龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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大震災以後を生きる(27)

2011年08月09日 15時16分00秒 | 大震災の中で
今これを打っている新宿の喫茶店のテーブルに
「当店では十五穀パンはアメリカ産米を、白玉はタイ産米を使用しています。」
とある。これは日本産米(とか福島県米とか)じゃないから安全ってこと?
指し示してる「文脈」を考えてしまう。日本産米じゃないからゴメンナサイっていう話じゃないよね(こんなことを書くとタイとアメリカにゴメンナサイですが)。

いろいろゴメンナサイ的排除が進行してるなあ。そのうち「土地」も汚染されてない日本以外のものがよい、ということになったりして(日本の国にゴメンナサイ)。

ちなみに、東京のホテル、線量そんなに変わらないですね。
福島県のいわき市と。
0.1~0.18マイクロシーベルト/hの表示。
たぶん首都圏だってマダラに線量が高いのでしょうね。
「フクシマ」もマダラに線量が高いのだけれど、記号化されて便利に排除されている。

その枠組みを大きく取ると、外国産米が安全って話になるのかな(考え過ぎ)?

この「ケガレ」をカテゴリカルに排除して安心してしまう心性は、放っておくとどんどん世界が狭くなる。

他方、その偏狭な視野のまま「世界標準」を目指すと、これはこれでえらいことになりそう。

後者の例でいえば、米の先物市場再開も、市場に米を委ねる前にやることがいっぱいあると思うなぁ。

生産者側からいえば、急激な市場化は零細な兼業農家を一気に排除する危険がある。
消費者から言えば、貧乏人はいざとなったらやすい米を食べろということになりかねない。

爆発的な高騰を防ぐのが先物取引の目的だっていう原理論はわからないでもない。

しかし「主食としての米」っていう私たちの「了解」をまな板に乗せて切り刻むためには、まず小さい現実と大きな改革の二つを同時に進める繊細さとしたたかさが必要だ。

まずは徹底した情報の公開とシミュレーションの提示、そして方向性の哲学と、考えられるリスクの徹底的な説明が必須だ

今の米の生産・流通の現状が中途半端な感じがするのは素人の私でもよくわかる。

だが、繰り返すが米は主食だ。
農民が土地を離れては日本の米作は成り立たない。

高齢化する兼業農家に将来を任せられないのは自明だとしても、その改革がどうして米の先物市場からなのか。

むしろ日本人は、そして日本の若者は今むしろ、土地と、自然と、モノと向き合うことを潜在的には求めているのではないか。
たんなる「自然」に親しむ快適生活のレベル、個人的ライフスタイルのレベルではなくて、生き方というか哲学のレベルで「日本人の主食としての米」は考えられるべきだろう。

経済の問題から先に語れること自体の不幸を感じる。

もっと人が農業に流れていける仕組みを(福島は放射能除去が先だけれど)整えていくことが必要なんじゃないかな。
そういうグランドデザインがあって、兼業零細農家の高齢化&後継者不足をどうするか、トータルな議論をしましょう。

なんだか、「改革」という名の「効率化」「透明化」だけが先行しそうでいやな雰囲気がするなあ。
どうなんでしょう、そのあたり。
ウォッチしてかなくちゃならないです。

今までなんにも考えていなかったことを自覚。



福島から発信するということ(27)

2011年08月09日 14時32分10秒 | 大震災の中で
以前

「外側から安全だと言われると腹が立つ、危険だから逃げろといわれるとイラつく」

と書いたことがある。それは

「被害者として扱われると憮然とするし、原子力ムラの一員として見られると釈然としない」

ということにもつながっている。

しかし、
外部からの言説に反応しているだけでは、いつまでもアンビバレンツな心的状況が続くばかりだ。

数ヶ月が経って、そうやって他者の言説の隙間で立ち尽くしてばかりいるわけにもいかないとも思い始めた。

どちらの「言説」の側にも立てないのだとすれば、自分たちの言葉を立ち上げるしかない。

当たり前のことだし「福島から発信するということ」という題名もそこを目指している。

でもこれが難しいんだな。

いつのまにか、どこか別のことばの共同体からの発話になってしまいそうで。

福島の牛乳は流通していないけれど、大手メーカーの牛乳は店頭に並んでいる。
福島の桃は例年に比べて全国発送量は少なくなっているのかもしれないけれど、県内には潤沢に出回っている。
お米はどうだろう。古米が安く流通中。でも新米が出てきたら(福島県産は流通できるの?だれが買ってくれるの?)どうなるのだろう。

牛肉は?全頭検査なんて実質できるの?そのあいだに福島の畜産農家は壊滅的打撃を受けて廃業してしまうんじゃないの?

