天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

肥後街道鶴崎宿に法心寺

2019年04月08日 | 豊の国


1601年加藤清正が鶴崎お茶屋脇に建立した寺。





神仏習合楼門。阿吽像、狛犬は早吸日女神社から移されました。



楼門手前に清正像。



楼門、鐘楼、清正が突き刺した杖が…の逆さ銀杏。



落葉後の裸の木は杖のように見えます。



裏から見ると…



清正大神像殿。清正は関ヶ原の戦後すぐに佐賀関、鶴崎、野津原、久住を所望。没する1611年までの間に路というより、神仏の教え、王道を求めたのではないでしょうか。肥後藩を継いだ細川氏も…

1635年参勤交代を徳川三代家光が制度化。その後、鶴崎は参勤交代路、豊後街道の終点船着場として重宝されたようです。熊本市桜の馬場・城彩苑の中にも清正像。



海舟・龍馬も佐賀関からここに…

大御代は ゆたかなりけり 旅枕 一夜の夢を 千代の鶴さき 海舟

海舟も清正の遺志と共に、ここ鶴崎でゆたかな大御代を夢みました。



法心寺そばの小学校校庭にお茶屋跡。



七月に行われる鶴崎二十三夜祭りは、清正の命日法要。清正大神像は神殿から本堂に移され、法要が営まれます。盆踊り鶴崎踊りの発祥は、酒色に溺れる宗麟を諌めるため。


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