山の春夏秋冬

たまの休日に野山へ出かけたとき目に留まった生き物や風景の紹介

紅葉

2008年11月30日 | 広葉樹・針葉樹

 今日は午前中はよく晴れていたので出掛けてみました。とても天気は良いのですが寒いので、少し厚着です。
 神社の境内を歩いてみると、紅葉も先週に比べるとだいぶ進んでいました。人出も更に多くなっていました。

20008年11月30日 京都市西京区大原野

 カメラを持った人も大勢来ていました。良さそうな場所はそういう人たちが集まっているので、いつもの事ながら人気のない場所へ。

 誰もいないと思っていると、いつの間にか後ろでシャッターを切る音がカシャカシャ。
 それにしても、一眼レフを持って歩いている人を見ると、大抵はお年寄りかそれに近い人たちです。私のような若者?は、ほとんど見かけません。その他はコンパクトカメラで気軽に撮っています。

 若いお姉さん数名の旅行者が、如何にも楽しそうに紅葉を背景に写真を撮りながら通り過ぎていきました。あの気楽さが羨ましい。

 本殿の前にあった異様に紅葉がきれいなカエデ。年中紅いのではと思うくらいきれいに紅葉していました。
 今年は寒い日が続いたりしたせいか、全体に色づきが良いような気がします。


にしやまの音楽会

2008年11月30日 | その他

 先週の二日目が雨で延期になったらしく、神社の境内へ行くと音楽会をやっていました。行ってみると二人の若者がギターを弾きながら歌っているところでした。

2008年11月30日 京都市西京区大原野

 この二人組、私は全く知らなかったのですが「ZAI(さい)」と言うプロだそうです。今日はタダで聴けて、好きな人には良かったのではないでしょうか。

 かなりのお年寄りばかりのハーモニカ同好会の人たちも来ていました。聴きに来ている人もハーモニカに合わせて歌ったりして、楽しんで居られるようでした。

 竪琴の演奏もやっていました。私は初めて見るのですが、ライヤーと言う楽器だそうです。指先で弾くせいかあまり大きな音がしないので、野外の演奏には少しつらいところがありそうですが、その音色は心地よく響いてきました。このような竪琴は、なぜか女性が弾いていると絵になります。
 昼前から雲がよく出るようになったのですが、この演奏が終わる頃にはだいぶ暗くなっていました。

 次はキューティーガールズと言うちびっ子グループの踊りでした。ここへ来る前に城陽でひと踊りしてきたそうです。しかしいよいよ雲行きが怪しくなってきたので、私はいそいそと車へ戻りました。車へ戻る寸前に雨が降り出して私はほとんど濡れずに済みましたが、残っていた人たちは雨が降り出して慌てたことでしょう。


ナミシャクの一種

2008年11月30日 | 蝶・蛾類

 神社の燈籠の灯りに前夜やって来た内の居残り組です。

2008年11月30日 京都市西京区大原野

 名前は調べ中です。カバエダシャクも灯りに来ていましたがもう終わりのようです。見に行くたびにその時期その時期の蛾が次々現れて移り変わっていくところはなかなか楽しめます。


大原野神社

2008年11月23日 | 風景

 今日はまずまずの天気だったので、ぶらりと出掛けてみました。今は紅葉の季節なので、有名なお寺などは人や車でいっぱいです。そのような所へカメラを提げていくと、見栄えのする場所などでは同じような格好をした人たちが群れて来ます。その中にうっかり入ってしまうと、アイドルの追っかけをやっているような気分になって嫌なので、あまり有名な所へは近付かないようにしています。

2008年11月23日 京都市西京区大原野

 よく出掛ける神社の境内の紅葉は今ひとつと言ったところでした。と言うか他のものを探していたので、あまりじっくりとは見ていません。

 普段はほとんど人のいない静かな所ですが、連休のせいか、いつになく大勢の人が来ていました。屋台まで出て結構賑わっていました。音楽会もあったようで、私の行ったときはまだリハーサル中でした。その場はすぐに離れてしまいましたが、今日は特別変わったこともなかったので、音楽でも聴いていけば良かったかなと少し後悔。


カバエダシャク

2008年11月23日 | 蝶・蛾類

 神社の燈籠の灯りに前夜やって来た内の居残り組です。

2008年11月23日 京都市西京区大原野

 大型のエダシャクで、こうやって留まっているとよく目立ちます。今が旬の蛾のようで、他の蛾は見かけないのに、この蛾は他の燈籠にも居ました。


コミスジの幼虫と家族について

2008年11月19日 | 蝶・蛾類

 このごろどうも仕事が忙しい上に体調も良くなくて、更に休日の悪天候も重なってプログの更新も滞りがちになってしまいました。おまけに何かテーマを作って書いてみようなどと余計なことを考えてしまったので、更新できそうなネタがあってもそれも見合わせる結果となってしまいました。文章を書く才がないのをすっかり忘れていました。テーマを作ると書くのに恐ろしく時間を掛けてしまうのです。それでもやはりただ写真を並べているだけでは芸がないので、できる限り何かテーマを考えてお話ししたいと思います。

