龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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ジル・ドゥルーズ『スピノザと表現の問題』がようやく読める

2016年01月11日 20時38分14秒 | 大震災の中で
スピノザと出会って10年。
上野修のスピノザ本を読み、ドゥルーズの『スピノザ 実践の哲学』に触れ、スピノザのテキストを通読してから5年。
この『スピノザと表現の問題』という本を開く度に、皆目分からないまま討ち死にしてきた。
國分功一郎『スピノザの方法』を読み、一年間の講座を受講してようやく『エチカ』の下巻は身近になってきたけれど、それでも『スピノザと表現の問題』は読めなかった。

それが、昨秋リリースされた日本語版『アベセデール』(ジル・ドゥルーズインタビュー)を一通り観てからお正月にもう一度この本を開いてみたところ、これがなんと読める感じがしてきたのだから正直びっくりした。

当然のことながら私にこのテキストの哲学的読解ができるはずはない。
そういうことではない。

だが、

実体(神)→属性(思惟と延長)→様態(事物、たとえば人間とか?)

という哲学的な基本さっぱり分からない概念がなぜこのようにもちいられているのか、が、國分さんの講義とドゥルーズのインタビューを脇に置きながら考えていくと、ぼんやりながらスピノザの「世界」と捉え方というか、

國分→ドゥルーズ→スピノザ

という道筋がおぼろげながら見えてきた感じがする。何が分かったというわけではなく、全くたどれなかったものが、こっちの方かもしれない、と道の端緒が見え始めたぐらい。でも幸せな夜だ。

この第一部で述べられている「無限」についての議論をもう少しきちんと理解できればもうちょっとクリアに理解できるのではないかという感触。

原稿の締切から逃避すると、本気で本が読める、といういつものことではあるけれど。