山の春夏秋冬

たまの休日に野山へ出かけたとき目に留まった生き物や風景の紹介

遭難?

2011年08月30日 | その他

 山の中をうろうろしていたら、側の車道を消防署の車がサイレンを鳴らしてぶっ飛ばしていきました。しばらくして爆音が…。すぐ側の空き地にヘリコプターが着陸しました。

2011年8月28日 京都市左京区花脊

 どうやら誰かが川かどこかで遭難して、怪我人を消防署の車が緊急用のヘリが着陸できるところまで運んで来たようです。それにしても、ヘリコプターをこんなに間近に見るのは、生まれて初めてです。上の写真は、怪我人をヘリに乗せ換えたところ。
 やがてヘリは、爆音を轟かせて飛び去っていきました。それにしても、この費用は誰が払うのでしょうか。


明けましておめでとうございます

2011年01月01日 | その他

 本年も宜しくお願いいたします。
 とは言っても、宜しくお願いするほど今年は動けるのかどうか。この頃は、ますます思うように体がついて来なくて少し困っています。しかし、身近な生き物を時間を掛けてじっくり探してみようと、最近はあまり遠くへ出掛けなくなったので何とか遣っていけている次第です。
 私の身近な場所は、山の側でよそから見れば環境が良さそうに見えるのでしょうが、車を駐めてゆっくり歩ける場所となるとなかなかありません。車を使わずに、ただひたすら歩いて行けば良いのかも知れませんが、それではとても休日だけでは時間が足りませんし、体も持ちません。何か新しい発見があるかも知れないと出掛けてはみるものの、この頃は少し飽きてきた気持ちもあります。またうろうろする季節が来るまでに、新しく歩く場所を探しておかなくてはなりません。
 同じような場所をうろうろしてばかり居たのですが、それでも毎年何か新しい発見があります。年賀状の写真のニセリンゴカミキリは、昨年、毎年のように見て回る場所に居ました。なぜだか分からないのですが、昨年初めてここで目にしました。別に珍しいカミキリムシではないのですが、この場所では私にとって新しい発見です。こういう事があるので、同じような場所でも、今年も行かないわけにはいきません。
 新しい発見とは言っても私にとって新しい事なので、たいしたことはないかも知れませんが、まあ、時には覗いてやってください。

平成二十三年 元旦


明けましておめでとうございます

2010年01月01日 | その他

 本年も宜しくお願いします。
 昨年は事故で動けなかったりして私にとってはあまり良くない年でしたが、京都北山でオオトラカミキリに初めて出会えるなど思わぬ出来事もありました。
 今年は寅年ということで、ちょうどオオトラカミキリの写真があったりして出だしは快調ですが、今年は何があることやら。
 


何かの繭

2009年07月17日 | その他

 よく岩場にぶら下がっているのですが、何やら分かりません。

2009年7月8日 京都市西京区大原野

 何かの繭であることは間違いないと思いますが。下からも糸で繋がっていて風でぶらぶらしないように成っています。
 この謎の物体が何者か、知っているという方があればご教授ください。ただ、賞金や景品はありません。「持って帰って何が出てきはるやら待ちなはったら良うおすがな」と言われるかも知れませんが、もっともです。


変なじいさん

2009年03月01日 | その他

 お寺の前の変なじいさんは、今年も健在でした。木製なので、いつかは朽ち果てるのでしょうが。

2009年3月1日 京都市西京区大原野

 誰が置いていったのかは分かりません。額に「佛(仏)」と書いてあるからと言ってフランス人ではないことは確かです。
 誰か持って帰りはしないのかなと思ったりもしますが、家に飾っておくには、少し気持ちが悪いかも。


僕の彼女を紹介します

2009年01月12日 | その他

 こんなタイトルで突然何かと思われるかも知れませんが、別に私に恋人ができたとかそういう話しではありません。このようなタイトルの韓国映画を見たと言うお話です。
 それはさておき、ここのところとても寒いです。せっかくの連休も昨日は晴れたのですが、風がきついし寒いし。出掛けてはみたのですが、結局少し景色を眺めてから、引き返してしまいました。風邪で調子悪いこともあるのですが。

