第二次世界大戦の日本敗戦でソ連邦の捕虜になった人たちがシベリアに抑留され強制労働をさせられたことは良く知られています。しかし、かなりの人たちが中央アジアにも連れてこられたことはあまり知られていません。中央アジア・ウズベキスタンのタシケントでは日本への帰還を見ることなくこの地でなくなった69名のお墓がありました。(写真) タシケント以外にも8箇所日本人墓地がありここと同じように大切に葬られているそうです.
なお、このウズベキスタンの巻は「昭和ひとけた生まれから」http://www2.oninet.ne.jp/hchk/ の掲示板に中田一二の名前で投稿したものと重複します。(写真は除く) 今後も原則として当面旅行記以外についてはこのホームページの掲示板に投稿しますので宜しくお願いします。興味のある方は私のこのブログと「昭和ひとけた生まれから」のホームページを宜しくお願いします。
前述のようにガートは沐浴場でもあります。そこで口をゆすぐ人もいます。現地のガイドさんが女性の沐浴姿を写さないようにしつこく言われたので良い写真は撮れませんでした。 ヒンドゥー教によれば、ガンジス河の聖なる水で沐浴すれば、すべての罪は清められ、ここで死に、遺灰がガンジス河に流されれば、輪廻からの解脱が得られるとのこと。
山秀さんのご要望もありインドでは火葬の後どうなるかを紹介します。遺灰はすべて川に流されます。特にガンジス河に流されることを望んでいるそうです。そのガンジス河沿いのベナレス(インド正式名称ヴァーラーナスィー)がそのメッカです。河沿いに火葬場があり、同じところに沐浴場がありそこをガートと呼びます。写真の薄い煙が立ち昇っているところが火葬場です。私たちはガンジス河にボートで乗り入れ観光?しました。
河馬の死体がプカプカ浮かんでいました。
coloさんに写真についてのコメントをいただきました。ポーランドの写真はデジタルでPCに入れていたものをリサイズせずにそのまま入れたものでした。
さて二回にわたって楽しいお墓を紹介しました。そこで今回はお墓を作らない人を紹介します。そのことは私の考えにも一致するので。それはヒンドゥー教徒の人たちです。余談ですが、インドでは仏教はヒンドゥー教の一分派と考えられています。 インドといえばガンジーが有名ですが彼にもお墓はありません。写真はガンジーが火葬され場所が記念として残っているものです。(デリー郊外)参拝?している人もあまり多くはありませんでした。
やまこさんから前回の「陽気なお墓」について木製か石造りかの質問がありました。残念ながらいずれであったか良く覚えていません。
そこで思い出したのがポーランドのチェコ国境近くにあるザコパネという町(村)で出会ったお墓です。19世紀後半ポーランドでは若い芸術家の運動が始まりこのザコバネに彼らの多くが住み着くようになリました。ここでの芸術運動はザコパネ様式と呼ばれるまでになりました。その芸術家たちのお墓です。現在のザコバネは登山とスキーのリゾート地とて有名だそうです。私はここでヤギのチーズを買って帰りました。