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メフメド2世 征服者

2025-03-30 16:14:33 | トルコ

イスタンブールのトプカプ武器展示室での一枚
なんと!ファーティフ スルタン メフメド2世の長剣と記載あった!
そのほか私物記事

この正月は、 
①Netflixで「オスマン帝国:皇帝たちの夜明け」コンスタンチノープル陥落編を見て
2020年製作、征服王メフメドの主役も若い俳優さん色素の薄い25歳、イスタンブ-ル出身
学者の解説が多くてそんなドラマだった。

②Youtubeで「Mehmed: Fetihler Sultanı 」を見つけた
トルコのドラマだった、無料で見られる、日本語字幕変換して見てみた
長すぎる~@@@2時間40分(1話)
このドラマの俳優さんはドイツ育ち35歳 風貌的にはとってもいい
すでに39話とは、まだ見てないが・・・
Mehmed: Fetihler Sultanı 39. Bölüm @trt1



二つのドラマや好みや発見が楽しい
①エピソードガイド
②エピソードガイド

全体的に②トルコドラマの配役が好き

・ジェノバ人の傭兵隊長 ジュスティニアーニの俳優さん
 史実は若い武将だったがね クロアチア人だそうです

・ザガノス・パシャ
 何人もいるパシャの中で目立っている
 パシャの写真入り記事

・コンスタンティノス11世
 母親がギリシャ系だそうな


本は断捨離するな

2024-12-31 22:24:52 | トルコ
トルコ旅行するにあたり、イスタンブ-ルの本を探していた。
家にある本をめくってみたが、何故かスレイマン大帝の本がない
記憶の彼方か、神経の底辺で何かノイズがある。
スレイマン大帝とイブラヒム大宰相、知っていたか?
1520年 スレイマン26歳 第10代スルタン即位
1536年 スレイマン42歳 大宰相イブラヒム・パシャ処刑 
             海軍提督バルバロス率いる帝国海軍ヴェネツィアの島々を攻略 
1557年 スレイマン63歳 スレイマニエ・モスク完成
1558年 スレイマン64歳 寵妃ヒュッレム死去
1561年 スレイマン67歳 王子ベヤズット処刑
1566年 スレイマン71歳 死去

銀英伝、、ナンバー2不要論、旗艦はバルバロッサ、、(笑)
今月写真を整理しながら12月中になんとかしたいと
先週、スレイマン大帝の生きた年月とヴェネツィアのドージェが重なることが分かり
そのドージェの庶子アルヴィーゼが活躍する小説が! 
塩野七生著の「聖マルコ殺人事件」が
スレイマンとイブラヒムの描写が出ていると知る、だいぶ前に整理してしまった!!
昨日、本が届き、なんと続編をコロナ禍に執筆されて・・・


イブラヒム・パシャは夜間に首絞されて、その後は、墓は不明

1.ハディム・イブラヒム・パシャ・モスク「Hadım İbrahim Paşa Camii」
 宦官長イブラヒム・パシャ ボスニア出身なので別人ですね

2.マクブル・イブラヒム・パシャ・モスク「Makbul İbrahim Paşa Cami」また「Karaköy Pargalı İbrahim Paşa Camii」
 1536年 パルガリ・イブラヒム・パシャによって建てられる 本人が建てた?
 新市街側の海沿い、対岸のスレイマニエ・モスクがよく見える 

3.パルガリ・イブラヒム・パシャのカンフェダ・ロッジの墓地
  「Pargalı İbrahim Paşa'nın Canfeda Tekkesi Haziresi」

4.パルガリ・イブラヒム・パシャ・モスクの近くの建物の地下
 その記事

ギリシャ人であるがヴェネツィアの植民地パルガの港町出身
イブラヒム・パシャの屋敷は現在もあり博物館として使用され人気か

オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜長編すぎて見る時間がないな
イブラヒム・パシャとスレイマン大帝の死去するシーンの回だけ見てみた
豪華な豪華なドラマ
よく考えれば、ルネッサンス時代なんだよと思った。

9日目 まるで喜劇

2024-12-31 17:57:30 | トルコ
8日目
カラキョイ駅からガラタ塔へイスティクラール通を抜けて、
タクシム広場のタクシム駅まで歩いてしまった。
夕食はマクドナルド、天然食薄味のトルコ料理からケチャップマスタード食@@渇望


着替えて21時ホテル集合 

イスタンブール空港は、深夜2時出発便
トルコりラ、ユーロも使っちゃえ、物価高な空港内で食事する
記念にオルハン・パムク著の「イスタンブール」トルコ語版を購入
世界のハブ空港のひとつとなったイスタンブール空港、快適だと思う、
まだ、新しいしね。

飛行機内ではちょっと広い席予約、足が伸びるのはやっぱり快適
隣席のイケメンのブルガリア人、奥さんは日本だそうだ。
私のGooglemapでブルガリアのハートマークを、見せるが謎だった
知らない土地にハートマーク??
あ!!ヒロシの迷宮グルメ 異郷の駅前食堂で行ってた場所だった。
こんなお店だった??