2009年1月11日 京都市西京区大原野

 山の方を見ると、うっすらと雪が積もっていました。ラジオで聞いていると、北部の方ではだいぶ積もっているようです。

 タイトルにある作品は、最近よく見ているクァク・ジェヨン監督の作品です。ほとんど予備知識無しでラブ・コメディ物とばかり思って見たのですが、実はとても悲しい内容だったので意外でした。そしてこの監督の作品の中では、とても充実して内容のある作品だと私は思います。しかし世間の評判は、なぜかあまり良くありません。おそらく多くの人は、ジャンルが分からないとか、非現実的だとか、かなり冷めた目で見ているからではないかと思います。その辺のところは後で述べるとして…
 この監督の作品は、多くのエピソードを短い映画の枠の中に詰め込んだような作風であったりします。そのエピソードが後のエピソードに、幾つも絡まっていることが多いので、ひとに話すとき、どこをどう切り取って話せばいいのか迷います。
 ですからここから下は、あらすじではありません。あらすじでは感想も言えません。もしこの映画を見てみようと思う人は、先に映画を見てください。とても良くできた作品です。そして素直に登場人物の気持ちになって見てください。この映画の魅力が分かると思います。

<<物語>>

 空撮で空からの都会のきれいな夜景が流れたあと、ひとりの若い女性がビルの屋上から飛び降りる場面から物語が始まります。

  彼女の名前はギョンジンです、ヨ・ギョンジン
  その名を口にすると、妙に胸が締め付けられます
  どんな色にも染まらない、不思議な魅力があるからです

 警察官のヨ・ギョンジンと高校教師のコ・ミョンウとの出会いは、ギョンジンがミョンウをひったくり犯と間違えて誤認逮捕したときでした。しかし、絵の得意なミョンウは真犯人の似顔絵を描いて、結局真犯人は逮捕されます。
 それでも謝ろうともしないギョンジンにミョンウは「ごめんくらい言ったらどうだ」と迫りますが、ギョンジンは「名前を‘ごめん’に改名したら‘ごめん’って呼んでやるよ」と言い捨てて去ってしまいます。

 ミョンウは、青少年補導のボランティアに参加するために、また警察署を訪れます。そこで今度はギョンジンとペアを組むことになってしまいました。
 二人で街の中を歩いていると、煙草を吸いながら歩く高校生のグループ、ギョンジンは呼び止めて注意をしますが、言うことも聞かず戦いを挑んでくる始末。しかしギョンジンはあっさりと片付けてしまいます。そして捨てた吸い殻を拾わせるギョンジン。
 ミョンウは、ギョンジンが正義感あふれる熱血警察官であることを知るのでした。

 ギョンジンは麻薬取引の現場を見てしまいます。売人の後を追おうとするギョンジン。ミョンウは専門の警察官に任せようと言って拒みますが、ギョンジンは手錠で繋ぎ止めてぐいぐい引っ張って行きます。
 その先では大掛かりな麻薬取引の最中。そこに警官が現れたものだから大混乱に。銃撃戦でほとんど片付いてしまいますが、おとり捜査の最中だったことを知らされるギョンジンたち。
 結局、捜査の邪魔をしてしまった二人は、そそくさとその場を離れました。

 途中で鍵を紛失して手錠もはずせないまま、これなら手首も痛くないだろうと手をつないで警察署へ戻った二人ですが、みな出払っていて鍵もありません。
 そこへ区会議員が子分を連れて押しかけてきます。街で叩きのめした高校生の父親でした。区会議員は表の顔、実は暴力団と変わりない彼は、ギョンジンをひっぱたきながら罵ります。
 しかし横で聞いていて我慢できなくなったミョンウは、ギョンジンの腰から拳銃を抜いて大芝居を打ちます。手錠で繋がれているのを利用して、自分は凶悪犯で3人殺そうが4人殺そうが同じ事だと拳銃を突きつけて脅します。
 結局区会議員たちを追い出してしまったミョンウを見て、ギョンジンはあらためて彼を見直します。

 手錠がはずせないので二人は一夜をともに過ごすことに。顔を洗うときは上着を相手の方へ着せ替えてうまくやっていましたが、トイレはどうしたのでしょうか。この際余計なことは考えずにおきましょう。そうやって二人は親密になっていくのでした。

 授業中にミョンウに弁当を届けに行くギョンジン。生徒の前で、学生の本分は勉強だから弱い者いじめなどに時間を費やさないことなど演説を始めて熱血警察官ぶりを発揮した上に、ミョンウは恋人だから手を出さないように告白する始末。戸惑いながらも嬉しそうなミョンウの姿に、教室の中は沸き上がります。

