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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

原子力発電とクルマ社会を結ぶもの (6)

2011-06-13 23:39:30 | Weblog
 しばらくぶりでこのシリーズを復活させることになった。
 今回、特に強調したいことは現在日本国中を走りまわっているクルマの多くは「原子力発電」によって製造されているということである。
 電力会社が供給する総電力量の約30%が原子力発電所で発電されているというから、単純計算でもクルマの30%は原子力発電所からの電力により製造されたといえよう。
 各家庭が所有する耐久消費財の中で「家屋」を除いて圧倒的に図体が大きくて重量があり、しかも幾種類もの金属類で組み立てられているものと言えば、それはクルマに他ならない。
 他の家庭の中にある物体で図体の大きい物としては箪笥などの家具類、ピアノ、冷蔵庫、風呂のバスタブ、石油ボイラー、台所セットなどがあるが、いずれも金属類の比率は少ない。
 とかく金属類の製品は重厚長大型の機械が用いられて製造される場合が多く、それらの巨大な機械はむろん人力よりは電力により動かされる。
 そしてそれらの重厚長大型の機械も当然高圧電力により製造される。
 近代工業においては電力は不可欠であり、むろん金属以外のクルマの部品類も電力により生産されるのだが、とりわけ金属類の製造における電力の消費量は多い。
 アルミ製品が「電気の缶詰」などと言われているように、アルミばかりでなく鋼鉄など多種の金属類やガラス、皮革製品、電子機器類などによって組み立てられているクルマもまた「電気の缶詰」なのである。

この幽霊通り化も「想定外」?

2011-05-23 07:04:18 | Weblog

 想定外という言葉は今年の「流行語大賞」に選ばれるのではないか。

 これに対して「想定外という言葉を責任逃れの言い訳に利用するな。」という言論も乱発気味である。

 スポーツ選手たちは対戦相手のありとあらゆる「手の内」、そして自分自身にかかるあらゆるアクシデントやミスの発生を想定して練習や鍛錬を積み重ねるものの、横綱級の選手やチームですら予想外の大敗を喫することもある。
 でも、政策のミスには明らかに行政の怠慢によるものが少なくない。
 その典型が地方都市の中心市街地の空洞化や衰退と言える。
 闇雲な郊外型開発やモータリゼーションへの適応政策がどのような事態を招くかについては「バラ色」の未来しか想定せず、マイナス効果についてはほとんど想定しなかったからではないか。
 しかも地方都市の中心市街地の空洞化や衰退については行政側からは「想定外」という言葉すら発せられることは少なく、依然としてモータリゼーション適応の道路造りなど「都市計画」の名による「都市破壊」政策があちこちの地方都市で進められている。
 震災以降頑張れトウホク!の掛け声は賑やかであり、「復興市」やら「福幸市」が開かれている被災地も多い。
 だが、震災以前から東北地方のほとんどの都市も農山魚村も衰退していたのである。
 だから「復興」したとしても震災以前の「さびれ果てた状態」の姿に戻るだけではないか。
 クルマ社会に対して抜本的なメスを入れることなしに「トウホクの回復」はありえないのではないか。
◆写真は上から石巻市の中心商店街、酒田市の駅前近く、酒田市の中町。いずれも人影どころかクルマの数すらきわめて少ない。
 

原子力発電とクルマ社会を結ぶもの (5)

2011-05-09 23:55:26 | Weblog
 放射能パニックの間隙を突いて発生した生牛肉食中毒死事件
 
 放射性物質を「緩慢毒殺物質」というなら、O-111とかO-157などの病原菌類は「即効性毒殺物質」ということになる。
 このたび、富山、福井、神奈川で発生した生牛肉食中毒死事件は原発事故による放射性物質の放出のために「この世で放射性物質ほど怖ろしいものはない」ような印象を日本国中に蔓延させてしまった感がある。
 だから、日常もっとも留意すべきこと、警戒すべきことは「放射線被曝」であるかのような感覚が強まり、農産物、水産物どころか工業製品まで放射性物質による汚染が心配され、福島県から避難した家族の子供たちまで「汚れた人間」であるかのように忌避され仲間外れされるなどの由々しき事態まで報じられている。
 だから、放射性物質の汚染さえ心配ない食品なら「安全安心」とされていたきらいがあり、そんな感覚のウラをかく形でこのたびの食中毒死事件が発生したともいえる。

