながら歩いたものだったし、遠征の帰りは、福島駅の改札口を出ると、市民のみなさんがとおりがかる駅の前で、何曲もその場で歌を歌ったものだった。
そういう、プリミティブ(素朴で幼稚?)な音楽の湧き上がる楽しみと、ステージという緊張とを同時に感じさせてくれるのが、この声楽アンサンブルコンテストだったようだ。
聞くところによると、来年3月には、福島市音楽堂でこの全国大会が開催されるという。
あんまり上手な団体ばっかりだとむしろお上手すぎて「残念」だったりする危惧も抱かないわけではないが、県大会でこんなに楽しく感動的であるなら、ぜひとも聴いてみたい、との思いを強くした。
震災後、ライブを心が求めている。
演劇や音楽は、人の魂にとって間違いなく必要不可欠な「糧」だとしみじみ思う。
本当に素敵だったんですよ!
人数が少ないからこそ、ライブの緊張感と衝迫力はむしろ増すのではないか?
ちょっとだけ技術的なことをいえば、このホールの超長周期の残響は、少人数のアンサンブルにこそふさわしい、とも言えるのかもしれないのだが。
いいものを頂戴しました。出演者のみなさんに、多謝。