100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

[韓国」編 日本と韓国14 鎮海チネ1 桜祭り1

2011年05月12日 08時23分38秒 | 韓国

 今回の旅行のキャッチフレーズの一つが「桜の鎮海を訪れる」でした。満開間近でした。

 ここの桜は日本と縁の深い歴史を持っています。まず鎮海が旧日本海軍の軍港だったことから始まります。(鎮海と日本とのかかわりについては次回紹介します)以下の記述は主に「ある日韓歴史の旅」(竹国友康著)によります。

この地に軍港を建設するようになって都市の美化のために桜を植えたのが始まりです。(1910年)

       1945815日以後、桜は日帝(日本帝国主義の韓国での表現)の残滓と言われ多くの桜が伐採されました。しかし1962年にソメイヨシノの原産地が日本ではなく、韓国の済州島に自生するワンポンナムであるとの説が現れました。(この説は間違いのようです)そのため1960代頃から1975年をピークに在日韓国人を中心に日本から大量のソメイヨシノ(韓国ではワンポンナム)が持ち込まれ今日の桜祭りになりました。

 年本雅樹(注)さんコメント有難うございました。同憂の士がいたことを嬉しく思いました。

 (注)年本さんは㈱トラベル世界の現職添乗員です。

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「臨時特別」編 マルセーユの思い出2 「m&m」さんへ

2011年05月09日 09時00分06秒 | フランス

 ついでにマルセーユの思い出をもうひとつ。写真はこの魚市場の近くでの盗み撮りです。それがばれてこのうちの一人が出てきてフイルムを抜けと怒り出しかなり長く付きまとわれた思い出があります。

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「臨時特別」編 マルセーユの思い出1「m&m」さんへ

2011年05月09日 08時55分09秒 | フランス

 「m&m」さんコメント有難うございました。マルセーユの屋台の魚屋さんの話がありましたが、私も1997年ここを訪れました。その時魚屋さんが私に「アンコ、アンコ」と言って魚を見せてくれた思い出があります。写真はその時のものです。この顔に見覚えはありませんか

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韓国」編 日本と韓国14 龍頭山公園と李舜臣8

2011年05月09日 08時48分50秒 | 韓国

k亀甲船の近くで子供たちが遊んでいました。

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韓国」編 日本と韓国13 龍頭山公園と李舜臣7

2011年05月09日 08時45分17秒 | 韓国

 船長室です

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「韓国」編 日本と韓国12 龍頭山公園と 李舜臣6

2011年05月09日 08時41分28秒 | 韓国

 李舜臣が率いた軍艦は亀甲船コプクソンと言われています。鎮海チネの軍港祭りで見ることができました。

「日韓歴史共通教材 日韓歴史交流の歴史」(注)は「***亀甲船は、李舜臣が15923月全羅左水營で作ったものである。当時の朝鮮の主力軍船の内、最も小さい船で、錐を打ち込んだ屋根で覆った鉄甲船の構造をしている。125人程度が乗船でき、船の前後左右14か所に大砲を積み、敵船に突撃する船で、唐浦海戦、閑山海戦などで大きな威力を発揮した」(p132)と説明しています。

 

 (注)日本の歴史教育研究会と韓国の歴史教科書研究会が、1997年から10年間にわたる共同作業で作られた本です。

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「韓国」編 日本と韓国11 龍頭山公園と李舜臣5

2011年05月09日 08時35分48秒 | 韓国

 

 ソウルの高層ビルにかこまれた世宗路にある李舜臣の像です。李舜臣の像は全国で300以上あるそうです。現地ガイドは李舜臣についてほとんど何も説明しなので、李舜臣という人はどんなことをした人ですかと私に尋ねた同行の人がいました。しかし、同時に現地ガイドは唐突に「先年李舜臣のドラマが韓国で放映され大評判になり李舜臣にふんした役者は一躍スターになりました。しかし日本のNHKは絶対に放映しないでしょう」と、話をしてくれました。この発言が今回のパゴダ公園、李舜臣外しなどの根底にあるように思いました。その後、私に李舜臣について尋ねた人は「ああそれで」と私に話してくれました。

