ハルビンは最後の訪問地ですがすでに「就活」「婚活」「結婚」「終活」と題して少し紹介しました。(8月11日、14日、17日、20日、23日)そこでも紹介したようにハルビンは他の都市とは違った雰囲気を感じました。
そこで今回は庶民的雰囲気を感じる自由市場を紹介します。
ハルビンは最後の訪問地ですがすでに「就活」「婚活」「結婚」「終活」と題して少し紹介しました。(8月11日、14日、17日、20日、23日)そこでも紹介したようにハルビンは他の都市とは違った雰囲気を感じました。
そこで今回は庶民的雰囲気を感じる自由市場を紹介します。
いくつかの建物の説明の掲示板でこの勤民楼のものに興味を惹かれました。拡大しても少し読みづらいので一部をここに転記します。
「**溥儀は偽満州国執政に就任した後、清王朝の回復の大志を示すために、『天を敬い祖に則り、政に勤め民を愛す」という清王朝の家訓**」
この文章で私は西郷隆盛のメダマ商品「敬天愛人」を想いだしました。この西郷隆盛の「敬天愛人」の原拠についてはいろいろの説があるようですが、これを見てどうもこの清王朝の家訓ではないかと思いました。みなさんどう思われますか。
長春は傀儡国家満州の首都があったところです。したがって国家機関がたくさんあったところです。すでに国務院跡、実質的支配者「日本関東軍司令部」跡については6月24日に紹介しています。今回は満州国皇帝愛親覚羅溥儀の皇居跡の偽満皇宮博物館を紹介します。入り口です。
平頂山虐殺事件殉難者の遺品が展示されていました。七三一部隊については日本でも比較的知られていますが、この平頂山虐殺事件については日本ではあまり知られていないようです。恥ずかしながら私も今回の旅行までは知りませんでした。
事件は満州国成立まもなくの1932年のことです。撫順炭鉱が抗日ゲリラに襲われことに対して平頂山の住民が事前にこのことを知っていったにもかかわらず、日本軍に通知しなかったという言いがかりをつけて日本軍は住民3000人を虐殺しました。生き残り数名。日本軍はその罪を隠蔽するために、ガソリンを用いて遺体を焼き、山を崩して遺体を埋めました。そのため遺品はこのようなものしか残っていないのでしょう。