子どもたちはどんどんここ(福島)から外へ避難していくのだろうか。
来年の今ごろは、もっと福島は人が少なくなっているのだろうか。

今は本格的に操業再開していないから話題にならないし、水揚げする港も復旧していないけれど、福島の漁業は再起不能なの?

不安や疑念はどんどん膨らんで来て、言葉は押しつぶされてしまいそうだ。


誰一人、以前のような生活を営むことができない「空白地域」を抱えている福島を生きるということは、ブラックホールのように問答無用の闇を内部に抱えて生きることでもある。
そしてそれは「人為の裂け目」という意味では「自然」の「闇」でもあるのだ。セシウムは原子力以前にはこんな形で
自然界に存在しなかったとも聞く。人為の究極である原子力発電は、そういうものを「自然」として産出したわけだ。

私たちはその「産出された自然」と共に生きることを学ばねばならない。十分に制御することはできず、始末することもできずに数十年もおつきあいしなければならないのだ。核燃料に至っては数万年単位でのおつきあい!

そんな中で「辺境」を生きる哲学をどう立てていこうか。
現実が負の闇に捉えられているからこそ、世界の強度を確かめるには「哲学」が必要だ。


ケガレを排除して清浄な擬似自然を設定し、その中での最適化胃を探る「箱庭的処世術」が私たち日本の技だとするなら、それを単なる排除の論理として「ムラ」を形成するばかりではなく、その得意技を使って、この福島の現実を「繰り込んだ」上で「最適解」を見つけていかねばなるまい。
ちまちました処世術の「結果」に押しつぶされてはいられない。人間の営みは自然にとってはちっぽけなものだが、その「ちっぽけだ」という認識を「箱庭的処世術」に還元してすませるわけにはいかないのだから。

与えられた現実を第二の「所与」=「自然」として捉えるのがこの国の「処世術」的得意技だとするなら、この福島も勘定に入れてほしい。

いや、誰かに頼むばかりではいかんね。

「差別」され「排除」され、活動停止させられていく「ケガレ」というオブジェクト(客体)ではなく、「ケガレ」という状況に縛られたサブジェクト(主体)ではあっても、その場所から声を出し続けていきたい。

青森に3日滞在し、青森・五所川原・弘前のねぶた・ねぷた祭りを観てきた。同じ青森県のお祭りとはいっても、それぞれにテイストは大きく違う。
お祭りは眺められる客体であるばかりではなく(観光として流通するためにはそういう透明化・統制化も必須だけれど)、主体として参加するエナジーが必須だ。
それぞれのバランスの違いが感じられておもしろかった。

今年、地元いわき市は小名浜港の花火大会の実施が見送られた。復興を禁じられたかのように未だに信号が点灯しない湾岸道路を走り、復旧しない魚市場とその周辺の魚屋さんの店舗を観ると、胸が締め付けられる。ここだって、青森ほどではないけれど、花火大会では身動きができないほどの人手になった。寺泊に負けないほどの海産物のお店が並んでいた。

私たちには、これから先、長い長い黄昏を生きる覚悟が要る。

何ベクレルのどんな食べ物をどれだけ食し続けたら、内部被曝が、外部被曝の何とかシーベルト/hと同じ水準で比較できるのかもわからないまま。

今、地元を離れた旅の途中、新宿でこのブログを書いている。隣では年輩の女性が相方に、ネットショッピングの便利さを力説している。アマゾンの送料について思わず教えて上げたくなった。