8日目 噂で聞いたけれど

2024-12-31 16:29:30 | トルコ
カラキョイ駅トラムを降りて歩く、ココも観光客、自動車も多い、急な凄い坂、参った!

そうだった!ケーブルカーのチュネルがあったんだっけ!忘れていた!
カラキョイ駅~イスティクラル駅 所要時間2分 ぎゃ!


◆歩いていたら、こんな素敵な階段 カモンドの階段 カモンド家が作った
この辺一帯、アルメリア人銀行家が多く住んでいた 


◆古いモスク 1453年建設 この辺で一番古いモスクだった
当然修復しているだろうけど「Bereketzade Ali Efendi Camii」ベレケザーデ・アリ・エフンディ・モスク


◆「Bereketzade Çeşmesi」ガラタ塔近く


歩くと歴史を知ることができる~でもキツい坂
 昔は荷物運び人が活躍していたそうだ

◆ガラタ塔「Galata Kulesi」
予約チケット持っていても30分は並んだ



アサクリでは何度もよじ登った、この「穴」が懐かしい・・感慨深い


1261年ビザンチン帝国はラテン帝国から奪還し、
ジェノバ人へこの土地を植民地として与えた
1348年ジェノバ人が建てた
1453年オスマン帝国時代は欧州人地区となり、大使館建てた
アラブ人、ムーア人の船員、商人、職人、
ギリシア人の居酒屋、アルメニア人の商人、銀行家活躍
19世紀の2度の大火災でほとんど焼失したとある

エレベーターで展望へ 高い、想像より高い!!



















なんと!降りる場合は徒歩だった

ガラタ塔関係の展示場







牢屋として使われた時もあったのか

8日目 きっと生まれ変わる

2024-12-31 14:52:45 | トルコ
◆考古学博物館



石棺が並んでいる
ここではアレクサンドロス大王の石棺といわれているヤツが見どころ、
もう時間ないので、それだけでいいかも・・

入口にこんなヤツがいて驚く


しまった!ここにはバビロンのイシュタルの門のタイル一部あるんだっけ
昨年、ベルリンで見た一部だけがあるヤツ、でももういいや


石碑

石像が山ほどあって驚く 恐るべし

美丈夫 すげー




イスタンブルール空港には美術館があって、その看板にはこの子の写真だった






服の襞に注目!!


装飾華美だけど、う~んいいかも


展示場のスクリーン画がとても良かった




これでもかな過剰な感じが注目








こんな石棺もあり




これでもか出土するトルコって凄い


貴金属もいっぱい

アレクサンドロス大王石棺の間









Fate Zero イスカンダル アイオニオン・ヘタイロイ 然り 然り 然り♪

8日目 今さらカードに

2024-12-31 13:46:37 | トルコ
トラム(Tramvay)T5に乗らなくてはフェネル駅「Fener」
時間が足りなくなりそうな、ヤバい!
イスタンブールカードにお金が足りなくなりゲートが閉まって、
乗れない課金せねば、ヤバし!トルコの方が教えてくれた、ありがとう


トラムの路線も間違うといきなり迷子になるし慎重に
T5のエミノニュ駅「Eminönü」からT1のエミノニュ駅「Eminönü」に乗り換え
観光客と自動車とトラムとバスでごちゃごちゃ、フェリー乗り場で混沌無秩序の中
地下をくぐって、なんとか駅にたどり着く、走るトラムの前を人が通り過ぎるが慣れたもの
2駅先のギュルハーネ駅「Gülhane」降車、細い通り

◆考古学博物館へ予約チケットはそのまま入口へ、長蛇列に並ばなくてスルー

帰りはT5のギュルハーネ駅から、そのまま乗換なしで、
ガラタ橋を渡って新市街のカラキョイ駅「Karaköy」へ行くの予定で乗ったトラムがなんと
エミュノニュ駅止まりに変更になったのには、驚いた!
線路を乗り越えてホームへ移動は恐ろしかったな
通勤電車のラッシュに慣れているけど、日本は秩序があるので

