とても久しぶりにカメラを提げて出掛けてみました。初めは陽が射しているのにぽつぽつ雨の降る嫌な天気でしたが、だんだん陽も射さなくなって、やっぱり嫌な天気でした。
仕方ないので、神社へ冷やかしに行きました。
2009年1月2日 京都府長岡京市長岡天満宮
相変わらず、本殿も見えないところから長蛇の列です。しかしさすがに天気が悪いせいか、いつもの半分くらいしか来ていません。
本殿へ行き着くにはまだまだ遥かな道程があるのです。私はと言うと、とても並ぶ気はしないので、雰囲気だけを楽しみに来ます。
この風景を見ていると、ふと、ある小説に出てくる女子大生の姿が頭を過ぎりました。少しお酒が入っている彼女がここに居たら、熱心に拝んでいた自分の前にいる彼氏へ、こう言うかも知れません。
「ちょっと!並んでんだからサッサと拝みな!」
そんな女性が実際に居るわけがないのですが。…居ないんじゃないかな?
正月休みで時間ができたので、前から読もうと思っていた小説をさっそく読み始めました。韓国で以前にベストセラーに成った小説の訳本で、「猟奇的な彼女」と変わった題名です。思っていたよりも遥かに面白い!。結局一気に一冊読んでしまいました。
一気読みは何十年ぶりでしょうか。大学時代に横溝正史に夢中になったことがあって、部屋に何日も閉じこもったまま、何冊も一気読みしたことがあります。雰囲気を出すために、部屋のカーテンは閉めたまま。上下に渡る長編にもなると二日は寝ずに読み続ける事になります。もちろん授業は…サボりました。
(注)ここから下は「猟奇的な彼女」の作品に関して、
かなりのネタバレがあります。
もとはインターネットの投稿欄に載せたエピソードだそうで、書き方も小説と言うよりは読者に話しかけてくるような文体です。もちろんインターネットの投書なので、顔文字などが頻繁に出てきます。それをそのまま本にしてありました。作者はキム・ホシクと言う方です。
内容はと言うと、キム・ホシク氏が大学時代に、実際の体験をもとにして書いたラブ・コメディ物です。しかし、登場する彼女が特異な人物でなかったら、ただの恋愛小説だったかも知れません。主人公の名前も、彼のID名「キョヌ」で登場します。
地下鉄の中でベロンベロンに酔っぱらった彼女が、目の前に座っているおじさんの頭にゲロを吐き掛けます。そして倒れるときにキョヌに向かって「ダーリン」と言ったものだから、キョヌは彼女の彼氏だとこのおじさんに誤解されます。違うと言っても聞き入れてもらえそうにない雰囲気から、キョヌは仕方なく彼女を介抱したのが、彼女との出会いです。
この彼女は変わっていました。見かけの可愛さとは裏腹に、ため口をきく、喫茶店や食堂に入っても勝手に二人分を注文する、勝ち気でタフ、ちょっと怖い。しかし前の彼氏と別れたことが心の傷になっていて、あまり飲めない酒を飲んでいたようなので、キョヌはその傷が癒えるまで側に居てやろうと思います。
彼女は暇ができるとキョヌを呼び出します。無理な制限時間を言ったりもしますが、キョヌは無理をしてでもその通りにします。遅れでもしたらパンチが飛んでくるからです。彼女が何かするように言ったときはためらったりすると、
「するの?それともぶっ殺されたい?」
と脅されます。
しかしキョヌは、彼女から頼りにされていることを感じるのでそれ以上反論しません。怖いこともあるのですが。それに心の傷が癒えることを願っているので。
彼女は勝ち気で突拍子もないことをしたり要求したりするので、キョヌは振り回されます。食事の時は争奪戦が始まるし、ときどき賭をして痛い目に遇ったりもします。しかしキョヌは、彼女のために尽力しました。
彼女の誕生日には、深夜の遊園地に連れて行って、そこでキョヌは光を放つメリーゴーランドを動かして見せました。驚いた彼女の目は涙でにじんできます。遊園地でバイトしていた友人と結託して実現したのですが、彼女共々留置所に入れられる羽目になりました。
そうのこうのしている内に彼女の心の傷も癒えてきたようで、後半戦に入ります。彼女がばったり会ってしまった元彼の登場です。