それぞれの「辺境」を私たちは生きていて、その「辺境」の暗黙的ルールを前提にして日々の生活を営んでいる。そういうことを旅は改めて教えてくれる。

ちょっと前までは、この東京の喫茶店のような会話が日常だったのにね。

今は、全ての事象を、震災と原発事故の「聖なる痕跡」と照らし合わせて考えずにはいられない。

自分がそこにいつづけることの前提を問いながら、そこに居続ける生活を続けていくことになったということか。


原発事故を前提として考慮しない言説は時代の検証に耐えない、という社会学者の指摘が胸にしみる。

なかったことにするよりは、排除されるほうがまだましだ。
異議申し立てが可能だから。

上手く行っているうちは(そしてうまくいかなくなりはじめても決定的崩壊に至るまでは)透明化・効率化を目指す言説で世界を固めていこう……そういう考え方、そういう「縮減された処世術」的言説を「敵」とすべきなのが、次第にわかってくる。

出発点は「どうすべきか、どうすればいいのか」よりも「どうしたいか」だね。

「どうしたいのか」を前提にして支援し続ける声を日々出していこう。

小さな「初期衝動」のボールを、へんてこりんではあっても拾いつづけていくことかな、とりあえずは。



大震災以後を生きる(26)「辺境の処世術その2」

2011年08月09日 13時03分11秒 | 大震災の中で
勤務校の高校2年生に
「大震災の中で」
というテーマでレポートを書いてもらった。夏休み3200字×300人を読むのが私の宿題。その中にこんな一節があった。

災害救援ボランティアが全国から集まって来てくれた。しかし東電原発の水蒸気爆発が起こり、その影響は地元の人ばかりではなくボランティアの人を動揺させる。そのときいったんボランティアの人たちが引き上げるのだが、広島・長崎の被曝地から来たボランティアだけは自分たちと共に行動してくれた、という。

生徒が見聞した限られた例にすぎないが、「辺境」を生きるって、そういうことなんだ、と私は感じた。

別に被曝の危険を犯してその地の人と共に動くことが単純に「えらい」=
善な訳じゃない。

見方によっては「愚か」という評価すら可能かもしれない。わざわざ外から来て危険を冒す必要はないだろう。帰るところがあるならいったん戻って安全を確認してからまたくればいい。

所詮ボランティアなんだしね。
その通り。

でも、汚染が検出されていない薪を拒否した京都の「賢明」さより、寄り添う「覚悟」(愚かさとは違う)のある被曝地出身のボランティアの方がカッコイイ。ただしもちろん、他人に称揚される言われはないけどさ(海江田大臣が線量計無視で作業をした人を「英雄」扱いしていたけれど、それは他人のフンドシで取る相撲の典型)。錯誤もはなはだしい。

だからといって、鬼頭秀一氏が駒場の公共哲学のシンポでそれこそ「声高に」叫んでいた「大人は被曝覚悟で被災地の食べ物を食べるぐらいの姿勢が必要だ」みたいな「日本はひとつ」的なことを言われても正直困るんじゃないか。

中西準子氏の環境リスク論にもあるように、重要なのはトータルなリスク管理だ。

どういう「基盤」を据えて生きるのか、というグランドデザインを踏まえ、どこまでのリスクを全員が共有し、また享受するインフラなり「自然」なりと捉え、なにを個人にゆだね、どういう方向性をもって現実を少しずつ動かしていくための支援を行うのか。

自主避難を補償・支援しないこの国の行政には心底がっかりです。
同時に、とてつもない初めての現実を前にしてもなお、法律上の破綻なき「行政」や「組織」を優先してしまう「処世術」にはめまいがします。

いたるところでそういう縮減した「ムラ」に「最適化」した「処世術」の誤謬が見受けられる。

原子力ムラへの(今となっては)「過剰適応」も、頭のいい人地位の高い地位の人ほど「バカ」というわけではないのだろうから、どうしてその与えられた「箱庭」的フィクションに自分を最適化する「処世術」を選択してしまったのか、は徹底的に問われるべきでしょう。

根本的にその「処世術」で生きている人は、その行為が「私的」であるという認識が欠如しているのだろうと思う。
あたかもそれが「公的」空気を支えるものになっている「現実」があったのでしょう。

