龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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自分のことばを持つということ(つづき)

2011年05月26日 21時46分38秒 | 大震災の中で
こういう時、私はいつもトム・ハンクスの言葉を思い出す。著名な俳優や監督を招いて、アクターズスクールの学生たちと語り合うたぶん有名なTV番組(題名失念)の中で、彼は

売れない俳優だったころ、タクシードライバーのバイトをしていて、
「オレは俳優なんだろうか、それとも元俳優がドライバーをしてるんだろうか」
と自問することがあった。それでもなおオファーがあったときに仕事ができるよう準備しておくことが大切だったんだ

と語っている。
モーガン・フリーマン(この人も遅咲きでしたよね、たしか)も同趣のことを言っていた。

つまりはそういうことなんだと思う。
成功した俳優の側からみたトーナメント理論的独善とはことなった、前向きの姿勢の称揚といった話とも違う、「隙間」「裂け目」の話に近いんじゃなかろうか。

そういうところにしか、「自分のことば」は宿らない。つまりは、開かれた裂け目を持つ、ズレ、痕跡、としてことばは繰り返しその場所へ向かっていくのだ。たどり着かない手遅れの身振りとして、ね。

だから、気がついたら俳優だった、というのはアメリカンドリームの話じゃなくて、自分なんて消えろ、忘れろっていう呟きや、自分ってなんなんだ?という呻きの方にちかい、いわばむしろ傷とか業とか、そんなもんに近いんじゃないかなぁ。わかんないけど。



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