goo blog サービス終了のお知らせ 

奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

山田上ノ山古墳「孝徳天皇陵」

2008年07月13日 | 
 竹内街道沿いの丘陵斜面にあります 撮影日;2008.6.13

 第36代・孝徳天皇(在位645~654)の御陵に治定されています

 自然の丘を利用して築造された径32mの円墳です
 鶯陵(うぐいすのみささぎ)とも呼ばれます

 陪塚から出土したと伝えられる『海獣葡萄鏡』が知られています

★所在地;南河内郡太子町山田
★交通;近鉄上ノ太子駅より 徒歩35分
★駐車場;8台程度
★入場料;参拝自由
★問合せ;072-955-1115(宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所)、0721-98-0300(太子町役場)



 『日本書紀』には
 白雉5年(654)10月10日孝徳天皇は難波宮の正殿で崩御され(59歳)
 12月8日大坂磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)に埋葬したと記されます

 諡名:天万豊日天皇(あめよろずとよひのすめらみこと)
 異名:軽皇子(かるのみこ)
 父:茅渟王(ちぬおう)は敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子の子



武烈天皇陵

2008年06月27日 | 
 謎に満ちた武烈天皇陵の御陵です 撮影日;2008.6.4 

 第25代武烈天皇の傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)に比定されています

 陵形は山形 

 現陵は自然丘陵を前方後円墳のように石垣が巡っていますが
 丘陵上部にも古墳らしきものは見当たらないようです
 
★所在地;香芝市今泉
★交通;JR志都美駅より 徒歩6分
★駐車場;5台程度
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)

 丘陵部は志都美神社の社叢とつながります

 現在の場所に比定される以前は、築山古墳が武烈天皇陵とされていました


 西名阪道の香芝ICのすぐ南側です

顕宗天皇陵

2008年06月25日 | 
 周りは、閑静な住宅地です 撮影日;2008.6.4 

 第23代 顯宗天皇の傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)です

 陵形は前方後円墳

 陵のある地域は周りより一段高く、北側には小さな壕の後も見られます

★所在地;香芝市北今市4
★交通;JR香芝駅より 徒歩7分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)

 北今市古墳群から北へ5分の所です

 幕末まで平野塚穴山古墳が、顕宗天皇陵とされていました
 狐井城山古墳も傍丘磐杯の南陵に比定する説がありました

 記紀には、傍丘磐杯の南陵(顕宗陵)と北陵(武烈陵)となっています
 葛城氏一族の葦田の夷媛とつながることから、両帝の陵墓がこの傍丘(片岡)の地に比定されたようです
 

 参考;邪馬台国大研究 のページ

光仁天皇陵

2008年03月24日 | 
 志貴皇子の息子(天智天皇の孫にあたる)白壁王の御陵です 撮影日;2008.3.11

 第49代光仁天皇の陵「田原東陵」として宮内庁が管理しています 

 径45m・高さ6.5mの三段築成の円墳で幅7mの空濠があります
 「塚ノ本古墳」「王の墓」とも呼ばれていました
 墳丘内に石灯籠が有るようです

 光仁天皇(別名:白壁王、天宗高紹天皇)は、62歳で皇位を継承
 天応元年(781)12月23日、73歳で崩御
 翌年広岡山陵に葬られ、延暦5年(786)に田原陵に改葬されました

★所在地;奈良市日笠町王ノ塚
★交通;近鉄奈良駅より
    水間方面行きバスで田原大野下車 徒歩10分
★駐車場;8台程度
★入場料;参拝自由
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)

 西へ8分ほどの所に「太安万侶墓」が有ります



春日宮天皇陵

2008年03月23日 | 
 天智天皇の皇子・志貴皇子の御陵です 撮影日;2008.3.11

 志貴皇子は実際に即位していませんが、霊亀元年(715)に亡くなり
 55年後に息子の白壁王が天皇として即位した為、春日宮天皇と追号されました
 田原天皇とも称されます

 径57m、高さ11.5mの円墳形
 元治元年(1864)に補修されています 

★所在地;奈良市矢田原町字西山
★交通;近鉄奈良駅より
    水間方面行きバスで田原御陵前下車 徒歩すぐ
★駐車場;有りません(2台程度可能)
★入場料;参拝自由
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)

 陵の入り口付近に、志貴皇子の詠んだ万葉歌の碑が建てられています
 「石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」


