島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

老いぼれ原発を酷使した「原子力自動車」

2011-04-11 10:27:04 | Weblog
 千年以上も昔に陸奥の国を襲った貞観大津波の再来の可能性を東京電力も経済産業省も軽視したためにこの度の福島原発の大事故の発生を招いたと言われている。
 それでも東京電力にも経済産業省にも巨大地震と巨大津波の発生を危惧した職員は少なからず存在していたと思われるし、また福島第一発電所の「老朽化」を危惧し、その停止や廃炉を具申する声もかなりあったにもかかわらず、停止や廃炉は言うに及ばず、地震と津波に対する対策の強化を講じることもなく巨大事故とスリーマイル原発を上回る放射性物質の拡散を招いたのは何故か。
 当然、福島第一原発の老朽化は東電も政府も充分に認識しながらも、「新しい原発」と「新しい原子炉」が建設されるまで「延命」を図ろうとしていたからではないか。
 ごく最近まで原発の新設と増設については東電や他の電力会社はもとより原子炉メーカーもその可能性はかなり高いと確信していたから、老朽化した原発を新しい原発ができるまで持ち堪えさせようとしたに違いない。
 何ゆえに原発の新設が確信されるに至ったかといえば、「原発ルネサンス」なる世界的潮流があり、地球温暖化対策の切り札として原発が有効と見なされるようになっていたからである。
 確かに原発、特に原子炉からは直接二酸化炭素は排出されないと言われていた。(※注)

   (※それでも廃炉後ですら少なくとも10年は使用済み核燃料の冷却のために火力発電所から受給した電力により水を送り循環させる必要があることを考えただけで結局は膨大な二酸化炭素を廃炉設備から排出していることになる。)

 それゆえ原子力発電は「クリーンなエネルギー」とまで持てはやされるに至っていたのであるが、原発の新設・増設を強く要望していたのは当然工業界、とりわけ重工業界であり、その中でも自動車産業からの後押しが強力でなかったかと推察できよう。
 なぜなら、一般のクルマのユーザーが地球温暖化問題に対してかなりノーテンキであるのに対して、地球温暖化をより真面目に懸念しているのが自動車産業であり、自動車産業自体が化石燃料利用のクルマには未来がないと確信していたからである。
 こうして自動車産業は電気自動車の大衆化に未来を託そうとしたのであろう。
 化石燃料利用のクルマがダメだとすれば、風力や太陽光などの自然エネルギーや廃油再利用などのバイオ燃料などは不安定なうえにエネルギー原としてどうしても不足は免れない。ということになると、電気自動車の大衆化のためにはどうしても原子力発電所の大幅増設を期待するしかないのである。
 しかも民主党政権も原発の新設・増設には積極的であり、ベトナムでの原子炉建設協力に調印するなど、原子炉を輸出の花形にまでしようとしていたほどである。
 だから、原発の国内での新設や増設が実現できるまでに既存の原発を(たとえ多少老朽化していたとしても)なんとか持ち堪えさせて電気自動車の時代の進展」に道筋をつけようとしていたのであろう。
 その国内での原発の新設・増設の見通しがようやく明るくなった矢先に突如として発生したのが巨大地震と超巨大津波である。

 ◆ 表題に原子力自動車」と記したのは、電気自動車の大衆化のためには原発の新設・増設が不可欠だからである。