龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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今まで、いかに無駄な力を使っていたか

2010年06月06日 19時47分04秒 | インポート
ノドを痛めたので、ささやき声でしかしゃべれなくなった。
ところが、なんと驚いたことに今までのような大声ではなくても、話はほとんど相手に通じるらしい。

今までなんと無駄なエネルギーを、発話に関して浪費してきたことか。

少々びっくりした(笑)。

なるべく不要な会話をしないようにすると、気持ちが心の中で妙に落ち着き、無駄な動きがなくなってくる。
武道じゃないが、心の手さばき、足さばき、つまり心の「身のこなし」が無駄ない動きになってくるのだ。

不思議なものです。

もっとも、人間はどんな状況にも慣れる。
一時期子育てから離れて単身赴任したときには、夕方から就寝時まで、毎日2,3冊づつ本が読めた。
しかし、そんなペースは結局1ヶ月足らずしか続かず、いつのまにか「なんとなく」日々を過ごすようになっていく。

そんなものだ。

何かをしたいと思ったら、凡人には外部からの「圧」が必要だ、ということだろう。

ただし「外から」の「圧力」といってもこれが微妙で、カントさんじゃないけれど、「道徳」を自ら「選ぶ自由」ってのが要諦なんだよねえ。
「強制の釘は自分で打つ」
ってこと。

神様の存在証明も、近世以降、信仰を前提として「一者」から降りてくる中世のやり方じゃなくて、こちら(人間個人の)側から要請され、「必然性」を証明証明する形に変わっていくのも故なしとしない。
神様いないって考えるのは簡単だけど、普遍性をどう担保するのかっていうのはやっぱりついつい考えてしまうものなあ。

公共性と個人っていう見せかけの対立を「超え出る」というか無効化するというか、そのあたり、たしかに鍵になりますのお。