このごろどうも仕事が忙しい上に体調も良くなくて、更に休日の悪天候も重なってプログの更新も滞りがちになってしまいました。おまけに何かテーマを作って書いてみようなどと余計なことを考えてしまったので、更新できそうなネタがあってもそれも見合わせる結果となってしまいました。文章を書く才がないのをすっかり忘れていました。テーマを作ると書くのに恐ろしく時間を掛けてしまうのです。それでもやはりただ写真を並べているだけでは芸がないので、できる限り何かテーマを考えてお話ししたいと思います。
ときどき見に行くクズが茂る場所へ行ってみると、相変わらずコミスジの幼虫が数匹。ほとんど同じ場所から移動することはないようです。しかし今回は隠れ身の術に少しだまされてしまいました。この頃はすっかり葛の葉も蒼さを失って、枯れた部分もだいぶ目立ってきました。その枯れた部分に何となく違和感が‥‥
2008年11月12日 大阪府三島郡島本町
だいたいこの幼虫は、いつでも葉っぱの表側に居るので、どうしても目に付いてしまいます。しかしこうやって枯れた部分にいると、ほとんど目立つことはありません。
こうやって影ができてしまうと居場所が分かってしまいますが。しかし、こういった隠れ方などが遺伝子に刻み込まれている事を考えると、とても不思議な感じがします。
それにしても、彼らは自分の一生をどのように感じて暮らしているのでしょうか。産まれたときには親も居らず、幼虫の間はただ葉を食べて成長して、蛹になったら次はいきなり大人です。そして間もなく結婚して卵を産めば、それっきり子供の顔を見ることもありません。
もしも彼らに言葉があるとしたら、その辞書にない言葉は、「育てる」「孤独」そして「家族」。社会性を持つ生き物は大抵「家族」と言うものを持っているものなのですが、彼らのように一年で一生を終えるような生き物にとっては、「家族」と言う言葉さえ無意味なものでしょう。
社会性を持つ生き物の人間でさえも、「家族」を意識しない輩がこの頃ではぞくぞく現れています。私の周りにも、適齢期を過ぎても家族を持たない男女がごろごろしています。内緒ですが私もその内のひとりです。そういう人たちは、まあ、その程度の人間なんだろうとこの頃は思っています。
たとえ家族を持ったとしても、守るべき子供を虐待したり殺したりする鬼のような親が居るご時世です。子供を育てること、守ることは、義務感などではなくて本能に基づくものだと私は思っていたのですが、遺伝情報そのものにエラーがあるのでしょうか。
「家族」と言うものは血の繋がりに基づくものばかりとは限りません。「家族意識」と言えばよいのでしょうか、家族のように思える集団もあります。
私の好きなSFドラマで「スタートレック」というものがあります。いくつもシリーズがあって一口には語れないのですが、共通して言えるのは職場の仲間を家族のように思っていることです。地上勤務へ配置転換でもない限り、ずっと宇宙船の中で暮らすことになります。宇宙船が大きな一つの家のようなもので、仕事仲間は家族のような絆をもつようになります。本当の家族を持たない私は、そのような職場で働けたらいいのにと、いつも見ていて思いました。地球上でそのような環境の職場を考えてみたのですが、家族意識などとても持てそうにはないような仕事しか思い浮かばないのが残念です。