龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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読むべし『やがて海へと届く』彩瀬まる(講談社刊)

2016年05月01日 21時40分04秒 | メディア日記
久しぶりに小説を読んだ気がした。

震災を題材に取った小説なら

いとうせいこう『想像ラジオ』

がぐっときた。
友人の小説家は「震災を題材にした小説はこれで決まりでしょう」、と言っていた。
(アマゾンのレビューを今読んでみたら、真っ二つに評価が分かれていて、「何が面白いんだ?」という読者も多く、なるほどそうかあ、と思った。

私は『解体屋外伝』のいとうせいこうにふさわしい作品だと感じたけれど。

今年になって

天童荒太『ムーンライト・ダイバー』

を読んだ。
一気に読めて面白かったし、ダイバーの相方の船頭の造型などはさすがだと思った。思いを残した遺族の描き方も読む限りにおいて納得。だが、誰かに紹介したいとまでは思わなかった。

ところが2016年4月になって、

彩瀬まる『やがて海へと届く』講談社

を読み、まるであの頃に引きずり込まれるような衝迫力(むかってきてひきずりこむちから、みたいな)を感じた。

作品の「窓」はきわめて小さい。友人(すみれ)を震災で失った悲しみを心に抱き続けようとする私(湖谷真奈)と、遺品を整理することで区切りを付けようとするその友人の恋人(遠野)の3人を巡るお話だ。
説明するのが難しいのだが、これは当然死者を巡る残された二人のお話、というフレームとして最初読まれていく。だが次第に、これはその向こう側にいる死者の「すみれ」のお話でもある、ということになる。

まあ、当然のことだ。

だが、この作品のことばの力学は非常に繊細な手つきで、向こう側の糸とこちら側の糸を丁寧に織り込んで一つの布を織り上げていくのである。

短編連作に「弱い」(=ツボ)という読み手であるこちら側の癖もあるのかもしれないけれど、この作品にはそれがよく似合っている。

そこで繰り返し描かれる靴やほくろや、仕草やことば、そして名前や身振りというきわめて具体的なモノたちが、その三人の物語の「織り上げ」に役立っていく。

いとうせいこうの『想像ラジオ』に向けられた酷評が、もしかしてこの彩瀬まるの『やがて海へと届く』にも向けられたらとても悲しいと思うので、敢えて書いておくが、震災を巡ることばたちにとって大切なのは、「想像力」ではなく、「糸口」だ。言い換えれば、そこで語られてほしいのは「感動」ではなく、「手触り」だ。

私はテクニックとしてではなく、P33の表現に息を飲んだ。
そこには、『想像ラジオ』では饒舌なDJのことばによってなぞられていたものが書き込まれていたからだ。

(私の)魂のことばがそこに書き込まれている、そう思った。

そうしてすすんでいく物語は、三人が主役である場所から、ふと、足を離していく。その瞬間(P202)、読者はだれでもないどこでもない人と場所に出会うことになるわけです。

でも、そのためには一つ一つ具体的なモノへの慈しみの描写が必要でもあったのだと、後から気づかされます。同時にそれは後から気づく以外にないことでもある、とも。

柄の小さい、小説というには躊躇われる中編ですが、やはり傑作と言わねばならないでしょう。

未読の方はぜひ読んでみて下さい。


第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える(仮題)」 の趣意書

2016年05月01日 18時42分50秒 | 観光

第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える」
の趣意書です。
ぜひおいでください。
そしていろいろ一緒に考えましょう。

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第6回エチカ福島が迫っている。5月21日、金山町。金山町は人口2000人強。高齢化率は60%に近い。僕がそこに暮らしていた30年前は30%で、その頃は日本社会を先取りしていると言われていた。同じ頃、都会ではバブルに浮かれていた。しかしこの町に暮らす僕たちは、真面目にこれからの僕たちの生活を見直さなければならないと思っていた。その頃若かった僕は、それはおカネというもの価値について考えることだと思った。
金山町は只見川沿いにある。只見川は戦後復興から経済成長をささえた電源開発の舞台である。只見町、金山町、三島町には巨大なダムが林立する。ダムができる前は、谷あいの寒村であったろう。狭い耕地に農作を行いつつ、木を育てて生活をしていたという。しかしダム建設はその生活を一変させる。ダム建設のために鉄路も作られ、それが只見線となる。新しい道路、新しいトンネルが作られる。そのための労働力が必要となり、町には多額のダムの補助金がもたらされ、人びとがここに集まって来た。やがて電源開発政策は原発にシフトしていく。工事の需要も減り、補助金も減額される。それに加えて、木材需要が輸入木材によって激減してしまう。かくして急激な過疎化が進んでいく。30年前には、三島町では付加価値のある木材を商品化しようと試みられていた。金山町のこの自然そのものを資源とした金山町の「自然教育村」という試みは、自然と自然に培われた生きる知恵に基づいた人々の生活、その蓄積としての歴史を、根無し草の都市生活者に「教育」をしてあげようという意味だと僕は解釈し、実に痛快に思った。どこの田舎も観光リゾート一色で、有り体に言えば、都市生活者の落とすカネをあてにしようといた。そういう試みの多くはバブルとともに潰えた。
さて、金山町の「自然教育村」はどうだったのだろうか。残念ながら目覚ましい成果を上げたという話は聞かない。しかし、僕はその考え方にこそこれから僕らが目指すべき社会のヒントがあると思う。
つまり、田舎にこそ人間の生活の豊かさがあるという発想である。もちろんその豊かさとはカネとは別の価値である。

金山町の人口は30年前に比べて3分の2に減少してしまった。ある時期、ダムやそれに関係する工事によって人口は急増したわけだが、現在の人口はダム以前の人口をも下まわってしまっている。ダムなどの工事やダムの補助金は、財政をバブルのように膨らましたただろうし、工事の労働賃金は農作や木材生産のもたらすカネとは比較にならなかったはずだ。それは町にとって間違いなく恩恵であった。しかし、やがて補助金というバブルも工事の需要もしぼんでしまった。これは金山町だけの話ではく、日本中の中山間地域をはじめとする、いわゆる田舎が抱える問題だ。田舎が自活する術を講じさせないような政策が続けられた。田舎の自治体の首長の多くが建設土木関係者であることは象徴的だ。しかし、おそらくは田舎の再生のカギは、建設や土木の需要をもたらす誘致ではないと思う。 

深瀬幸一(福島県立橘高等学校教諭)

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第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える」のお知らせ。

2016年05月01日 18時33分47秒 | 大震災の中で
第6回エチカ福島というイベントを、5月21日(土)に開催します。

「金山町で未来を、日本を考える」

日 時:2016年5月21日(土)14時~17時
場 所:福島県大沼郡金山町生活体験館
発表者:押部邦昭さん(金山町役場復興政策科の方です)
申 込:不要
費 用:資料・飲み物代100円
連絡先はethicafukushima@gmail.com

です。