 二人の楽しい日々。しかしギョンジンの無鉄砲な行動が心配なミョンウは、近くでギョンジンが犯人を追っているときなどは様子を見に行くこともあります。そこにはいつも強いギョンジンが居るのですが。
 ギョンジンに双子の姉が居て事故で失ったこともミョンウは知らされます。それもギョンジンは自分のせいだと思っています。正反対の性格だった姉を黒い鍵盤だと言うギョンジンは、ピアノが弾きたくなっても黒い鍵盤は弾かないのだと。

 夏休みになると二人は車で旅に出ました。
 途中で立ち寄った草原で、強い風を腕を拡げて受けながら、ミョンウはギョンジンに言います。
「僕の前世は風だったと思う。風のように自由になりたい。僕が居ないときに吹く風は僕だと思ってくれ。僕が死んだらまた風になりたい」
 途中で泊めてもらった民家では、ギョンジンはミョンウに、どうして約束するときに小指を結ぶのか、古い物語を話して聞かせます。

 昔ある国に美しいお姫様が居ました。お姫様は、候補の中から結婚相手を選ぶとき、自分が背中で立てている指を当てた人を夫にすることに決めました。そして立てた小指を言い当てた王子と結婚して幸せに暮らしました。しかし王子は戦場へ行くことに。二人は小指を結んで必ず生きて帰ることを約束しました。しかし生死も分からないまま十年が過ぎたある日、物乞いに姿を変えた王子が帰ってきました。もとの生活が始まるかと思ったのですが、夜明け前にまた去ってしまいました。実は王子はもう死んでいて、あの世へ旅立つ49日目に、お姫様との約束を果たすためにその魂が訪ねてきたのでした。王子の亡骸を見付けたお姫様は、小指を結びながら毒を飲んで後を追いました。

 雨の中、二人の乗った車は崖崩れに会います。そして車ごと谷底へ。川に沈む車の中から、ギョンジンは気を失ったミョンウを何とか岸に引き上げますが、もう息もしていません。必死に心臓マッサージをするのですが、息を吹き返しません。泣き叫びながら狂ったようにミョンウの胸を叩くギョンジン。
 しかしそれが効を為したのか、ミョンウは息を吹き返しました。ミョンウはギョンジンに尋ねます。
「どうして助けてくれたの」
ギョンジンは答えます。
「あなたの後を追いたくないから」

 またいつもの生活に戻ったある日、喫茶店で高校時代の修学旅行の写真を見ていたミョンウは、その中に発見したものをギョンジンに知らせようと携帯に電話します。
 しかしギョンジンは凶悪な脱走犯を追いかけている最中でした。いつも以上に緊迫したギョンジンの様子が心配になったミョンウは、写真を挟んだ本を置いたままギョンジンの元へ走ります。

 工場の敷地内まで脱走犯を追いつめたギョンジンですが、またも逃げられます。そして逃走する犯人に拳銃を向けます。そして撃たれた弾が当たったのは…様子を見に来て飛び出してきたミョンウの胸でした。
 ギョンジンはミョンウを抱きしめながら狂ったように泣き叫びます「あのときは助かったのに!!」そして無線で何度も救急車を呼び続けました。

 結局ミョンウは助かりませんでした。
 ギョンジンは自分の拳銃を頭に向けて死のうとしますが、同僚に取り押さえられてしまいます。ミョンウの亡骸の側で、薬を飲んで死のうとしましたが、見つかってしまいます。
 ギョンジンはミョンウの携帯に電話してみますが、ミョンウの声で「電波の届かない所にいるので…」と留守電が流れるだけです。
「電波の届かない所ってどこよ。あなたが来てくれないなら、私がそこへ行く」
 そしてビルの屋上に立つギョンジンの姿がありました。目を閉じたギョンジンは吸い込まれるようにビルの谷間に落ちていきます。しかし落ちていくギョンジンの前に大きなアドバルンが流れてきて…結局死ぬことはできませんでした。

 死ねずに地面に降り立ったギョンジンの前に紙飛行機が飛んできました。それには見覚えがあります。家に持ち帰って確かめてみると、ミョンウがいたずらするのに本を破って作った紙飛行機と同じ物でした。
 そして風になったミョンウが、まだ自分の側にいるのだと感じたギョンジンは、ミョンウがあの世に旅立つ49日には、必ずもう一度会ってみせると思うのでした。
 そして風を感じられるように、部屋中に風車を飾りました。