彼女はキョヌに元彼を会わせました。そして3人で飲みに行ったりカラオケに行ったりします。キョヌは彼女の意図が分からず元彼とよりを戻すつもりなのだと思って、彼女がトイレに行っている間にその場を去ってしまいます。しかし、彼女はその後を追いかけて来ました。彼女は、元彼の前でキョヌに会うのではなく、キョヌの前で元彼に会うことで、傷がすべて癒えたことを行動で表そうとしていたのでした。
そして追いかけてきた彼女を、感極まったキョヌは抱きしめました。しかし彼は多くの人が見ている前で、鞄でボコボコにされます。
「誰が勝手に抱きつけって言った!!!!」
帰り道、彼女がキョヌに言います。
「あのひとの上手な歌より、キョヌの歌の方がよかった。
それから、あのひとの車より…
あんたと一緒に乗る地下鉄の方がいい」
後にも先にも、彼女がキョヌに気持ちを言葉にして伝えたのはこのときだけのようです。
その後もいつもの生活が続きます。自動車教習所でキョヌは彼女の運転する車の後に乗させられて教官共々首を痛める羽目になったり、賭に負けて女子大の彼女へ授業中に花を届けさせられたり。
しかし出会ってから百日目の祝いの日には彼女が深夜のカフェを借り切ってキョヌを驚かせます。キョヌからピアノを弾く女の子が可愛いと思うと聞いた彼女は、この日のために練習した曲を弾いて聴かせます。演奏はお粗末だったのですが、キョヌはどんなすばらしいピアニストの演奏よりも感動するのでした。
しかし、楽しい?日々は続きませんでした。彼女の両親から交際を反対されたのです。彼女は受け入れ、キョヌは両親の意向に反してまで自分を選ぶことを望みませんでした。
別れの日の前日二人は登山に出掛けました。頂上が近くへ見えたときキョヌは言います。
「もう少し登ればわかるさ。今は頂上が近くに見えるから、ほとんど登り終えたような気がするけど、これまで登ってきた道より、もっと険しい道をもっともっと苦労して登らなければならないんだ」
多くの努力をして、その代償として目標の場所が見えたような気がしても、実はそこへ行き着くには、今までよりもっとたくさんの努力が必要なことが多いと、人生を喩えたものでした。
「この上り坂というのは…」<僕たちの辛い時間なんだ。登っているときは、ずっと上り坂が続くような気がするけど、永遠に上りだけの道なんてない。苦労して登ることもあれば、楽に下りることもあるんだ>
次の日二人はタイムカプセルを埋めに行きました。中にはお互いに宛てた手紙が入っています。キョヌはタイマーを2年に合わせました。キョヌが堂々と彼女の両親の前に立てるような人間に成るまでの制限時間です。二人の列車は永遠に平行線を走り続けるかも知れませんが、2年後一度だけ交差します。彼女が彼の列車に乗り換えるかどうかは誰にも分かりません。
2年後に再会することを約束して二人は別れました。彼女の濡れた視線を背中に感じながら、これは別れじゃないんだとキョヌは自分に言い聞かせたのでした。
このあと彼は風に飛ばされてきた一通の手紙を拾います。どこかの女学生が彼氏に宛てた手紙のようです。そしてそれには、忘れられず、ずっと頭から離れないような詩が綴られていました。
まるで彼女がキョヌに宛てたような悲しい詩で、この物語は締めくくられています。
これが韓国風の恋愛物かどうかは分かりません。強いて言えば純愛物なんでしょうか。キョヌは彼女がわがままな妹であるかのように接して、彼女はキョヌが兄であるかのようにわがままいっぱい接しているように見えます。そしてお互いの気持ちを言葉で言い表すこともありません。意識的に考えないようにしていました。そして本当の気持ちも、手紙にしてタイムカプセルの中に封じ込めてしまいます。
どのエピソードも、作者が現役の大学生だったときに実際の体験を元に書いた物だけあって、とても新鮮です。「猟奇的」というと「怪奇趣味な、悪趣味な」と言う意味でしょうが、この作品では「特異的、突拍子もない」という意味で使われています。彼女の性格や行動も「猟奇的」かも知れませんが、可愛い面も見せることがあります。意地になるところなどは、見方によったら可愛い面かも知れません。普段の彼女はよく気が利く常識的な女子大生のように見受けられます。