 「くろいわ」さんコメント有難うございました。「メコンの黄昏」を覚えてくれていてありがとう。ゆっくり全部見てね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「韓国」編 日本と韓国10 龍頭山公園と李舜臣4

2011年05月06日 08時22分04秒 | 韓国

 李舜臣の像の前ではこのような光景に出会いました。

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「韓国」編 日本と韓国9 龍頭山公園と李舜臣3

2011年05月06日 08時18分41秒 | 韓国

 李舜臣の像の背後から日本海を望んだ写真です。像は秀吉軍の来る日本海を見渡しています。

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「韓国」編 日本と韓国8 龍頭山公園と李舜臣2

2011年05月06日 08時10分40秒 | 韓国

写真は 銅像の足元にある日本語による李舜臣の業績の説明です。次のように書かれています。

「この銅像は朝鮮時代に起きた壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で、危機に瀕した国を救った、救国と忠節の象徴である忠武公李舜臣(1545年~1598年)将軍を称えるために1955年に建てられたものである。李舜臣将軍は1592年、壬辰倭乱が勃発すると、南海岸に侵入した倭軍に対して連戦連勝をし、制海権を完全に掌握した。文章にも優れ、乱中日記や時調においても不朽の名作を残している。釜山市は19809月、将軍の救国・忠節精神を称えようと、釜山浦海戦で勝利した105日を釜山市民の日に指定した」

 

「韓のくに紀行」は以下のように記述しています。

明治38年日露戦争の日本海海戦が始まる時「水雷指令だった川田功という少佐の文章によると、李舜臣将軍の霊に祈った、とある。その文章をかりると、『***当然、世界一の海将たる朝鮮の李舜臣を連想させずにはおかなかった。かれの人格、かれの戦術、かれの発明、かれの統御の才、かれの謀、かれの男、一つとして賞賛に値せざるものない』」(p50)

 「韓のくに紀行」はまた以下のように書いています。

 「帰国してから調べてみると、迂闊なことにこの龍頭山はなんと対馬藩の倭館の構内だったことを知った。李舜臣の銅像がそびえている場所に、対馬藩が屋敷神としてたてた金毘羅宮があった**」(p51

 この倭館は「草梁倭館と呼ばれ江戸時代に日本が海外においた唯一の公館で、敷地面積は10万坪を越す誇大なもの***館内には3000人(500人説もあり「日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史」p149)を超す日本人が住んでいた」(観光コースでない韓国p141

 

 現地ガイドは李舜臣の業績を含めてこれらのことに一切触れませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「韓国」編 日本と韓国7 龍頭山公園と李舜臣イスンシン1

2011年05月03日 08時14分31秒 | 韓国

 少し古い記録ですが、1993年の朝鮮日報紙に淑明女子大学のキム・クアナン教授の「尊敬する歴史上の人物」というテーマで国民学校から高等学校までの生徒1800名に対するアンケート調査の結果が載せられました。

 男子生徒 

1李舜臣 2世宗大王セジョン(朝鮮王朝4代の名君で作りハングルを作りました)3エディソン 4シュバイツアー 5リンカーン

 

  女子生徒

  1柳寛順ユグアンスン 2世宗大王 3ヘレン・ケラー 4シュバイツアー 5李舜臣

  (「ある日韓歴史の旅」p216より)

 ここで注目していただきたいのは韓国人の名前が3人ですがそのうち2名までが日本の侵略に抵抗した人であることです。柳寛順についてはすでに紹介しました。

 司馬遼太郎の名著「韓のくに紀行」に次のような文章があります。(文庫判p4748) 釜山でのことです。

 「『では、龍頭山公園に行きましょう』と、ミセス・イムは車へもどりつつ言った。べつに外国人向けの観光地ではないが、私が、李舜臣の銅像をみたいといったので、彼女がそういったのである。」

 というわけで、私も龍頭山公園に行きたいと思いました。ツアーコースにはなかったのでおねがいしまし、いったんは拒否されましたが、結局行きことになりました。時間的余裕は充分でした。ここを訪れてもその日のホテル到着は午後4時頃でした。

 写真は李舜臣の雄姿です。かれの業績については次回にします。

 

 

 

 

 

 

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