龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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『有限性の後で』カンタン・メイヤスーを読みはじめた。

2016年07月15日 23時42分46秒 | メディア日記
このブログで2015年1月に触れたことのある

カンタン・メイヤスー『有限性の後で』

を読みはじめた。これが思いの外読みやすい。千葉雅也氏の前宣伝(『動きすぎてはいけない』の出版記念トーク、2015年現代思想対談、ゲンロン2での東浩紀との対談、そして読書人の紹介記事などなど)があったせいか、カンタン・メイヤスーが展開する思弁的実在論(Speculative Realism)の狙いというか、おおまかなツボが見えやすくなっていたからだろう。

どうせ素人のざっくりした感想だから書いてしまうと、カントが周到に丸めて人間の知的な営みの向こう側においた「実在」を、あくまで「思弁的」にだけれどいきなり身近に引き寄せて、そのカント的な「人間」の匂いを粉砕するおもしろさ、がある。

この場合「実在」とはとりあえず「人間」の枠組みの向こう側にある「他者」といってもいいし、望むなら「神」といってもいい。

まあ、人間の側の空気を木っ端みじんに粉砕しておいて「神の救い」とか言ってんじゃないよメイヤスーさん、って感じもするけれど、おもしろい。

だって、世界は突然違った秩序にある瞬間、ズドンと変わる可能性がある、とかいうんだもの。
ベタに受け取ったらこけおどしにもならない。

ただ、千葉雅也氏が彼のドゥルーズ論の補助線として、いわゆる自閉症スペクトラムの症状、つまり世界以前の場所にたたずむありように言及しながら、「非意味的な接続」や「非意味的切断」にフォーカスを当てていたのを思い出し、そこと重ねて考えるなら、この思弁的実在論もあながちこけおどしの荒唐無稽な空理空論、と笑ってすますわけにもいかない、とも感じる。

村上靖夫氏もたしかそんな風な形で触れていたと記憶しているが(本が手元にないのですんません)、自閉症スペクトラムの人にとって、自分自身は世界構築「以前」であり、そこで何とかやっていかなければならないから、擬似的に世界のリズムを整えたり模倣したりしてなんとか仮適応している、というような話だった。

ここからはもう(いや、最初からです、すんません)妄想に近いが、その自閉症スペクトラムの「症状」に近いスタンスを、私たち現代に生きる者たちが幾分か共有しているとするなら、

「世界は突如としてその様相を根本から変えてしまう」

、という経験は、世界「以前」の彼らにとってむしろ親しい感覚かもしれないし、幾分かは私たちにとっても切実な課題にもなりえるだろう。

フランス哲学のケレン味だけを感じてしまうと、「ふざけてるなあ」という感想で終わってしまうが、千葉雅也氏のなんでも拾ってくれる「芸風」のせいばかりではなく、興味深いポイントを素人でも感じられる、そんな種類の本になりそうだ。

まだ途中なのにざっくりした感想を書くんじゃないって?
またまたすみません。最後まで読んでもこれ以上の感想にはならないだろう、と思って書きました。

でも、「なんじゃこりゃ」と思って読み始めた割には、「かなり」おもしろいですよ。

もちろん、「神の存在証明」に惹かれてスピノザを読み出した私の「おもしろい」だから保証はできませんけど。


『ジェンナ 奇跡を生きる少女 』メアリ・E. ピアソン(小学館)を読んだ。

2016年07月15日 22時57分52秒 | メディア日記
おもしろかった。

交通事故で意識を失って昏睡状態を続けていた17歳の少女ジェンナは、事故から1年以上経って意識を回復するが、記憶の多くは失われていた。子供の頃からの動画を観ながら、懸命に自分の人生をたどり直そうとしていく。父、母、祖母との関係、友達との交流などなど、記憶から人生をもう一度捉え直そうとするジェンナの姿は、そのままで十分にすぐれたYA作品の資質を備えたものだが、この作品はそれだけでは終わらない。
 次第にジェンナは自分の記憶を断片的ながら回復していくが、同時にそれは現実との齟齬に気づいていくことでもあった。私とは何か、人間とは、存在するとはどういうことなのか?SFでもありミステリでもあり、青春小説でもあり、家族小説でもあり、哲学的な問いを巡る作品でもある本書は、さまざまな魅力を併せ持っている。

大切なのは結末ではない。むしろ重要なのは描写の力だ。

単に状況設定の奇抜さや、物語を導いていくその「お話の力」ではなく、少女が自分の輪郭にもう一度触れ直していくその繊細でまっすぐな姿勢を描ききっている部分が、この作品の最も大きな魅力だろう。
そこが味わえれば、それ以外はおまけのようなものかもしれない。
だからこそ、そんなに長くない作品なのに読み飛ばせなかった。

作者は私よりもちょっと上の世代。SF的な医療の設定も、SFとして観ればそんなに衝撃的なアイディアではありません。むしろそこに描かれているのは「日常」といってもいいかもしれないような、そんな種類の「近未来」でした。

そういう意味ではふたば未来学園で観た平田オリザのアンドロイド演劇との共通基盤のようなものも感じます。つまり、「不理解」を前提とした接続不可能性を持つ他者(それはもしかすると自分自身かもしれない!)とどうつきあっていくか、という通奏低音のような課題が響いてくる、ということでもありました。

だからこそYA(ヤングアダルト)にふさわしいトーンになっているのかもしれません。


何を読もうか迷って、半日ほどゆっくり本と向き合えるのなら選んで間違いのない1冊かと。


『ジェンナ 奇跡を生きる少女 』メアリ・E. ピアソン(小学館)
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