この作品を知ったのは、最近韓国映画を見ることがたびたびあって、映画化されたのを見たのがきっかけです。1999年8月からインターネットの掲示板に投稿されて、翌2000年には単行本が出てベストセラーに、翌2001年には映画化とかなり有名な作品だったのでしょうが、私は今まで全く知りませんでした。しかし、映画を見て何となく物足りなさを感じて、原作を読んでみようと思ったわけです。
やはり映画は独創性をもたせて面白く作ろうとするあまり、原作の良い部分を曲げてしまって、新しく加えた部分は余分なような気もしました。38話のエピソードを掻い摘んでいるわけですから。どうしても繋がりが悪くなるわけです。
やはり原作は、もう少し成り行きが自然です。映画では表現しにくいところでしょうが、原作では内面的な細かな描写も、各エピソードを生きたものにしているように思いました。映画ではキョヌと言う若者も、ただ彼女に振り回されている存在のような印象がありますが、原作では、今彼女が最も信頼しているもう少し大きな存在として描かれています。それに、彼女に言うことは言うし、されたらしっかり仕返しも考えています。
若者の作品だけに視点は未来に向かっています。キョヌは、人生というのは出会いの連続で、彼女との出会いも、人生の延長線上にある多くの出会いの一つに過ぎないととらえています。この出会いの次に、また別の出会いがあるかも知れません。だから彼女の両親に反対されたら、それを乗り越えてまで彼女に会おうとは思わないし、反対を押し切ってまで自分に会って欲しくないと考えます。
そして登山の場面で紹介したように、目標が見えた気がしても、そこへ行き着くには更に努力が必要なことも多い、苦労して登ることもあれば、楽に下りることもあると、まだ見ぬ将来を見つめています。
初めはラブ・コメ小説として書き始めたものかも知れませんが、面白さだけに終わらず、優しさや人生など、いろいろと考えさせる内容となっていて、ベストセラーになったのも分かる気がします。私のようにその日その日を何とか生きている年齢の人間にはもう手遅れですが、これからの将来を持った若者には何かの参考になるかも知れません。私にとっては、もっと若い時代に読んでみたかった作品の一つとなりました。
この小説を読むと、韓国の文化も少し垣間見ることができます。ソウル近郊の地名がよく出てくるので地図を見ながらという楽しみ方もできます。
彼女が三杯目で酔いつぶれる酒は、チャムイスル「真露」と言う焼酎です。360ml、アルコール度は23度。この瓶のおおよそ半分で彼女は酔いつぶれるので、あまり酒に強くありません。
「百日」と言うのも出てきますが、韓国の若いカップルは付き合い始めてから百日目に祝いをするそうです。もとは子供が生まれてから百日目に祝うものだったようですが、百日目を区切りとして、いろいろな行事があるそうです。
韓国では恋人同士の場合、女性が男性に愛情を込めて「おにいさん」と呼ぶ習慣があるそうです。賭に勝って、キョヌは彼女にむりやり「おにいさん」と呼ばせます。
などなど、いろいろと勉強になります。
余談かも知れませんが…。
作者のキム・ホシク氏がこの小説を書いていることは、初め彼女には知らせていませんでしたが、ネットで話題になって彼女にばれてしまいます。彼女がとても嫌がったので、名前や彼女と特定できるものは一切出さず、書いた物を見せて許可を取ってから載せることを条件に、彼女を説得したそうです。
どこまで実話でどこまでが創作なのかは分かりませんが、各エピソードは描写が細かいので、かなりの部分が真実ではないかという気がします。文芸作品なので、真実かどうかなど関係ないことなのですが。
タイムカプセルも実際に埋めたのかどうかは分かりませんし、また彼女と再会したのかどうかも分かりません。しかし、キム・ホシク氏は2001年10月には別の女性と結婚したそうで、交差した列車から、彼女は彼の列車に乗り換えることはなかったようです。