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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

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番外編「お墓」 スイス ライオン記念碑

2006年08月23日 08時36分07秒 | スイス

 昨年の10月24日から今年の1月28にまで飛び飛びでしたが番外編「お墓」と題して各地のお墓や追悼碑を紹介して1月28日でフェデリコ大王の話で終わりにしました。しかしスイスの景観を紹介していて、スイスのルツェルンのライオン記念碑を落としていたことに気づきました。

 この記念碑はフランス革命時の1792年衛兵としてフランス王家に仕えていたスイス傭兵が、革命派によって殺されたことを追悼する碑です。奇妙ですね。外国の傭兵なっていた人を追悼するとは。これには理由があります。スイス傭兵部隊とは(スイス)国家管理の輸出産業だったのです。「金のないところスイス兵なし」といわれるほど金と略奪品を求めてスイス兵はヨーロッパ各国の傭兵として活躍しました。余談ですがスイスの銀行の秘密性は有名ですがこれは傭兵から送られてくるお金の秘密保護に由来しています。 

 スイスで外国軍隊への軍務が禁止されたのは第一次世界大戦が終了して10年後の1927年のことです。

 「古来戦争とは忠誠、祖国愛といった観念とは対極に位置していた傭兵たちによって担われていたのである。それがいつしかナショナリズムにより途方もない数の人々が祖国のために身を捨てる国民戦争に変質したのである」(菊池良生著「傭兵の2千年史」p5) 

 この変質時期はナポレオン時代からです。ナポレオンの軍隊が強かった理由に勲章の発明がよく挙げられますが、その元はフランス革命時に作られ現在のフランス国歌「ラ・マルセーズ」の冒頭の「起て祖国の子」で表される祖国愛=愛国心です。愛国心というイデオロギーにマインドコントロールされそれが具象化された勲章によって傭兵より安上がりで強い(国民)軍隊が出来たのです。それは「国家のために殺される」のではなく「国家のために死ぬ」という考えにつながります。

 今日本では靖国問題が議論されていますが、靖国神社とは「傭兵」よりは安上がりで強い軍隊を作るために愛国心とその具象化した勲章が一体化したものだと思うのですが。暴論ですかね?皆さんはどう思われますか。

コメント
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