goo blog サービス終了のお知らせ 

島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

ゼロ円と1万円の狭間

2011-04-01 23:02:32 | クルマ社会の問題
 前回も神社の鳥居の内側に駐車し、しかも参道まで塞いでいる複数のクルマがある写真を掲載したが、一昨日も同所で同じような状態を目にした。
 今回は少し注意して周囲を見渡してみたら、何ゆえにそんな駐車の仕方をやっているのか、合理的な?理由がわかった。
 写真左側の駐車場には駐車しているクルマは少数で、空いた区画が多数目についた。
 だから、参道上に駐車している3、4台のクルマくらいなら充分に駐車できる。
 それでも、なぜ敢えて参道という「神の領域」にわざわざ駐車するのかといえば、正式な駐車場に駐車するには神社や隣の商業施設に用がある必要があり、用がないのに駐車すれば「1万円」を徴収される恐れがあるからのようである(写真「上右」)。
 駐車場に駐車すれば「1万円」を徴収されかねないが、駐車場でない所に駐車しても「1万円」を徴収される心配はない。
 ちなみに参道部分は駐車場の領域ではない。だから参道に駐車しても1万円をとられる心配はない。
 しかも、神社の参道は「公道」ではないから、道路交通法上の「違法駐車」として警察に摘発されることはない。
 そのうえ神社の境内は市民に開かれた空間だから、誰でも立ち入って歩行したり休憩することができる。参拝せざる者は立ち入るべからず、というようなことはないから、一般の屋敷に無断で立ち入る「家宅侵入」にもあたらない。
 だから、参道への駐車は「家宅侵入」でも「違法駐車」ということにもならないのだろうか。
 いずれにせよ、「神々を敬う者」ならば、そのようなことはしない。
 鳥居の内側や参道上に駐車するということは、それだけクルマの利便のみ求める者には「神々を敬う精神」に欠けているということである。
 いわばパリのノートルダム大聖堂内部に駐車するようなものである。

 ところで、昨日同所を通りかかった時には鳥居内部には1台のクルマの姿もなかった。
 前回の写真と記事に「神通力」があったせいなのか?
 

ガソリン補給して神々を冒とく

2011-03-27 18:53:16 | クルマ社会の問題

    
 さて、上にあるこの二つの写真をどう関連づけるべきか。
 上の写真なら大震災の被災県および近隣の県なら現在普通に見られる光景になっているのだが、下の写真の場合は神社の鳥居の内部に複数のクルマが駐車している様子である。
 上の写真にある通り、多くのクルマにとってガソリンの補給は現在も困難な状況であり、ガソリンスタンドは「休業」状態にしていていたり、「午前のみ営業」という所が多い。[写真は3月27日(日)撮影]
 今では西日本方面からかなりの数のタンクローリー車が東北地方に入ってきているのだが、むろん被災地と緊急車両最優先の化石燃料であり、一般車両にまで廻される分はまだまだ少ない。
 それゆえ今なお平日の午前はガソリンスタンドに向けて並ぶ夥しく長い車列という光景が見られるわけである。しかも早朝から3、4時間も順番待ちということも普通である。
 しかし、街を歩いて気づくことは、確かに震災以前よりは街を走るクルマの数は幾分少ないものの、決して「ちらほら」というほどの状態ではない。そして意外なことに依然として営業用のクルマよりも一般乗用車、つまりマイカーの方が多い。これでは物資の流通が滞るわけである。
 下の写真に見られる神社の鳥居の内側に並ぶクルマは一体全体何のためのクルマなのであろうか。
 鳥居の内側はいわば「聖域」であり神聖な場所なのだから、これらのクルマは「神聖な用事」のために駐車しているのであろうか。
 むろん、決してそんなことはない。
 鳥居の左側には商業施設があり、そのために左側には広い駐車場がうあってクルマの出入口もある。これらのクルマはたぶんその商業施設に出入りする人たちのものであろう。だが、参道を塞がねばならないほど駐車場が混雑していたわけではない。だから、なんで神社の参道を塞いでまで駐車する必要があるのか理解に苦しむ。
 いわば「神々をも怖れぬ」行為であるが、このような現代日本人の「利便最優先」の行為が「ガソリン不足」を招いたと言えるのではないかとも考えたくなる。
 たぶん、これらのクルマのドライバーたちも前日か前々日あたりにはやっとの思いでガソリンにありつけたのであろう。しかし、ガソリン消費の表れが「神々に対する冒とく」なのである。
 確か10年前ほど前までは鳥居の左側は豊かな樹林で、「神聖」な雰囲気を漂わせていた。
 だが、クルマ社会の進展に押され、ついに樹林は駐車場と化した。
 それでも駐車スペースが足りぬとばかりに「お車さま」は参道を塞ぐまでを為しているのである。