 ミョンウを失ったギョンジンは、死に対して全く恐怖心を失ったかのように、淡々と犯人を挙げていきます。
 そんな日々の中、ギョンジンは久しぶりにピアノを開いてみます。そして黒鍵がすべて白色に塗られているのを知ります。そして鍵盤の上に手紙がありました。
「ピアノを弾く君が見たい」
ミョンウの優しさをまた思い出して涙を流すギョンジンでした。

 ある日ギョンジンは、ミョンウの死のきっかけとなった脱走犯を追うことになりました。飛び交う銃弾の中、必死に脱走犯を追います。しかし子供が巻き込まれそうになったのを見てギョンジンは油断してしまい、脱走犯の弾はギョンジンの胸を貫きました。

 病院では必死の治療が行われています。呼吸も止まり、電気ショックを受けているギョンジンは、そのとき幻覚を見ていました。
 街の中で生きているミョンウに会います。しかし「いい加減僕が死んだことを認めろよ」とギョンジンを突き放して去っていきます。
 何か一つ吹っ切れたかのように、ギョンジンの心臓は動き出しました。

 ギョンジンが目覚めたのはミョンウの49日の日でした。病室の窓から外を見ると、またあの紙飛行機が見えました。そして病室を抜け出して紙飛行機を追います。そして自分の家に戻りました。
 ギョンジンは窓を開けました。風を受けて風車が回ります。涙を流しながら何度もミョンウの名を呼ぶギョンジン。ひとしきり風が吹いたあと、そこに立つのは生前の姿で現れたミョンウでした。
「誰かが願いをかなえてくれた」

 最後に君に会えて良かったと、あの世へ旅立とうとするミョンウ。
 ギョンジンは、私も連れて行ってと頼みますが、ミョンウはまた会えるからとなだめます。そのときは、生きている間の幸せな話しを、いっぱい聞かせてくれと。
 そしてギョンジンはミョンウに初めて言いました。
「ごめんね」
しかしミョンウは言い返します。
「そんな名前で呼ぶなよ、僕はミョンウだ」
 風の中に僕のささやきが聞こえたら、その人は僕と同じような魂を持った人だと、新しい出会いがあることを、ミョンウは言い残します。
 ギョンジンは叫びました。
「私もう悲しまないことに決めた、会いたくなったら、また会いに来て、風でもいいから…風でもいいから!!」
 ギョンジンの愛を胸に、ミョンウはあの世へ旅立つのでした。

 誰かが一冊の本を警察署に届けてくれました。それにはギョンジンの名前があったのでわざわざここまで届けてくれたのでした。それはミョンウが喫茶店に忘れた本でした。それにはギョンジンの絵が描いてあって、命の恩人ギョンジンと書いてありました。上端にはミョンウがよく描いていたパラパラ漫画がありました。
 そして一枚の写真が挟まっていました。高校時代の修学旅行の写真です。ミョンウが仲間と写っているそのうしろに写っていたのは、同じように修学旅行に行っていた高校時代のギョンジンの姿でした。

 ギョンジンは届けてくれた人の後を、運命が導いているかのように追います。そして電車のホームで、電車が来ているのに気付かないままホームの端から乗り出しているギョンジンを引き寄せる人がいました。そしてギョンジンはその人を見ていると、風の中に確かにミョンウのささやきが聞こえるのでした。

  僕の彼女を紹介します
  僕の彼女は、僕のためにたくさんの涙を流しました
  名前はギョンジンです、ヨ・ギョンジン
  その名を口にすると、妙に胸が締め付けられます
  どんな色にも染まらない、不思議な魅力があるからです

                             <<おわり>>

 全体としては悲恋の物語なのですが、コメデイあり、捕り物あり、銃撃戦あり、カーアクションあり、ファンタジーあり、いろいろな要素を詰め込んだ作品になっています。

 初めのコメデイの部分は、なかなか楽しく思わず笑ってしまいます。特に、ギョンジンが授業中に弁当を持ってくる場面では、笑わせてくれるし、こちらまで幸せな気分になるような、楽しい一場面でした。

 なによりの見所はギョンジンの流す涙かも知れません。ギョンジンは二度もミョンウの死に直面します。一度目は自分の手で助けたのですが、二度目は自分の手で死なせてしまいます。女優のチョン・ジヒョンは、ミョンウを抱きしめながら泣き叫ぶギョンジンを、自然でとても演技だとは思えないすばらしさで演じていました。何度も出てくる涙のシーンもやはり演技を感じさせません。あとで思い出しても、つい涙腺が緩んでしまうような、そんな印象深さがありました。