 ときどき見に行くクズが茂る場所へ行ってみると、相変わらずコミスジの幼虫が数匹。ほとんど同じ場所から移動することはないようです。しかし今回は隠れ身の術に少しだまされてしまいました。この頃はすっかり葛の葉も蒼さを失って、枯れた部分もだいぶ目立ってきました。その枯れた部分に何となく違和感が‥‥

2008年11月12日 大阪府三島郡島本町

 だいたいこの幼虫は、いつでも葉っぱの表側に居るので、どうしても目に付いてしまいます。しかしこうやって枯れた部分にいると、ほとんど目立つことはありません。

 こうやって影ができてしまうと居場所が分かってしまいますが。しかし、こういった隠れ方などが遺伝子に刻み込まれている事を考えると、とても不思議な感じがします。
 それにしても、彼らは自分の一生をどのように感じて暮らしているのでしょうか。産まれたときには親も居らず、幼虫の間はただ葉を食べて成長して、蛹になったら次はいきなり大人です。そして間もなく結婚して卵を産めば、それっきり子供の顔を見ることもありません。
 もしも彼らに言葉があるとしたら、その辞書にない言葉は、「育てる」「孤独」そして「家族」。社会性を持つ生き物は大抵「家族」と言うものを持っているものなのですが、彼らのように一年で一生を終えるような生き物にとっては、「家族」と言う言葉さえ無意味なものでしょう。
 社会性を持つ生き物の人間でさえも、「家族」を意識しない輩がこの頃ではぞくぞく現れています。私の周りにも、適齢期を過ぎても家族を持たない男女がごろごろしています。内緒ですが私もその内のひとりです。そういう人たちは、まあ、その程度の人間なんだろうとこの頃は思っています。
 たとえ家族を持ったとしても、守るべき子供を虐待したり殺したりする鬼のような親が居るご時世です。子供を育てること、守ることは、義務感などではなくて本能に基づくものだと私は思っていたのですが、遺伝情報そのものにエラーがあるのでしょうか。
 「家族」と言うものは血の繋がりに基づくものばかりとは限りません。「家族意識」と言えばよいのでしょうか、家族のように思える集団もあります。
 私の好きなSFドラマで「スタートレック」というものがあります。いくつもシリーズがあって一口には語れないのですが、共通して言えるのは職場の仲間を家族のように思っていることです。地上勤務へ配置転換でもない限り、ずっと宇宙船の中で暮らすことになります。宇宙船が大きな一つの家のようなもので、仕事仲間は家族のような絆をもつようになります。本当の家族を持たない私は、そのような職場で働けたらいいのにと、いつも見ていて思いました。地球上でそのような環境の職場を考えてみたのですが、家族意識などとても持てそうにはないような仕事しか思い浮かばないのが残念です。


野菊と死について

2008年11月12日 | その他

 何か重たいタイトルなので、どんな話しが出て来るのかと思ったでしょうが、実は印象深かった映画の話しをしようと思っただけのことです。どうしても導入部分に野菊が欲しかったわけで、今日は野菊に相当しそうな植物を探してみたのですが、道ばたや畑の周りはどこへ行ってもきれいに刈り取られて花などもなく、何とか荒れた未使用の畑でヒメジョオンを見付けただけでした。

(注)今日は映画の話しなのでかなりネタバレがあります。韓国映画の「ラブストーリー」「僕の彼女はサイボーグ」については、ネタバレの嫌な人はここから下を読まないでください。