原子力発電とクルマ社会を結ぶもの (1)

2011-04-20 22:10:34 | Weblog
 福島第一原子力発電所の大事故の先行きが今なお不透明である。
 ようやく原子炉の冷却作業が安定化するまでの作業の「工程」が公表され、それによると最低6か月から9か月ほどはかかるということだが、既に建屋や諸設備、そして原子炉にまで損傷が見られることから強い余震や大きな津波がある場合は更なる損傷も予想され、安定化どころか最悪状態すら予想される。
 老朽化した原子力発電所がなぜ今まで稼働が続けさせられ、それどころか今後もしばらくは稼働を余儀なくされるに至ったかについては前回の記事でも述べたが、原子力発電の「発展」を推進してきた主要因があくなき工業を中心とした諸産業の「成長」と国民生活の「利便向上」にあったことは言うまでもない。
 とりわけ工業の中でも「重工業」のウェイトが高く、その中でも自動車工業会の比重が高いことは容易に察せられる。
 石油を中心とした化石燃料は資源としても既にかなり以前から限界が見えており、その限界が見える量をめぐり中国、インドなどの新興工業国である人口大国も配分を求めておるだけでなく、二酸化炭素排出の主要因であることからも「脱化石燃料」の機運が地球規模で高まっている。
 だからクルマもいつまでも「石油」をアテにしておくわけにはいかない。
 こうして二酸化炭素を発電時に「直接」排出しないと言われている原子力発電に望みが注がれたわけである。
                       続く

老いぼれ原発を酷使した「原子力自動車」

2011-04-11 10:27:04 | Weblog
 千年以上も昔に陸奥の国を襲った貞観大津波の再来の可能性を東京電力も経済産業省も軽視したためにこの度の福島原発の大事故の発生を招いたと言われている。
 それでも東京電力にも経済産業省にも巨大地震と巨大津波の発生を危惧した職員は少なからず存在していたと思われるし、また福島第一発電所の「老朽化」を危惧し、その停止や廃炉を具申する声もかなりあったにもかかわらず、停止や廃炉は言うに及ばず、地震と津波に対する対策の強化を講じることもなく巨大事故とスリーマイル原発を上回る放射性物質の拡散を招いたのは何故か。
 当然、福島第一原発の老朽化は東電も政府も充分に認識しながらも、「新しい原発」と「新しい原子炉」が建設されるまで「延命」を図ろうとしていたからではないか。
 ごく最近まで原発の新設と増設については東電や他の電力会社はもとより原子炉メーカーもその可能性はかなり高いと確信していたから、老朽化した原発を新しい原発ができるまで持ち堪えさせようとしたに違いない。
 何ゆえに原発の新設が確信されるに至ったかといえば、「原発ルネサンス」なる世界的潮流があり、地球温暖化対策の切り札として原発が有効と見なされるようになっていたからである。
 確かに原発、特に原子炉からは直接二酸化炭素は排出されないと言われていた。(※注)

   (※それでも廃炉後ですら少なくとも10年は使用済み核燃料の冷却のために火力発電所から受給した電力により水を送り循環させる必要があることを考えただけで結局は膨大な二酸化炭素を廃炉設備から排出していることになる。)