 そして、部屋中に飾った風車。ギョンジンがミョンウの風を招き入れようと窓を開けたときに、いっせいにくるくる回る風車を、とても印象的に撮っていました。

 物語の中で解説はしませんでしたが、ミョンウに当たった弾は、もしかするとこっそり応援に来ていた刑事の弾かも知れません。映画ではよく分からなかったのですが、少なくともギョンジンは、自分がミョンウを殺してしまったと思っています。

 物語も、途中で終わっても、物語として成り立つのではないかと思うくらい、次々と繋がっていきます。しかしどうしてもハッピーエンドに持っていきたい作者の思い入れが伝わってきます。ギョンジンに、もう一度ミョンウを目に見える姿で会わせてしまうし、最後には新しい出会いまで用意してあります。私としても悲しく終わってしまうより、幸せな気分で終わってくれた方が、何か安心するのですが、いかがでしょうか。

 この映画の批評を見ていると、何故か評価が低いのには少し不思議に思いました。どう気に入らないのか今ひとつ分からないのですが、非現実的なラストと、詰め込んだエピソードに疑問を感じているようです。
 この監督の作風は、いろいろと挿入部分が多いのですが、私としては物語をさらに充実させて内容を濃いものにするためにも、決して無駄ではないと思います。そのために普通の映画より少し時間が長いのは確かにあるのですが。しかしこの作品では無駄に感じた部分はありませんでした。正直なところ、ギョンジンの飛び降りを一度止めてしまった家出少年の挿入部分があるのですが、そのあとまたすぐに飛び降りようという気になったか、その部分は多少疑問ではあります。
 前の作品の「猟奇的な彼女」と比較している評価もありました。私としては、こちらの作品の方が、よっぽど内容が充実しているように思ったのですが。
 もう無いはずの紙飛行機が現れたり、ラストの非現実的とも言える部分では、これはファンタジーであって真実ではないので、非現実的と評価する方々は、もう少し夢を持ったらどうでしょうか。

 半分以上内容を言ってしまった後ではありますが、お勧めの映画ですので、機会があればぜひ一度見てみてはいかがでしょうか。


猟奇的な彼女

2009年01月04日 | その他

 とても久しぶりにカメラを提げて出掛けてみました。初めは陽が射しているのにぽつぽつ雨の降る嫌な天気でしたが、だんだん陽も射さなくなって、やっぱり嫌な天気でした。
 仕方ないので、神社へ冷やかしに行きました。

2009年1月2日 京都府長岡京市長岡天満宮

 相変わらず、本殿も見えないところから長蛇の列です。しかしさすがに天気が悪いせいか、いつもの半分くらいしか来ていません。

 本殿へ行き着くにはまだまだ遥かな道程があるのです。私はと言うと、とても並ぶ気はしないので、雰囲気だけを楽しみに来ます。

 この風景を見ていると、ふと、ある小説に出てくる女子大生の姿が頭を過ぎりました。少しお酒が入っている彼女がここに居たら、熱心に拝んでいた自分の前にいる彼氏へ、こう言うかも知れません。
「ちょっと!並んでんだからサッサと拝みな!」
そんな女性が実際に居るわけがないのですが。…居ないんじゃないかな?

 正月休みで時間ができたので、前から読もうと思っていた小説をさっそく読み始めました。韓国で以前にベストセラーに成った小説の訳本で、「猟奇的な彼女」と変わった題名です。思っていたよりも遥かに面白い!。結局一気に一冊読んでしまいました。
 一気読みは何十年ぶりでしょうか。大学時代に横溝正史に夢中になったことがあって、部屋に何日も閉じこもったまま、何冊も一気読みしたことがあります。雰囲気を出すために、部屋のカーテンは閉めたまま。上下に渡る長編にもなると二日は寝ずに読み続ける事になります。もちろん授業は…サボりました。