そうでなければ人々が次々に脳みそをヤられていく理由がわからない。

だから、「利権」で私服を肥やした的個人への追及では、この「現象」は解明できない。

「処世術」の原因を単純に「個人」に還元したりあるいは「社会」に還元する限り、「先」は見えてこない。

なんか「竜馬」や「黒船」を待望するしかないってことになりかねない。

30年のセシウム半減期を背負った福島には、竜馬も黒船も期待はできないわけだし。

「辺境」の文脈を踏まえた「処世術」(大臣の進退を云々している政局報道自体、適用を間違えた「処世術」の典型ですよね)の有効射程をきちんと考えた上で、それをどこでどういう風に「有効利用」しなおしていくのか、が私たち(これは日本人全員に)問われているのだと思うのです。

イタリアとドイツは(日本ともある意味通底する)「ファシズム体質」的?なるものを有効利用して「脱原発」の一歩を踏み出した。

それはアメリカのスタンダードではないし、ある意味「斜陽」していくリスクを取ることかもしれない。

でも、原発の電力は日本経済に必須だ、と言い続ける日経のような主張は、虚構の箱庭における「最適解」にすぎないのじゃないか。

片方のリスクだけを言い募る縮減された言説の匂いを感じるのは私だけではないだろう。

大間のマグロ漁港のすぐ隣にも原発が建設中だし、日本の穀倉地帯新潟にも柏崎原発があるし、首都圏の喉元には浜岡原発があある。

そして福島ではこうして現実にひでえ汚染がおこった。

正常な感覚でいえば、「原子力発電」を所与の前提として虚構の箱庭的日本経済の「豊かさ」をいつまでも握りしめるのはどうかと思うなあ。

つまり、反原発を30年も言い続けてきて実現しなかった「反原発ムラ」の人たちも「原子力ムラ」の人たちと同様に、「縮減化」した処世術的言説の限界をきちんと自覚してもらいたいということです。

むろんそれは、まず何よりも事故が起こるまで自分の土地や生活を危険にさらしているのに「容認」し続けてきた福島県民の問題なんだけどね。

原発の善悪を問うて見ることが大事なのではない。当然、放射能をゼロに限りなく近い生活をすることは大切だが、放射能=絶対悪=究極のケガレとして世界を縮減し、「清浄な自然」を京都で守ることが「善」なのでも(むろん「悪」なのでも)ない。

私たちはもはや、

「辺境」に生きることを所与としてその中で「清浄な自然」を探し求めて生き方を最適化する

という処世術=「思想」だけでは足りないのだ。

その「辺境」はいたるところに多様に現れ続けている。福島はその波頭の一つにすぎまい。

日本を一つに考えて簡単に「所与」とするような縮減的言説に、ねばり強くNoを言い続けよう。

同時に、限定されたところで最適解を見つける我々「辺境人」の知恵や身振りの特質を、バラバラに「辺境」が偏在=遍在する「今」において、どういうグランドデザインを描くことと結びつけていけるのかを、さらにねばり強く考えていきたい。

世界標準なんてクソ食らえ、だ。
だが同時に、「縮減された」擬似制度的共同体だけに最適化する「処世術」と堕した「辺境人」の身振りもまた、クソ食らえ、だろう。

原子力行政は、そのねじれの中でできあがり、上から目線では植民地政策的に執行することによって、地元からはお上からの利権を「所与」とすることによってねじれた「合意」が成立してきた。

その結果中央では政財官学の「原子力ムラ」が、地元自治体では補助金と雇用に支えられた「原子力ムラ」が、それぞれ小さな「処世術」をフル稼働させて維持されてきたわけだ。

私たちの自然観は、「見立て」を虚構として楽しむ限界と健全さを取り戻すべきときだろう。

改めてそれは想像力の問題になる。

モノと自然は裏切らない。

個人の生き方に還元されない「処世術」。それはやっぱり「哲学」と呼ばれるべきものになるんだろうね。

モノと自然について哲学的想像力を巡らしつづけること。
今まで考えられていた文学的想像力とは別種の、
ね。


「辺境」における「自由」の問題にもつながるのかな。




大震災以後を生きる(25)「辺境の処世術その1」

2011年08月09日 11時37分09秒 | 大震災の中で

『日本辺境論』内田樹という本がある。
日本人はずっと「辺境」を生きてきたのだし、そこに生きる身振りの最適解があるのだから、「中心」を生きるなどと考えないで自分たちの生きぶりを再確認し、むしろ「辺境」でGo!だぜ、という話だ。
卓抜な日本人論(懐かしい響き!)である。