 周りに茶畑が広がります

 両側に石積みされた細長い参道が印象的です

富郷陵墓参考地

2007年12月16日 | 
 地元では「岡の原」と呼ばれている、直径200m程の丘です 撮影日;2007.12.7

 岡の頂上に径30m程の円墳が在ります
 聖徳太子の皇子・山背大兄王の墓所との伝承が有り、陵墓参考地として宮内庁が管理されています

 円墳は古墳時代中期の築造と考えられています
 (山背大兄王の年代とは合いません)
 墳丘から埴輪片が採集されています

 この岡は、弥生時代後期の三井岡原遺跡です

★所在地;生駒郡斑鳩町三井
★交通;JR法隆寺駅より 徒歩30分
    バスで法起寺前下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★問合せ;

 400mほど北に三井瓦窯跡瓦塚古墳群が有ります

 山背大兄王は
 法輪寺法起寺を建てたとされ、太子の後継者として皇位継承をめぐり田村皇子(舒明天皇)と争いました
 皇極2年(643:大化の改新の2年前)11月に斑鳩宮が蘇我入鹿のに攻められ、太子一族は滅びています


 再訪;2014.03.16 頂上まで登ってみました
富郷陵墓参考地
 円墳は径30mの円形に囲われています 
 墳丘は高さは2mほどで径20mほどでしょうか

 墳頂に盗掘による窪みが有るようです
 ここから持ち出されたと伝えられる花崗岩の板石が、側を流れる秋葉川の橋として利用されていたことが有るようです 
富郷岡の原 
 

大津皇子墓

2007年12月04日 | 
 二上山雄岳の山頂近くにあります 撮影日;2007.11.23

 経十数mの円墳?
 明治9年(1876)9月に治定され、墓標には「大津皇子二上山墓」と陰刻されています

 この場所に、室町時代に築かれた「二上山城の二の丸」が在ったそうです

★所在地;葛城市染野・加守
★交通;近鉄二上神社口駅より 徒歩50分
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)

 大津皇子(おおつのみこ)は天武天皇の皇子です
 持統天皇から謀反の罪を受け、24歳の若さで非業の死を遂げたとされます



世泰親王墓

2007年12月01日 | 
 南朝・第3代天皇の息子の墓です 撮影日;2007.11.16

 世泰親王は長慶天皇の長子で、後醍醐天皇のひ孫に当たります
 (後亀山天皇の皇子説もあります)

 後醍醐天皇陵へ登っていく右手にあります

★所在地;吉野郡吉野町吉野山字塔ノ尾(如意輪寺内)
★交通;近鉄吉野駅より 徒歩35分
★駐車場;150台程度
★入場料;参拝自由
★問合せ;07463-2-3008(如意輪寺

 御陵への手前・如意輪寺境内に
 楠木正行の「髻塚(もとどりづか)」や弁内侍の「至情塚」が有ります

 至情塚



後醍醐天皇陵

2007年11月30日 | 
 「如意輪寺」の裏山にあります 撮影日;2007.11.16

 塔尾陵(とうのおのみささぎ)

 径約27mの円墳
 「死して北闕の天皇を望まん」との遺言で陵は北面しています

★所在地;吉野郡吉野町吉野山字塔ノ尾(如意輪寺内)
★交通;近鉄吉野駅より ロープウェイ吉野山駅下車 徒歩35分
★駐車場;有ります(150台)
★入場料;参拝自由
★問合せ;07463-2-3008(如意輪寺)

 鎌倉時代終末(南北朝時代)の天皇として有名
 在位:文保2年(1318)~暦応2・延元4(1339)52歳



孝安天皇陵

2007年11月18日 | 
 第6代天皇の孝安天皇の陵とされています 撮影日;2007.11.9

 玉手丘上陵です
 
 元々ここにあった円墳と玉出丘陵の自然地形を利用して
 前方後円形に生垣を巡らせたものです

★所在地;御所市玉出
★交通;JR玉手駅より 徒歩6分
★駐車場;20台程
★入場料;参拝自由
★問合せ;0745-62-3001(御所市観光協会)

 欠史8代天皇の一人で、異称は大倭帯日子国押人命(古事記)/日本足彦国押人尊(日本書紀)
 生没年: ~(?)123歳(古事記)・137歳(日本書紀)

 丘陵上に琴毘羅神社が有ります