(注)ここから下は「猟奇的な彼女」の作品に関して、
   かなりのネタバレがあります。

 もとはインターネットの投稿欄に載せたエピソードだそうで、書き方も小説と言うよりは読者に話しかけてくるような文体です。もちろんインターネットの投書なので、顔文字などが頻繁に出てきます。それをそのまま本にしてありました。作者はキム・ホシクと言う方です。
 内容はと言うと、キム・ホシク氏が大学時代に、実際の体験をもとにして書いたラブ・コメディ物です。しかし、登場する彼女が特異な人物でなかったら、ただの恋愛小説だったかも知れません。主人公の名前も、彼のID名「キョヌ」で登場します。

 地下鉄の中でベロンベロンに酔っぱらった彼女が、目の前に座っているおじさんの頭にゲロを吐き掛けます。そして倒れるときにキョヌに向かって「ダーリン」と言ったものだから、キョヌは彼女の彼氏だとこのおじさんに誤解されます。違うと言っても聞き入れてもらえそうにない雰囲気から、キョヌは仕方なく彼女を介抱したのが、彼女との出会いです。
 この彼女は変わっていました。見かけの可愛さとは裏腹に、ため口をきく、喫茶店や食堂に入っても勝手に二人分を注文する、勝ち気でタフ、ちょっと怖い。しかし前の彼氏と別れたことが心の傷になっていて、あまり飲めない酒を飲んでいたようなので、キョヌはその傷が癒えるまで側に居てやろうと思います。
 彼女は暇ができるとキョヌを呼び出します。無理な制限時間を言ったりもしますが、キョヌは無理をしてでもその通りにします。遅れでもしたらパンチが飛んでくるからです。彼女が何かするように言ったときはためら
ったりすると、
 「するの?それともぶっ殺されたい?」
と脅されます。
 しかしキョヌは、彼女から頼りにされていることを感じるのでそれ以上反論しません。怖いこともあるのですが。それに心の傷が癒えることを願っているので。

 彼女は勝ち気で突拍子もないことをしたり要求したりするので、キョヌは振り回されます。食事の時は争奪戦が始まるし、ときどき賭をして痛い目に遇ったりもします。しかしキョヌは、彼女のために尽力しました。
 彼女の誕生日には、深夜の遊園地に連れて行って、そこでキョヌは光を放つメリーゴーランドを動かして見せました。驚いた彼女の目は涙でにじんできます。遊園地でバイトしていた友人と結託して実現したのですが、彼女共々留置所に入れられる羽目になりました。
 そうのこうのしている内に彼女の心の傷も癒えてきたようで、後半戦に入ります。彼女がばったり会ってしまった元彼の登場です。

 彼女はキョヌに元彼を会わせました。そして3人で飲みに行ったりカラオケに行ったりします。キョヌは彼女の意図が分からず元彼とよりを戻すつもりなのだと思って、彼女がトイレに行っている間にその場を去ってしまいます。しかし、彼女はその後を追いかけて来ました。彼女は、元彼の前でキョヌに会うのではなく、キョヌの前で元彼に会うことで、傷がすべて癒えたことを行動で表そうとしていたのでした。
 そして追いかけてきた彼女を、感極まったキョヌは抱きしめました。しかし彼は多くの人が見ている前で、鞄でボコボコにされます。
 「誰が勝手に抱きつけって言った!!!!」
帰り道、彼女がキョヌに言います。
 「あのひとの上手な歌より、キョヌの歌の方がよかった。
  それから、あのひとの車より…
  あんたと一緒に乗る地下鉄の方がいい」
 後にも先にも、彼女がキョヌに気持ちを言葉にして伝えたのはこのときだけのようです。

 その後もいつもの生活が続きます。自動車教習所でキョヌは彼女の運転する車の後に乗させられて教官共々首を痛める羽目になったり、賭に負けて女子大の彼女へ授業中に花を届けさせられたり。
 しかし出会ってから百日目の祝いの日には彼女が深夜のカフェを借り切ってキョヌを驚かせます。キョヌからピアノを弾く女の子が可愛いと思うと聞いた彼女は、この日のために練習した曲を弾いて聴かせます。演奏はお粗末だったのですが、キョヌはどんなすばらしいピアニストの演奏よりも感動するのでした。