 それゆえ原子力発電は「クリーンなエネルギー」とまで持てはやされるに至っていたのであるが、原発の新設・増設を強く要望していたのは当然工業界、とりわけ重工業界であり、その中でも自動車産業からの後押しが強力でなかったかと推察できよう。
 なぜなら、一般のクルマのユーザーが地球温暖化問題に対してかなりノーテンキであるのに対して、地球温暖化をより真面目に懸念しているのが自動車産業であり、自動車産業自体が化石燃料利用のクルマには未来がないと確信していたからである。
 こうして自動車産業は電気自動車の大衆化に未来を託そうとしたのであろう。
 化石燃料利用のクルマがダメだとすれば、風力や太陽光などの自然エネルギーや廃油再利用などのバイオ燃料などは不安定なうえにエネルギー原としてどうしても不足は免れない。ということになると、電気自動車の大衆化のためにはどうしても原子力発電所の大幅増設を期待するしかないのである。
 しかも民主党政権も原発の新設・増設には積極的であり、ベトナムでの原子炉建設協力に調印するなど、原子炉を輸出の花形にまでしようとしていたほどである。
 だから、原発の国内での新設や増設が実現できるまでに既存の原発を(たとえ多少老朽化していたとしても)なんとか持ち堪えさせて電気自動車の時代の進展」に道筋をつけようとしていたのであろう。
 その国内での原発の新設・増設の見通しがようやく明るくなった矢先に突如として発生したのが巨大地震と超巨大津波である。

 ◆ 表題に原子力自動車」と記したのは、電気自動車の大衆化のためには原発の新設・増設が不可欠だからである。
 

シーベルトの子守歌では眠れない

2011-03-24 07:00:27 | Weblog
 大震災と超巨大津波の発生から既に2週間だが、死者、行方不明者の数は留まるところを知らない。その報道を聞いただけで直接被災していない自分の心までが暗くなる。
 その上福島原発は今なお予断を許さない危険な状況にあり、作業員3名が被爆して病院に運ばれたという。しかもこの地帯では強い余震が今なお頻発している。
 そんな中でマスコミ報道で連日報道される原子力用語として「シーベルト」とか「ベクレル」とかの言葉にはすかり馴染みになったものの、いま一つ理解が困難である。
 シューベルトの子守歌なら心地良いが、「シーベルト」ばかりを毎日聞かされてはますます眠れなくなる。少しでも早く原発が安定化することを期待したいが、なかなかそうもいかないのが現状のようだ。
 それにしても「基準値を超えてはいるが、健康にただちに影響はない」という弁明にもかかわらず、ペットボトルの水はすぐ品切れとなり、「福島産」ということだけで農産物は売れなくなっているが、「原発以前」の問題として日常クルマから排出される排気ガスにも依然として人体の健康(とりわけ呼吸器系)を損なわせる物質(二酸化窒素、二酸化硫黄、粒子状物質など)が含まれているのがあまりにも見過ごされてきているようにも思える。
 原発停止や廃炉の世論が高まることは必至だが、原発建設を促進させてきた自動車産業を始めとした重工業界にも大きな責任が帰せられるべきではないか。
 超巨大津波の要因には様々あり、当然海底でも地震の大きさ(マグニチュード)が主要因であるが、その他、南北500kmという広範囲のために津波の高さが拡散されないまま陸地に到達したこと、震源地の陸地との距離関係、海底と陸地の地形などの要素がからまっているが、さらに地球温暖化による海面上昇も幾分津波の巨大化に拍車をかけていたのではないか。
  写真はシューベルト、福島原発(事故発生以前)、たぶん東南アジアのどこかの大都市での交通渋滞(ちなみにバンコク市中心部から脱出した「大気汚染難民」の第1号はタイ国王)

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(13)

2011-02-18 06:54:37 | Weblog
パソコンの不具合が長く続き、しばらく更新でないでいた。

 左の写真は寺と幼稚園にに無用の車の駐車を禁ずる立て乾看板であり、右の写真は有料駐車場での無断駐車に警告している看板である。
 要するに少しでも土地に「空きスペース」があれば、そこに駐車したがるドライバーん゛あふれているということである。
 クルマはガソリンなどエネルギー源だけで走るものではない。
 クルマを走らせる二大要因とはまさしくエネルギー源と駐車スペースの存在である。
 つまり、クルマは目的地と駐車場があってこそ走る。
 走りっぱなしのままのクルマは存在しえない。必ずどこかで止まる。
 石油については資源の枯渇が心配されているから電気自動車等の開発が進められているのだが、駐車スペース予想地については街なかでも増加傾向である。
 とりわけ中心市街地の衰退により空家や空き店舗が激増し、解体のうえ更地となれば多くは駐車場化される。
 だが、多くは専用駐車場や有料駐車場であって、どんなクルマでも無料で勝手に駐車できるわけではない。だから上の写真のように「お笑い」もどきの看板が多く掲げられるようになるのであろう。