70歳が若者を轢き殺した

2011-03-10 09:47:04 | クルマ社会の問題

 太字以下は新聞記事である。(山形新聞より)

現場は長井市でも歴史的建造物が多い地帯で、ブログ主である私も十一月に通りかかった所である。死亡事故は飲酒運転だけによるものでないことの証左でもある事故と言え、「飲んだら乗るな」ばかりではなく、「体調悪ければ絶対乗るな」のキャンペーンも必要であろう。とりわけ体調が悪い高齢者については(前期高齢者の年齢であっても)車運転は勧められるものではない。  

 歩行者はねられ死亡・長井 乗用車、歩道に乗り上げ走行2011年03月08日 16:33

 乗用車が歩道に乗り上げ、男性をはねた事故現場=8日午前9時14分、長井市栄町  8日午前7時45分ごろ、長井市栄町で、乗用車が歩道に乗り上げて走行し、同市成田、銀行員橋本宏祐さん(28)をはねた。橋本さんは川西町の公立置賜総合病院に搬送されたが、同9時15分に死亡が確認された。  長井署は自動車運転過失傷害の疑いで、運転していた白鷹町鮎貝、無職本間俊紀容疑者(70)を現行犯逮捕。容疑を自動車運転過失致死傷に切り替え、調べる方針。  逮捕容疑は、主要地方道長井大江線を南進中、歩道にいた橋本さんをはねた疑い。同署によると、本間容疑者は歩道を約20~30メートル走行した後、橋本さんをはね、電柱に衝突して停止した。  本間容疑者は通院途中で、橋本さんは出勤するところだった。本間容疑者の後続車の女性によると、乗用車は歩道に乗り上げる前から蛇行していたという。同署が詳しい原因を調べている。

◆写真「左」が11月に私が撮影した写真 歴史的景観に感激した 「右」が新聞HPでの写真この二つの写真により昨年11月に通った地点であることが確認できた。


古き良き時代の優雅な交通渋滞

2011-03-07 06:43:29 | クルマ社会の問題
 たぶん大正後期か昭和初期の頃の山形市内中心街の模様だと思う。
 今年の冬の積雪はかりのものであったが、この時代の積雪もやはり相当なものであったことが、この写真によりわかる。
 でも、これほどの積雪でも住民たちも行政もさほど大騒ぎすることはなかったようだ。
 やれ、自治体の除雪費が底をつきそうだから、議会で補正予算計上の承認を得ておかなければならないだの、何よりもクルマの走行に重大な支障が生じて経済活動が停滞するだのと、てんやわんやになるのは現代だからだ。
 むろん、この時代も雪を道路の両脇に積み重ねていたが、路面のアスファルト(この時代はたぶん土のまま?)がすっかり現れるまでに雪を除去することはなく、むしろ商店主たちも一般住民も路面がむき出しになるまでに雪が取り払われるべきではないと考えていた。
 なぜなら、商品を運ぶためのそりを使用するには路面の雪はむしろ多めの方がよかったからである。
 だから、路面の雪が消えかかったら、道路の脇に積み重ねられていた雪を取り崩して再び路面を雪で覆うようにしてそりをすべらせるのに便利にしていたのである。