 しかし、楽しい?日々は続きませんでした。彼女の両親から交際を反対されたのです。彼女は受け入れ、キョヌは両親の意向に反してまで自分を選ぶことを望みませんでした。
 別れの日の前日二人は登山に出掛けました。頂上が近くへ見えたときキョヌは言います。
「もう少し登ればわかるさ。今は頂上が近くに見えるから、ほとんど登り終えたような気がするけど、これまで登ってきた道より、もっと険しい道をもっともっと苦労して登らなければならないんだ」
 多くの努力をして、その代償として目標の場所が見えたような気がしても、実はそこへ行き着くには、今までよりもっとたくさんの努力が必要なことが多いと、人生を喩えたものでした。
「この上り坂というのは…」<僕たちの辛い時間なんだ。登っているときは、ずっと上り坂が続くような気がするけど、永遠に上りだけの道なんてない。苦労して登ることもあれば、楽に下りることもあるんだ>
 次の日二人はタイムカプセルを埋めに行きました。中にはお互いに宛てた手紙が入っています。キョヌはタイマーを2年に合わせました。キョヌが堂々と彼女の両親の前に立てるような人間に成るまでの制限時間です。二人の列車は永遠に平行線を走り続けるかも知れませんが、2年後一度だけ交差します。彼女が彼の列車に乗り換えるかどうかは誰にも分かりません。
 2年後に再会することを約束して二人は別れました。彼女の濡れた視線を背中に感じながら、これは別れじゃないんだとキョヌは自分に言い聞かせたのでした。

 このあと彼は風に飛ばされてきた一通の手紙を拾います。どこかの女学生が彼氏に宛てた手紙のようです。そしてそれには、忘れられず、ずっと頭から離れないような詩が綴られていました。
 まるで彼女がキョヌに宛てたような悲しい詩で、この物語は締めくくられています。

 これが韓国風の恋愛物かどうかは分かりません。強いて言えば純愛物なんでしょうか。キョヌは彼女がわがままな妹であるかのように接して、彼女はキョヌが兄であるかのようにわがままいっぱい接しているように見えます。そしてお互いの気持ちを言葉で言い表すこともありません。意識的に考えないようにしていました。そして本当の気持ちも、手紙にしてタイムカプセルの中に封じ込めてしまいます。
 どのエピソードも、作者が現役の大学生だったときに実際の体験を元に書いた物だけあって、とても新鮮です。「猟奇的」というと「怪奇趣味な、悪趣味な」と言う意味でしょうが、この作品では「特異的、突拍子もない」という意味で使われています。彼女の性格や行動も「猟奇的」かも知れませんが、可愛い面も見せることがあります。意地になるところなどは、見方によったら可愛い面かも知れません。普段の彼女はよく気が利く常識的な女子大生のように見受けられます。

 この作品を知ったのは、最近韓国映画を見ることがたびたびあって、映画化されたのを見たのがきっかけです。1999年8月からインターネットの掲示板に投稿されて、翌2000年には単行本が出てベストセラーに、翌2001年には映画化とかなり有名な作品だったのでしょうが、私は今まで全く知りませんでした。しかし、映画を見て何となく物足りなさを感じて、原作を読んでみようと思ったわけです。
 やはり映画は独創性をもたせて面白く作ろうとするあまり、原作の良い部分を曲げてしまって、新しく加えた部分は余分なような気もしました。38話のエピソードを掻い摘んでいるわけですから。どうしても繋がりが悪くなるわけです。
 やはり原作は、もう少し成り行きが自然です。映画では表現しにくいところでしょうが、原作では内面的な細かな描写も、各エピソードを生きたものにしているように思いました。映画ではキョヌと言う若者も、ただ彼女に振り回されている存在のような印象がありますが、原作では、今彼女が最も信頼しているもう少し大きな存在として描かれています。それに、彼女に言うことは言うし、されたらしっかり仕返しも考えています。

 若者の作品だけに視点は未来に向かっています。キョヌは、人生というのは出会いの連続で、彼女との出会いも、人生の延長線上にある多くの出会いの一つに過ぎないととらえています。この出会いの次に、また別の出会いがあるかも知れません。だから彼女の両親に反対されたら、それを乗り越えてまで彼女に会おうとは思わないし、反対を押し切ってまで自分に会って欲しくないと考えます。
 そして登山の場面で紹介したように、目標が見えた気がしても、そこへ行き着くには更に努力が必要なことも多い、
苦労して登ることもあれば、楽に下りることもあると、まだ見ぬ将来を見つめています。

 初めはラブ・コメ小説として書き始めたものかも知れませんが、面白さだけに終わらず、優しさや人生など、いろいろと考えさせる内容となっていて、ベストセラーになったのも分かる気がします。私のようにその日その日を何とか生きている年齢の人間にはもう手遅れですが、これからの将来を持った若者には何かの参考になるかも知れません。私にとっては、もっと若い時代に読んでみたかった作品の一つとなりました。