8日目 扉を開けているの

2024-12-31 13:09:25 | トルコ
◆聖ゲオルギウス大聖堂 「Aziz George Katedrali, İstanbul」
金角湾沿いにある、ギリシア正教会 1720年で建築
当時はドームを持つキリスト教会建設禁止だったので
1601年よりコンスタンティンノープル総主教座となっている、
ぞれ以前はずっと改装中でモスクになった「テオトコス・パンマカリストス教会」
世界遺産のフェネル地区(ギリシャ系)とこの先のバラット地区(ユダヤ系)かつて住んでいた
厳重のセキュリティのため、警察か軍関係の建物かと見間違えするほどだった。
今回の旅行中で一番セキュリティが高かった



双頭の鷲 


総主教館の中央扉(オルタ・カプ)は1821年より永遠に閉ざしている
ギリシャ独立運動に総主教グレゴリオスⅤ世が支援したということで、時のスルタンから反逆罪で絞首刑となった。
その時から、黒く溶接されているそうだ。




光が映り込んで眩しい


































修復中

ギリシア正教会の聖人の十字衣装が印象的だった




































8日目 ひとつ曲がり角

2024-12-30 03:25:19 | トルコ
カーリエ・モスク出て、急な坂道を下る、
Googlemapで見つけたパン屋さん「Tarihi Balat Fırını」寄りたかったな
昔ながらのトルコのパン屋さん、コロナ禍ローカル世界の旅番組ひとつ で焼いていたパンと同じかたち
結局、ガタガタの坂道と自動車がとのすれ違いが多く、歩くのがやっとで、
店にたどりつかなかった。


古い木造の家、イチジク


◆フェティエ・モスク「Fethiye Camii」フェティエ通りから少し入ったところで見えた
別名「テオトコス・パンマカリストス」1568年までギリシア正教会の総主教座だったと
以前はビザンチン様式でフェティエ博物館として貴重な壁画が見れたらしいが、
建物だが内部は修復後、漆喰で覆ってしまったらしい。


◆ヒラミ・アフメット・パシャ・モスク「Hirâmi Ahmed Paşa Camii」Googlemap
フェティエ通り先のの反対側を少し入ったところにある、時間がないのでパスしたが・・
ビザンチン時代の東方正教の建物、
1454~56年総主教座が聖使徒教会からパンマカリストス教会へ移された時
修道女たちをこの建物を尼僧院としていたとか
古くはコンスタンティンノープルの洗礼者ヨハネに捧げた教会のひとつ

◆バス停あたりから、イスラムの服装の方が多くなってきていた
女性は黒チャドル、男性はカフタン 世界が変わった感じがした
左の細い通りに入ると、
スーフィー派のモスク 「İsmailağa Cami」
18世紀の建物

◆さらに進むと、目標の赤レンガの学校が見えてきた







現在、ギリシャ系の高校になっている 「Özel Fener Rum Ortaokulu ve Lisesi」
3年ほど前Googlemapで見たとき驚いた

◆高校の裏側に古い教会があるのだが7世紀 東方正教会
「meryem ana rum ortodoks kilisesi」 赤い聖マリア教会
モンゴルの聖マリア教会として知られているらしい
1265年ビザンチン帝国皇帝ミカエルⅧ聖パレイオロゴスの娘マリアが
イル汗国のフラグへ嫁ぐがすでに死亡しており息子のアガバ汗と結婚
15年後、アガバ汗殺害され、国へ戻り尼僧になった。
そんな歴史もあるとか、なんだかマルコポーロの冒険で似たようなストーリーがあった。

8日目 愛の軌跡を求めて

2024-12-30 01:37:01 | トルコ
世界はコロナ期間中、分断された繋がりを手繰り寄せるため、インターネット世界が広大になった
コロナ禍が明けて、コロナ前と同じ世界に戻ることはなかった
分断が加速度的に進んでいる。地球の環境が後戻りできない状況になってしまった。
ローマ時代の遺跡を見るたびに、ローマ時代に突入してしまったと

東西ローマに分かれて、東方キリスト教会のビザンチン帝国
オスマン帝国に上書きされてしまったコンスタンチンノープルの形跡を求めて
モスクになった教会を見てゆきたい
コロナ禍で修復開始し、修復中や完全モスク化で漆喰に埋め戻しされたモスクもある
オーバーツーリズムは文化保存の礎となってほしい。

城壁から下って行く方が、坂の街を巡るには良いと思った
カーリエ・モスク「Kariye Camii」は外せない
ちょうどお祈りの時間が開始されていたので、外で40分ぐらい待つ


入口を入ると墓



修復がされている


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東方教会の壁画はどんどん失われてゆく

ロシアはプーチンがロシア正教を保護して、地域コミュティ復活させて、政治に宗教を取り込んで今に至る