大衆的文化施設に至近でも横断歩道なし

2011-02-28 16:53:22 | クルマ社会の問題

 蔵王産業団地といえば多くの工業施設が立地している。
 だが、この団地内に工場を備えた商業施設・兼文化スポーツ施設があり、山形市の内外から多くの人たちが訪れる。しかも誰でも利用できる図書館まである。
 だから、ここだけは工場の勤労者以外の一般人も気安く出入り可能である。
 でも、この産業団地は公害対策のために当然の如く市街地からは隔絶した元の農地に造成されたわけだが、工場公害など「心配ご無用」とばかり多くの一般人が出入りしている。
 クルマを持たない私も以前一、二度自転車で訪れたことがあるが、このたびはバスで訪れた。
 ほとんどの山形市民は自転車やバスでここを訪れることなど考えたことがないだろう。
 でも、バス停からは徒歩10分以内でこの“文化施設”に到達できるのだから、至極不便というわけではない。
 ところが、バス停方面の道路から産業団地に入るには幅広い国道を横断しなければならないのだが、国道に沿う南北方向には歩行者向けの信号機と横断歩道はあるものの、産業団地入りするための歩行者用の信号機も横断歩道は設置されていない。
 だから、歩行者は事実上国道横断は禁止されているに等しい。
 でも、確かにこの産業団地には不特定の一般市民が多く訪れる商業施設・兼文化スポーツ施設がある。それならば至近の交差点には歩行者向けの信号機と横断歩道は設置されてしかるべきであろう。これではバス利用者や歩行者・自転車利用者は来るな!と言うに等しい。
 この商業施設・兼文化スポーツ施設の社長氏は文化的貢献者としての誉れが高い。
 しかし、施設内の敷地をざっと眺めると訪れた利用者の駐車であふれ(写真左)、これでは他のの郊外型商業施設となんら変わらず、地球温暖化促進施設と呼んで差し支えなかろう。

◆写真左は交差点 左手に商業施設と文化スポーツ施設が付帯の工場敷地 前方がバス停方面 交差点の右手が上山方面 左手が山形市街地方面

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(14)

2011-02-21 09:34:19 | クルマ社会の問題
 このシリーズは「駐車場の乱造」を主テーマとしているが、この駐車場が乱造される以前にクルマ、とりわけ乗用車の乱造道路の乱造および乱拡幅がある。
 むろん、クルマの乱造と道路の乱造は不可分の関係にある。
 だが、いかにクルマと道路だけが多く作られても、それだけではクルマは走らずお飾り的な“半不動産”の状態のままとなろう。
 クルマは民間の巨大企業が生産し、道路は国や自治体の行政が建設する。
 しかも道路は「国土計画」や「都市計画」の立派な名のもとに“計画的に”建設される。ところが、この“計画的に”建設された道路網のために都市と国土の崩壊が進展するに至っている。
 都市計画の名のもとに建設されてきた鏡のように滑らかな道路の沿道の街路景観は“美観”からはほど遠く、むしろ大きく劣化しているばかりでなく、沿道の市街地の多くは空洞化と衰退の途を辿っているといえる。それゆえ「計画」の名により進められてきたにもかかわらず結果的に道路は「乱造」されてきたと言えるのである。
 なぜそうなるのかと言えば、行政はクルマが駐停車することを考えないでクルマが走り易い道路の建設に邁進してきたために新設・拡幅道路の沿道の土地所有者(当然多くは民間人)たちが個々ばらばらに駐車場を造成するようになってきたからである。
 小さな駐車場がばらばらに造られると建物の連続性が失われて歯並びが幾つも欠けたのと同様になって街並み景観は著しく損なわれ、「街の魅力」も当然失われる。
 どうも行政による「都市計画」には「駐車場の計画的配置」は含まれていないようである。
 広い道路の建設は当然クルマの走行台数のかなりの増加を見込んで施行されるわけだが、その増加するクルマに並行して用向きのために沿道に駐停車するクルマがどれだけ増加するかを考慮に入れるならば、行政は当然「駐車場」の配置と面積をも割り出し、道路建設と併せて都市計画の中に織り込むべきなのである。
 こうすれば少なくとも街路景観の美観はましになろう。
 えっ! 行政は駐車場まで造成する資金は調達できない?
 それならば、いっそうのこと、道路建設は極力削減すべしということになろう。