 この小説を読むと、韓国の文化も少し垣間見ることができます。ソウル近郊の地名がよく出てくるので地図を見ながらという楽しみ方もできます。
 彼女が三杯目で酔いつぶれる酒は、チャムイスル「真露」と言う焼酎です。360ml、
アルコール度は23度。この瓶のおおよそ半分で彼女は酔いつぶれるので、あまり酒に強くありません。
 「百日」と言うのも出てきますが、韓国の若いカップルは付き合い始めてから百日目に祝いをするそうです。もとは子供が生まれてから百日目に祝うものだったようですが、百日目を区切りとして、いろいろな行事があるそうです。
 韓国では恋人同士の場合、女性が男性に愛情を込めて「おにいさん」と呼ぶ習慣があるそうです。賭に勝って、キョヌは彼女にむりやり「おにいさん」と呼ばせます。
 などなど、いろいろと勉強になります。

 余談かも知れませんが…。
 作者のキム・ホシク氏がこの小説を書いていることは、初め彼女には知らせていませんでしたが、ネットで話題になって彼女にばれてしまいます。彼女がとても嫌がったので、名前や彼女と特定できるものは一切出さず、書いた物を見せて許可を取ってから載せることを条件に、彼女を説得したそうです。
 どこまで実話でどこまでが創作なのかは分かりませんが、各エピソードは描写が細かいので、かなりの部分が真実ではないかという気がします。文芸作品なので、真実かどうかなど関係ないことなのですが。
 タイムカプセルも実際に埋めたのかどうかは分かりませんし、また彼女と再会したのかどうかも分かりません。しかし、キム・ホシク氏は2001年10月には別の女性と結婚したそうで、交差した列車から、彼女は彼の列車に乗り換えることはなかったようです。
 


平成二十一年元旦

2009年01月01日 | その他

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 昨年は、私にとってはいろいろと良くない事がありましたが、世の中も景気が衰退するばかりで、私だけの問題ではないようです。何とか年は越せましたが年を越したからと言って状況が良くなるわけでもなく、とにかく今は現在の自分の生活を何とか維持するしかありません。この先どうなることやら。
 この頃は自分の時間がずいぶん減った上に体力的にも遠くへ頻繁に出かけることができなくなったので、休日のお出かけもつい近所ばかりになってしまいます。しかしそれなりに身近なところで新しい発見があったりするのですが。今年もたぶん近所ばかりをうろうろすることになりそうです。正直なところ、うちの近所で珍しい物はほとんど期待できません。また同じような顔ぶれを撮ることになります。今までと違った撮り方を考えないといけないとは思うのですが、まだ何も考えていません。しかし出かけてみると、まだまだ見たことのない種類に出会ったりするので、私にはその方が魅力的です。
 今年も今までとあまり変わりのない写真を並べる事になりそうですが、またときどき覗いてやってください。

平成二十一年元旦


にしやまの音楽会

2008年11月30日 | その他

 先週の二日目が雨で延期になったらしく、神社の境内へ行くと音楽会をやっていました。行ってみると二人の若者がギターを弾きながら歌っているところでした。

2008年11月30日 京都市西京区大原野

 この二人組、私は全く知らなかったのですが「ZAI(さい)」と言うプロだそうです。今日はタダで聴けて、好きな人には良かったのではないでしょうか。

 かなりのお年寄りばかりのハーモニカ同好会の人たちも来ていました。聴きに来ている人もハーモニカに合わせて歌ったりして、楽しんで居られるようでした。

 竪琴の演奏もやっていました。私は初めて見るのですが、ライヤーと言う楽器だそうです。指先で弾くせいかあまり大きな音がしないので、野外の演奏には少しつらいところがありそうですが、その音色は心地よく響いてきました。このような竪琴は、なぜか女性が弾いていると絵になります。
 昼前から雲がよく出るようになったのですが、この演奏が終わる頃にはだいぶ暗くなっていました。

 次はキューティーガールズと言うちびっ子グループの踊りでした。ここへ来る前に城陽でひと踊りしてきたそうです。しかしいよいよ雲行きが怪しくなってきたので、私はいそいそと車へ戻りました。車へ戻る寸前に雨が降り出して私はほとんど濡れずに済みましたが、残っていた人たちは雨が降り出して慌てたことでしょう。