素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

ナウマンゾウについて、その「補遺編」(6)

2023年01月01日 19時52分19秒 | ナウマンゾウについて
ナウマンゾウについて、その「補遺編」(6)



(1)ブラウンスについて―山下昇の論文から

わたしはこの東京大学『科学論集4』(1881)に掲載されたブラウンスの論文は読んでいませんので内容は全く分りませんが、山下昇の1990年の論文「ナウマンの関東平野研究-ナウマンの日本地質への貢献3-」(『地質雑誌』・第96巻第12号)によりますと、ブラウンスは1880年1月から1881年12月まで東京大学地質学の教授として在任しましたが、前述の論文(1881)で、日本産のゾウ化石にも言及していることが紹介されています。また、日本の地質学の研究にも貢献したことでも知られています。

しかし、ブラウンスが論文で扱っている材料(ゾウ化石)は、ナウマンが1881年の論文で扱った材料と同じもであったと指摘し、「ブラウンスの記述が簡単で、曖昧なところが多いので、標本によっては、完全に同じものかどうか、判断の難しいものがある」、とまで述べています。

さらに山下は、「それにしても、同じ標本を扱いながら、その鑑定はナウマンの鑑定とまったく異なっている」として、ブラウンスの鑑定にいい印象を示していないのです。

また、山下は1992年の論文(『地質雑誌』・第98巻第8号、803ページ)で、ブラウンスが「洪積世の時期に、日本に旧北区第四紀型に属する象がいたことは、確からしい」、と結論づけていたことを明らかにしています。 

ブラウンスは、1883年の論文「日本の洪積世の哺乳動物について」(Ueber japanische diluviale Säugethiere. Zeitschrift der Deutschen geologischen Gesellschaft, 1883, Bd. 35. Heft 1, pp.1-58, pl,1.)をドイツ地質学会誌に発表しています。

その中でブラウンスは、日本の哺乳動物の化石から推察できることは、それらが現生生物の化石であり、古いものでも東日本の沖積地域と若い第三紀層(新三紀《Neogene》後期)の層序から産出されたもので、それ以外は例外なく第四紀層に属するものと見なすことが可能であることを明らかにしています。

このように、ナウマンとブラウンスの見方は異なっていますが、ナウマンが「日本の化石動物を旧北区などのものと区別して、旧北区のものが東方へ移動して変異した」、とみなしていますが、実は日本の象の化石には、そのような区別はないというのが亀井節夫(1925ー2014)など、日本の古代ゾウの化石研究の専門家、古生物学者たちの一般的な見方なのです。

本当のところ、日本にはいつ頃からナウマンゾウがが生息していたのだろうか。この問題も大変興味のあるところですが、亀井は、第四紀の地層の研究が進むにしたがって、ナウマンゾウが日本に棲み着いたのは思ったよりも新しいのではないかと述べています。そんなわけで今日ではブラウンス説の方がナウマンの見方より有力視されています。

横須賀製鉄所の敷地造成工事中の1867年に発見された大型哺乳動物の化石骨もナウマンによってゾウの下顎の化石と判明したのですが、ゾウが日本列島に渡来したのは陸橋などを考慮しますとリス氷期前と考えられます。

  それから最終氷期の絶滅期の1万数千年前頃までは、列島の北から南まで至る所に生息していたとする見解が多くのゾウ化石研究者といいますか古生物学者の支持を得ているようです。