龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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福島から発信するということ(31)

2011年08月31日 20時57分49秒 | 大震災の中で
福島県の人口が住民票ベースで3月以降、2万7千人ほど減ったという。
まだ住民票を移さずにいて、いつか戻ってきたいと思っている人たちのことを勘定に入れると県外に移住した人の数はもっと増えているのかもしれない。

そして、避難している人の多くは若い世代ではないのか。
切ないことだが、当然だろう。

私達残って生活しているものにできることは何だろう、と思う。
3月から仕事場の机が6回も変わった。毎月引っ越しをしているぐらいの勘定になる。

同じ建物の中で1度目、その棟が立ち入り禁止になって隣の棟に2度目、そこがイエローゾーンになってさらに離れた棟に3度目、市内の大学で仮授業がはじまるので4度目、夏休みになって借りていた大学を引き払って5度目、その後3週間してようやく仮設校舎が完成して6度目。

正直、日々の仕事をしていくだけで精一杯。心身ともに限界が近いと思う。
3月までは当たり前のことだと思っていたことが、少しも当たり前ではなかったことにひとつひとつ気づかされながら、しかし日々の生活の基盤が不安定なところだからこそ、その「当たり前」を手探りしながら確保していかねばならない。

「非常時」というのは面白いといえば面白い。
だが、いささかならず疲れてきた。

どんなことを基盤として考えるのか、これからどうしてもやらねばならないことは何か。
不便で不自由で、こづき回されるような「被災者」として流浪の生活を送っていると、以前ぼんやりと考えては途中で放棄していた「ミニマムエッセンス」についての思考が、自然と深まってくるのを感じたりして、もう心も体も「引退」を望んでいるのが明らかなのに、手遅れに近くなってから物事が見えてくるような気にもなってくるから不思議なものだ。

授業のミニマムエッセンスとはなんだろう。
自分の人生における必須かつ最小限の「荷物」とはなんだろう。

石川淳がその自選選集の序に
「日暮れて途を急ぐ。道中重いつづらをねがはない」
と書いていたのを思い出す。まことに、そんな心境だ。
では、「軽いつづら」に何を入れるか。

ようやく仮設校舎に居を据えて、これからしばらく(本校舎を建築する財政的な余裕が、果たして福島県にあるのだろうか、と心配になるが)、ここで仕事をする。また日常に埋没してしまう前に、「つづら」の中身をせめて考えていきたい。もうこの仕事も数年で先が見えてくるころになって、神様も面倒な宿題を出すものだ。

でも、本当はそういう「宿題」を出してもらって良かったのかもしれない。そうでもなければもっと早くにお爺さん予備軍の身振りを探し始るところだった。

そう、この大震災は幾分か自分自身を生き直す舞台に上がる「切っ掛け」を与えてくれたのかもしれない。
ま、だからといって何かが「分かる」ってものでもないんだろうけれど、考えることは止めずに済む。それだけでも、いや、それこそがなにより有り難い。