※ 写真は文翔館の西方の拡幅された県道の沿道景観 駐車場ばかりが多く、決して美しいとか趣がある、詩情あふれるとかいう街路景観とは言い難い。

日本史上最大級の八百長とは

2011-02-09 06:27:48 | クルマ社会の問題
 相撲界は八百長問題で文字通り「土俵際」に立たされている。
 四股名を若の鵬と称していた元ロシア人力士によれば力士全体の75%は八百長経験者であるという。むろん、この八百長は昔々の大昔から通常行なわれていたらしい。
 だが、八百長力士たちを弁護するわけではないが、彼らがたとえ八百長経験者であっても、すべての取組みで八百長をやっているわけではなく、八百長をやるとしてもごく限られた状況(※注)の場合のみのことであろう。
(※注 例えば、千秋楽に近く、星取表の具合が一方が白黒五分五分で幕下陥落の恐れがある者、もう一方が勝ち越しが確定の場合など)
 むろん、優勝や三賞を目前にした力士は八百長の裏取引に応じるわけがない。
 まあ、八百長取組みと八百長でない取組みとの割合を比較すれば、八百長でない取組みの方が圧倒的に多いことであろう。
 それでも八百長相撲は厳然として存在するのだが、観客はそれらの「無気力相撲」に対してブーイングを浴びせたという話はほとんど耳にしたことがない。
 厳然として存在する八百長相撲と八百長でない相撲を識別することはきわめて困難だからということになるのか。それとも「疑わしきは罰せず」が観客のマナーなのか。
 ともかくガチンコ相撲もかなりの技術を要するからまさしく「国技」そのものだが、八百長相撲もなかなか見破られないとすれば、これまたかなりの技術や技巧を要することになる。つまり観客はこれらの技術をも鑑賞していることになる。
 ここで提案だが、観客の中から「八百長鑑定士」を募り、“技術力の高い”八百長力士に“裏技番付”を与えてみたらどうであろうか。

 前段が長くなってしまったが、これからが“本論”たるクルマ社会の問題になる。
 若の鵬が言う「75%が八百長力士」が本当だとしても、それをもはるかに凌ぐのが道路交通法上の速度違反経験者の数である。
 制限速度以内での走行になるのは渋滞か渋滞に近い状態の時或いは狭い道路のみである。
 しかも速度違反は飲酒運転以上に人命にかかわる行為であるのに、おおっぴらに見逃されている。
 八百長談合を拒否された十両力士が幕下陥落により収入が大幅に減る恐怖にさいなまれるのと同じように、警察の“ネズミとり”にひっかかったドライバーが免許剥奪や高額な罰金の恐怖にさいなまれるが、“ネズミとり”にひっかかるドライバーはごく稀である。
 いわば、速度違反に関しての警察とドライバーとの関係は暗黙の八百長関係にあると言える。
 この八百長関係により、警察は労働強化から解放され、ドライバーは運転免許継続という利得を得るのである。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(12)

2011-02-02 11:38:26 | クルマ社会の問題
 前方の建物は巨額の公費を投じて建設された市役所のすぐそばの市営駐車場である。
 この近くは中心商店街であり、またビジネス街でもあるのでこの市営駐車場と同じような重層式の立体駐車場も多い。
 でもこれらの立体駐車場は民営なのですべて「有料」である。
 しかるに、この市営駐車場は「有料」なのか「無料」なのかが不明確である。
 市役所のすぐ近くにある市営駐車場だから当然市役所に用向きのある市民の利用が多い。
 その場合は窓口となった課が「無料券」を交付する。
 一方、近くの商店などに出向いた利用者は無料券の交付を受けないから「有料」となる。
 しかし「アタマの良い市民」は商店に出向くのが主目的であっても前後に市役所に入って友人や知人の市職員がいる課にほんの少しだけ寄って無料券を貰う。
 逆に市役所に訪れたついでに近くの商店で買物をして中心商店街に貢献!?している市民も多い。
 この無料券は市役所内に居る時間の多少にかかわらず貰える。
 市役所職員としてもこの無料券の交付は「神聖な市民サービス」の一環としての意識だ。
 だから、会議などが長引いた場合はたとえ数時間かかっても駐車料金は無料となる。
 例えば市議会議員は議会での審議が紛糾により長引いて丸一日どころか深夜に及んだとしても当然無料ということになる。
 一方、民間の営業用駐車場を利用する場合は●千円以上商品を買い上げた場合は無料になるものの、買物以外での駐車場利用、例えば商取引の場合などは無料にならない。
 その商取引の交渉が長時間を要して駐車料金が千円以上になる場合もある。
 だから、民営駐車場の経営者にとっては市役所駐車場は目の上のたんこぶになる。
 たとえ「中心商店街の活性化」を錦の御旗として市役所駐車場を無料開放すべきだとの声が幾度もあがったものの民営駐車場からは強硬に反対されてきている。
 印鑑証明書の受給などで市役所に訪れた若い市民が市役所駐車場を利用した場合は無料券を貰えるが、遠方からバスで訪れた高齢市民がバスの乗車料金の相当額を市役所から支払われることはない。
 市役所駐車場は市民の税金で建設されたのだから無料にするのは当然とされてきたが、バスで市役所を訪れる市民や民営駐車場とのかねあいを考えと、市役所駐車場が無料というのは本当に市民サービスになるのかは甚だ疑問である。
 しかも財政難の中、「無料」の利用ばかりが多くて市営駐車ビルは更に市の財政を圧迫しているのである。だから、「国を滅ぼす」まではいかなくても「市を滅ぼす」要因の一つとさえ言えるのである。
 

