素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

絶滅した日本列島のゾウのはなし(21)

2021年02月03日 16時44分25秒 | 絶滅した日本列島のゾウたち
       絶滅した日本列島のゾウのはなし(21)



  4.アケボノゾウはいろいろな名前シノニム(別名)で
  呼ばれていた

  アケボノゾウについて調べていますと、よくStegodon aurorae (Matsumoto,1918)と言う表記があるのに気づきます。これは松本彦七郎(1887ー1975)博士によるアケボノゾウ(和名)の学名を「記載」(redescription)したものであることを示しています。

  しかし、松本博士の記載したのは、下記の「記載論文」(1918)のテーマにありますようにゾウの原型化石、すなわちElephas aurorae (Matsumoto1918)としています。このことは、同博士が1924(大正13)年発表の「日本産化石象の種類(略報)」(『地質学雑誌』・第31巻合併第371、372号、262頁)において、「著者が曾つてElephas aurorae と名づけたものである」、と敷衍さていることからも確かだと言えます。

  その「記載論文*」は、Matsumoto,H. , 1918. On a New Archetypal Fossil Elephant from Mt. Tomuro, Kaga. The Science Reports of The Tohoku Imperial University, Second Series ( Geology ) ,vol.Ⅲ, no.2, pp. 51-56. です。

  前掲論文(1918)において、同博士は、Stegodon auroaueを「広義のゾウElephas」として扱っています。それと言いますのも、加賀(石川県)の戸室山から産出された化石骨を観察した限りでは、そのゾウはステゴドンとしては相当程度までゾウ類として進化を遂げていると判断したからだと思います。しかし、大変難しい問題があるのは、摸式標本としての化石のうち、右上顎第2大臼歯一つだけ検出していましたから、遺伝子型の分析には不十分だったようです。

  〈文中*〉:ここに「記載論文」とは、ある生物の分類基準を定義する際に、その主たる形質をすべて記述したもので、摸式標本(type specimen) を基に新種として報告する場合に原記載されている論文のことを言います。また、摸式種(type species)とか基準種、基本種と言う用語もつかいます。これらは、ある新属の記載を行った場合に、その基準として取り上げた「種」のことを言います。

  松本博士はアケボノゾウについて、はじめは上述の論文(Matsumoto,H. , 1918.)からも明らかなようにElephasと見なし、その後にステゴドン(stegodon)科のパラステゴドン(Parastegodon)属と、しばらくはそう呼んでいましたが、後に槇山次郎(1896-1986)博士等によってステゴドン属とする考え方が主流となったように考えられます。

  ところで、以上のように本稿では、ステゴドンとかアケボノゾウとか、いとも簡単に扱って来ましたが、われわれ人間の先祖との関わりについても考えて見ることも大切なのです。人類史と言いますか、人類の先祖を遡って見ますと、これまで扱ってきた日本列島に現れたゾウ類、すなわちミエゾウやアケボノゾウが生息していた時代と重なってきます。

  たとえば、人類進化の段階には、これまでの研究によって、「猿人」「原人」「旧人」「新人」の4つの段階があるとされています。われわれ現生人類は4段階目の「新人」段階にあるわけですが、こうした人類の進化が継続的に続いて現今に至ったわけではありません。何百万年の時代の経過の過程で、人類にも「絶滅」もありましたし、最近では現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人との交雑説も有力になっています。しかし、人類の進化した段階のプロセスは必ずしも明確にされているわけではないのです。

  現生人類を考える上で、ネアンデルタール人の出現があって、その後にホモ=サピエンスが出現したという見方さえ現在では異論があり、その逆であったとする説も有力になっています。そのため人類学の世界では既述の「猿人」、「原人」、「旧人」そして「新人」という4段階説も専門家の先生方の間では常套的には用いられなくなってきています。

  アフリカで類人猿の仲間から直立歩行したヒト類が誕生したと言われる700万年前から、アフリカの大地溝帯周辺でラミダス猿人が登場した500万年前頃から450万年前頃、鮮新世の日本列島には大陸から巨大なコウガゾウが渡来したと考えられますし、その時代にはセンダイゾウやミエゾウ(シンシュウゾウ)が生息し、250万年もの時代を経て狭い島嶼列島に生息できる島嶼化(矮小化)という進化を遂げて、列島固有の小型のステゴドンゾウ(アケボノゾウ)が更新世前期*には生息するようになったと考えられるのです。

  〈文中*〉:更新世(洪積世とも言う)は、258万年前から1万1700年前までの期間を言う。更新世前期(前期更新世):258万年前~78万年前、更新世中期(中期更新世):78万年前~12万6000年前、更新世後期(後期更新世):12万6000年前~1万1700年前、最近では、前期をジェーラ期(Gelasian)258年前とカラーブリア期(Calabrian)78万年前までの2期に分けている。また中期をチバニアン(チバ時代Chibanian)と言い、:78万年前~12万6000年前までの期間指して呼ぶようになってきた。なお、ここでは年代の表記は若干大雑把になっています。

  更新世の前期の後半、今から凡そ100万年前頃にはアケボノゾウゾウよりは大きい中型のトウヨウゾウが生息していたと推測されています。亀井節夫(かめいただお:1925-2014)博士をはじめ古生物学の専門家の先生方によりますと、「瀬戸内海の海底、とくに明石(あかし)海峡からは、古くからたくさんの骨や歯の化石が漁網にかかって引き上げられアカシゾウとも呼ばれてきた」が、その他にもアケボノゾウは、ミツゴゾウ(ショウドゾウ)、カントウゾウ、スギヤマゾウ、タキガワゾウなどといろいろな名で呼ばれてきています。

  しかし、それらいずれのステゴドンゾウも、1918年(大正7)に松本彦七郎(1887-1975)によって命名された石川県産のアケボノゾウと同種であることがわかって以来、現在ではアケボノゾウと呼ばれるのが一般的になっています。