2分のドライブは100時間の蛍光灯点灯

2010-01-26 17:56:53 | Weblog

 1年近く以前の新聞記事になるが、エコ生活を心がけているつもりでも、「小口」のエネルギー節減に努力はしても「大口」のエネルギー節減はほとんど心がけていない家庭が多いという内容の記事を紹介したい。[※朝日新聞09年3月]
 つまり、テレビなどの待機電力の節減のためにこまめにコンセントを外す、使用しない部屋の照明は消す、冷蔵庫の開閉を素早くする、レジ袋を減らすためにエコバッグを持ち歩く、食堂や蕎麦屋で割り箸を使わない等々が「小口」であるが、そのような「小口」の行為を日常律儀に実践している人でさえ、クルマの使用という「大口」の二酸化炭素排出行為の削減をほとんど実践していないことが多いということである。
 クルマの使用がいかにダントツに二酸化炭素を排出しているかについてはグラフのとおりであるが、まさに2kmのドライブを控えるだけで蛍光灯1本を100時間分の節減と同じだと述べている。
 つまり、市街地でのクルマの速度を30km/hとすれば、2kmの走行は4分に相当し、4分クルマを走らせただけで蛍光灯1本を100時間つけっ放ししていることに相当するのである。または蛍光灯100本を1時間つけっ放ししているのと同一である。
 ただし、普通は一部屋あたりの蛍光灯は2本程度で、家全体でも10本くらいであろうし、それらをすべて一日中点灯しっ放ししておくことはまずありえない。
 2kmといえば、徒歩では約30分だから、その2kmの道のりをクルマ使用ではなく、徒歩にしただけで、蛍光灯100本の1時間点灯に相当する二酸化炭素排出の削減に寄与することになる。

たまには癒しの写真を・・・

2009-11-11 22:03:52 | Weblog
 当ブログの主眼目は「クルマ社会の諸問題」と「地球温暖化」について述べることにあり、どうしても硬い内容になるが、たまには気楽に眺められる写真を登載するのもよいと思われるので、今日街を歩いて通りかかった寺院の紅葉をお見せしたい。

自転車族・歩行族のプラハ改造運動(1)

2009-10-23 21:09:18 | Weblog
 10月8日~15日開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭において15本の世界コンペ作品の中のチェコ人マルティン・マルチェク監督作品の『オート*メート』が上映された。
 残念ながら受賞は逃したが、日本各地のみならず世界各国から山形にやって来た大ぜいの人々がこの映画に見入り、東西冷戦の終結後の自由化以来、世界遺産の古都プラハの街の風格と落ち着きをすっかり失わせるに至ったクルマの席捲に対して若者を中心とする脱クルマの集団活動に深い関心を寄せているのが感じられた。
 マルチェク監督自身もこの運動(オート*メート)に共鳴し参加している人物の一人であり、この運動の6年間の推移を刻銘に記録したのがこの映画である。
 西欧や北欧諸国で脱マイカーが進んでいることはよく知られているが、旧ソ連圏の中欧でもこの動きが出てきていることを知ったのは大きな収穫である。
 しかも、それがごく限られた小集団の運動ではなく、かなりの多くのプラハ市民の参加を得ている運動であることに感嘆せざるをえなかった。

 下記のホームページでこの映画の一部が見られるので、クリックされたし。
  http://www.yidff.net/archives/113.html

◆写真
 左は自転車で脱マイカーを呼びかける大集団  右下は映画終了後に質疑に答えるる監督(左の司会者は前山形県知事の斎藤氏) 可愛いシールは「オート*メート」のシールで会場のロビーで監督からいただいた。 次回以降、この映画の大要を紹介したい。