2008年11月12日 京都府長岡京市奥海印寺

 私は結構映画好きで、主にSFなのですが、たまに人情物や恋愛物をみることがあります。そのたまに見た映画の中でとても印象深い映画がありました。伊藤左千夫原作の「野菊の墓」を映画化した「野菊の如き君なりき」と言う映画です。原作の方は映画化するまでは少し忘れられていたようですが、今ではあまりに有名なので内容については省略しますが悲恋の物語です。行きたくもない家へ嫁に行くのを泣く泣く承知した民子の後ろから、理解者であったおばあさんに「政夫のことはわすれるんだな、二人のことはわしがよく知っとるからの」と言われて、振り返りざまに涙をぽろりと流しながら「はい」と答える姿がとても印象的でした。
 悲恋の物語と言うと、何故か愛し合う二人のどちらかの死で涙を誘う、と言うのが定番のようで、この作品もやはりそうです。しかし明治時代の作品ですから、今のようにメデイアであふれているわけでもなく、とても新鮮だったのではないかと思います。少し堅そうな夏目漱石もお気に入りだったそうですから。悲恋物は大抵の場合女性の方がこの世を去る事の方が多いようですが、これは作者が男性である場合が多いので、どうしても男性側の視点で作られるからでしょうか。と言うより男性の方の死では、作品としてはちょっと美しさがありません。
 それにしても物語だとは言え、これまでに一体何人の死を見てきたことかと時々思います。大切な人の死は究極の悲しみで、それ以上に悲しい物語を作るのは、作家にとってはとても難しいことなのかも知れません。結局は死に至るまでの物語を、それぞれの作家が試行錯誤して様々な作品に仕上げる事になるのでしょう。「ロミオトジュリエット」「ある愛の歌」「ヘッドライト」「愛と死をみつめて」最近のものでは「世界の中心で、愛をさけぶ」など、どれを見ても大切な人の死が結末なのは分かってはいるのですが、いろいろな作品をいくつ見てもやはり泣けてしまいます。鑑賞している人に、死んでいく人に対してどれだけ愛着を持たせるかが作品の重要なポイントなのでしょう。
 大抵の場合、大切な人の死を最後に悲しいところで終わるのが普通だと思っていたのですが、最近韓国の恋愛映画を見る機会があって、韓国の映画が今までのものとは少し違うのを知りました。ただこれが韓流を代表するのかどうかは、韓国映画はほとんど見ていないので分かりませんが。
 「ラブストーリー」、原題も「クラシック」とタイトルだけではぴんと来ないのですが、ある少女の母親が若いときの悲恋話しが中心になっている映画です。母親は、よくある家の事情で若いときに好きな人と一緒になれずに他の男性と結婚して、結局は元恋人の男性も他の女性と結婚するけれど病気でこの世を去ってしまうと言う物語。そこまでは在り来たりな話しなのですが、結末はこの少女の付き合い始めた男性が、母親の死に別れた昔の恋人の息子だった、と世代を越えて結ばれると言う物語でした。
 もうひとつ最近の映画ですが、「僕の彼女はサイボーグ」とタイトルだけではSF好きでも少し引いてしまうのですが、その最初の印象とは裏腹にとても良くできた映画でした。出演者や撮影は日本ですが、監督は韓国人です。若いときにある事件に巻き込まれて銃弾を受けたために生涯ほとんど動けなくなった彼が、悲惨な過去を変えるために生涯を掛けて強力で魅力的なロボットを作ってその事件の前に時間を超えて送り込む、と言うような物語です。若き日の彼はそのロボットに助けられて新しい人生を歩み始めます。そのロボットは、好きだった彼女をモデルにしていた上にいざというときはよく尽くしてくれるので、一緒に暮らしている内に、彼は彼女にだんだん愛情が芽生えてきます。ロボットの彼女の方もその気持ちを理解するようになるのですが、ふたりは東京の大震災に巻き込まれます。彼女は彼を守るべく崩れるビルの間を避難しようとするのですが、自分は壊れ彼は窮地に立ちます。最後の力を振り絞って彼を助けるのですが、彼女は彼に彼の気持ちを理解していることを告げたのち崩れるビルの外へ彼を押しやって、自分はその下敷きになって機能停止してしまいます。彼女が人間なら死に別れです。地震が落ち着いたのち、彼は雨の降る中瓦礫の中から彼女を掘り出して、抱きしめながらおいおい泣く姿はとても印象的で涙を誘います。と、ここで終わっても良いのですが、この作品では彼は生涯掛けて彼女を修理して、昔のままの彼女を生き返えらせます。そして彼は短い間でも彼女と暮らして、最後は自分の死を彼女に看取ってもらいます。彼女がロボットだったからこそできた物語だと思います。
 どちらの韓国映画も悲しいところで終わらずに、何かほっとするものがあります。見た後の気持ちは良いのですが、映画やドラマなどメデイアであまりに人々は死に慣れてしまって新しい死の形を求めた結果だとしたら、少し悲しい気がします。第三者として見ているので美しかったり感動したりで済むのです。いくら物語が美しくても、私だったら死に別れて生き残った登場人物本人には絶対なりたくありません。
 ネタバレを恐れてここまで読んでいない人はこれから見ようと思う人だと思うので良いのですが、この2本の映画はタイプは違いますがお勧めです。特に「僕の彼女はサイボーグ」の方はスケールが大きい割にはなかなか内容がよく詰まったよくできた作品だと思います。ただし「今の若い人はこんな事言わないよ」とか「理屈に合わないよ」とか「こんなのあり得ないよ」とか理屈っぽい人にはお勧めしませんが、作品に納得がいかなくても、主演の綾瀬はるかさんの魅力だけでも充分楽しめると思います。
 少し余談かも知れませんが、「野菊の如き君なりき」で民子役をしていた有田紀子さんですが、今では東証一部上場の大会社社長夫人で、会社の大株主のところにも名前がありました。私が産まれる前の映画で、若くして世を去った民子の印象しか私にはないので、調べるんじゃなかったと少し後悔。