少しアカデミック(?垢出ミック)で長たらしい文章になったが、ご辛抱のうえ最後まで目を通していただきたし。[たぶん期待薄だろう。]
右に古代日本史上の人物の肖像画、左に誰がしかの墓碑のようなもの。この二つは勝者と敗者を表している。
つまり、平安初期に東北地方の蝦夷勢力は朝廷軍の将軍坂上田村麻呂に完全に制圧されたとされている。だが、どっこい蝦夷文化の象徴とも言うべき東北弁は近代に入ってもしぶとく生き続け、つい20~30年前までごくありふれた会話であった。しかしその後は何とか訛りは残っても蝦夷風言語の語彙は高齢者の間からすら欠け落ちて行く一方であり、どんな山村部でも子どもたちの会話はすっかり東京風となり、今や蝦夷風言語、つまり東北弁は絶滅危惧種となっている。「ナマラナイト」も東京風言語の前では暖簾に腕押しのようなものでしかないようだ。
坂上田村麻呂だけでなく、前九年・後三年の役での源頼義・義家、平泉藤原氏を滅亡させた源頼朝、奥羽を掌握した豊臣秀吉、会津を始めとする奥羽各藩を制圧した薩長中心の官軍さえ征服できなかった蝦夷弁を急速に衰弱化させた現代兵器は何なのか。今なお頑なに東北弁を語り続ける東北人が存在するなら田村麻呂に抵抗した蝦夷の首領の阿弖流為(アテルイ)軍の残党の子孫なのか。もし、東北地方からすっかり東北弁が消え失せたら、京都の清水寺境内のアテルイと彼の参謀モレの供養碑の傍らにもう一基墓碑が設置されるのであろうか。