レコンキスタの終着は1492年のイザベルカスティーリヤ女王とアラゴン国王フェルナンド国王の連合軍のグラナダ無血開城ですが、二人が結婚したのは1469年で当時はまだ皇女、王子でした。1474年に兄の国王がなくなってここセゴヴィアのアルカサスでイザベルは女王就任宣言をしました。写真はこのアルカサスで彼女の就任宣言の模様を描いたものです。なお夫のフェルナンドのアラゴン国王就任は1479年です。
二人の結婚、彼女の国王就任宣言などについては面白い話がたくさんありますが、その話は歴史書などに譲るとして、中丸明の「プラド美術館」(p107)にあるイザベルの話を紹介しておきます。
「この女王はレコンキスタに狂奔するあまり化粧もせず、汚れの目立たない黒い服に身を包んで、めったに風呂にも入らず,ノミ、シラミをわかせながら、異教徒をスペインから一掃することに生涯を捧げた女性であった。(彼女の言)『キリスト教徒たる者は、むやみに水を浴びたり、風呂に入るものではありません。あれはモーロ人(イスラーム教徒)の風習ですから』」
続いて中丸の「こうも不潔だと***フェルナンド王があちこちに私生児を生ませたのも故なしとしない」は余計なお節介かな。二人の間には有名な狂女王ファナを含めて5人の子がいます。?
7月3日に両カトリック王はグラナダにイスラームの服装で入城したと紹介しましたが、それと矛盾するようですが私はどちらも本当だったと思います。イスラーム文化への憧れと憎しみの相矛盾するアンビバレント気持ちがあったような気がします。
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