自転車道、やはり積雪期に「不要論」頻発

2011-01-26 22:31:45 | クルマ社会の問題
 一昨日、山形市中心市街地の自転車道「即時撤廃」を主張する市民グループを主体とするシンポジウムが開催された。
 それでもパネリストには「撤廃論者」だけでなく「賛成論者」も登壇し、後半の一般聴衆の自由発言にも複数の賛成論者が意見を述べた。
 むろん、その他の発言者には廃止論者が多かったが、特に冬場の積雪期には自転車道を利用する市民や高校生の姿がほとんど見られないことから、自転車道のスペースがいかにも無駄だとする意見がこの会場の外でもかなり聞こえていた。
 なるほど、上の写真でも右側の自転車用のゾーンには自転車の影も形も見られない。
 それもそのはず、積雪があるとすぐにでも車道には除雪車が出動し、またたく間にアスファルトの路面が露わになるのだが、自転車道の除雪はかなり後回しされる。
 むろん、この区間以外には自転車道は存在しないし、幹線道路以外は積雪のままか凍結している道路が多く、若い高校生すら自転車通学する者は稀であるから、たとえ自転車道の除雪が即座になされたとしても、自転車が走る姿を目にすることは稀であろう。
 ともかく、「自転車の最大の弱点」は冬季、とりわけ積雪や凍結道路に弱いことである。
 それゆえ冬の雪国では自転車利用者は激減する。
 だからといって、そのために自転車道を撤廃する根拠とすべきではないのである。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(11)

2011-01-19 11:34:18 | クルマ社会の問題

 見るからに豪奢な土蔵造りの建物。
 以前は確かに店舗として街の経済の中で大活躍していたのであろう。
 でも、いずれも現在は店舗としては活きていない。
 このままではこれらの堅固な造りの土蔵建築も朽ち果ててしまうか、その前に解体されてしまうことは必定のような気がしてならない。
 だから「歴史的建造物」を主たるターゲットとしたタイガーマスク氏や伊達直人氏が大勢現れて、維持補修の援助をしてほしいものである。
 伊達政宗を藩祖とする仙台藩の領内であった小都市ならばなおさらである。
 それにしても、なんでこんな立派な建物が「屍」(しかばね)のような状態になってしまったのであろうか。
 むろん、要因は一つだけではないにしても、ここでも郊外に広大な無料駐車場を備えた大型の商業ゾーンができたことも大きな要因であろう。
 確かにここ(岩沼市)はかなり以前から仙台のベッドタウンと化しており、鉄道やバスを利用しての通勤通学する市民が多かったのであるが、郊外に上記のような広大な無料駐車場を備えた大型の商業ゾーンができたことにより仙台方面への通勤通学しない市民までも旧街道沿いの店舗にはそっぽを向いてクルマで郊外型新興商業ゾーンに出向くようになったのである。
 なんとモッタイナイ!
 ここでも「和」の美は失われようとしている。
   http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/d/20110118←ここでも同じような記事と写真があります。是非、ご覧ください。