他方、今や誰も知らないと思うが『辺境』というのは、井上光晴という作家が作っていた雑誌の名前。
  石牟礼道子(1927- )の『苦海浄土――わが水俣病』や永山則夫の読書ノートが掲載されていた季刊誌。それをふと思い出した。
小説『地の群れ』は被差別と「被爆者ムラ」(フィクションなんですが)の絶望的な確執を描いたもの。
小説『明日』は長崎原爆投下の前日の生活を描いたもの。
そういう意味では原発事故の真っ直中でフリーズしたままの福島県は、「辺境」であることによって世界の「負の中心」を瞬間的には生きてしまっている場所だといえるかもしれない。

そういう意味で世界の『辺境』と化した感もある福島にいると(思いこみとさじ加減もあるんでしょうが、これからじわじわ厳しい現実が後から迫ってくるのだという覚悟はしています)、「辺境」とは何かと改めて考えさせられます。

関連して考えたいこと。

「京都五山送り火」(16日)で陸前高田の松を薪として燃やす計画が中止になった(市長ではなく、地元保存会の決定だという)ことに、今日(8/9)は朝から批判的TV報道が流されていた。
検査してセシウムが出なかったのに拒否された陸前高田の被災者のみなさんは「期待させといてがっかり」という思いに駆られるのだろう。

京都は「セシウム」の汚れの「おそれ」をふくめて排除したんだと思う。首長じゃなくて、という京都市長の「いいわけ」コメントも振るっていたし、行事の「保存会」の人のコメントもぐだぐだだったけれど、それはそれで見識、とまでは行かないけれど、「中心」としての「辺境」=京都を守る意識は徹底していていっそすがすがしい。

田舎者は石でもぶっつけておくよりほかに手だてがないだろう(苦笑)。

万一「抽出検査」では大丈夫だったんですけど、気がついたらその灰で京都も汚染しました、なんてなっちゃあシャレにならないものね。

ま、明確にセシウム汚染されている福島はそういう土俵にも立てないまま、セシウム汚染瓦礫を「移動できない」自体をもしかするとこれから数十年生きなくちゃいけないわけで。

皮肉を言うつもりはないのだけれど、「ニッポンはひとつ」
ではないってことは重々承知しておけばいいのだ、と思うのです。お祭りはその地元の神様との交渉ごとだから。

だから、京都も「中心」といういわゆるひとつの「辺境」なわけでね。
守れるものなら、それを文化としてでも観光資源としてでも守ったらいい。

ケガレを払う「清浄な自然」というフィクションを懸命に守る身振りは、ちょっと前までの自分の中にもあったものだ。
ちょっと前までは外国産の食べ物が心配だった日本人は、原発事故以降、外国産の食べ物の方が安全になった。

つまり、結局箱庭的に縮減された虚構の中で「清浄な自然」を再現してその中に身を投じて最適化していくのが「辺境の処世術」だとするなら、それを伝統芸として続ける人には続けてもらっていていいと思う。「京都」は大きな政治の中心ではなくて、コップの中の精緻な文化装置を逆説的に「辺境の中心」として機能させ続けてきたのだろう。そういう歴史の匂いは感じるよね。無理矢理平等に薪を受け入れない方が京都らしいともいえる。


逆に、その「閉鎖性」に苛立つかのようにグローバルスタンダードに追いつこうと懸命になってTPP参加を急いだり、米の相場を旧態依然としたコントロール下に置くのではなく、市場原理によって「合理的」にすることで農業を再編成して生き延びようとする人たちもいる。

彼らはもしかすると「辺境の処世術」を乗り越えるべき困難と見ているのかもしれない、と思う。

でも、とりあえず短期的には「絶対的辺境」として名を挙げてしまった福島から見ていると、どちらも少し異和の感触がある。
それについて少し書いておきたい。
(この項続く)