とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

コンビとは(1)

2009年12月15日 01時11分24秒 | マーティン&ルイス


底抜けコンビ熱が、とまらない。
ディーン・マ-ティン&ジェリー・ルイスのことを、知れば知るほど魅惑されてしまう・・・

<底抜けコンビ=マーティン&ルイスを通して考えるお笑いコンビとは、とんねるずとは>というテーマで数回にわけて書いてみたいと思います。


ところで、興味があるけどマーティン&ルイスをまだ知らない、という方は、彼らの主演映画はもちろんのこと、ぜひYoutubeでColgate Comedy Hourを検索して見てみることを強く強くおすすめします。


Colgate Comedy Hourは傑作選DVDが米国で発売されています(リージョン1)。

またコンビがホストをつとめたラジオ・バラエティDean Martin&Jerry Lewis ShowのオーディオCDは、日本のアマゾンで購入可能



前回Colgate Comedy Hourについて書いたあと、彼らのコントをさらにいくつか見てみましたが、やっぱりおもしろい!少しも古さを感じません。


ナイトクラブのステージがそうであったように、テレビでもふたりは台本から逸脱しまくっている。相方のアドリブがツボにはまって笑いが止まらなかったり、小道具さんが用意した飲み物が死ぬほどマズいと言ってはふたりで笑いころげたり・・・そのたびに観客から起きる悲鳴のような爆笑!笑いの渦、とはまさにこのこと!


ふたりが作り出す笑いの「場」は、狂気とカオスのるつぼ。それは笑いにおけるモダン・ジャズであり、ロックンロールであり、パンクだった・・・エルビスやビートルズやマイケル・ジャクソンがスターになるはるか以前に、マーティン&ルイスが世界を席巻したのです。


第二次大戦後のアメリカにおいて、マーティン&ルイスはまさにキングだった。


映画はすべて大当たりし、パラマウントのドル箱スターになった。出演するテレビは高視聴率を記録、CMを何本も抱え、ナイトクラブの全米ツアーを何度もやり、最高額のギャラを稼いだ。さまざまな記録をぬりかえ、ツアーにはファンが殺到、ホテルの窓からサイン入りの紙をばらまけば群衆が奪い合った・・・









おそらく彼らは、アメリカの喜劇界が生んだ最大のアイドルだったのでしょう。そして彼らほど強力な磁力をもったコメディ・チームは、彼ら以後ひとくみも現れていない(少なくとも、アメリカでは)。

50年以上の時をこえて、かつてマーティン&ルイスを取り巻いていた熱気を、完全にではないにしてもわたしもヒシヒシと感じることができます。



しかし、いま彼らが伝説のコンビと呼ばれているのは、かつての爆発的な人気だけが理由ではありません。

コンビのパフォーマンスのすばらしさだけではなく、コンビそのものの物語があまりにも魅力的で、ほとんど神秘的ですらある。そのことが、マーティン&ルイスをアメリカのショービズにおいてきわめてユニークな存在にしているのではないかと思うのです。


マーティン&ルイスは1946年にコンビを結成し、1956年7月25日に解散しました。

それは、彼らが正式なコンビとして初めて舞台に立ってからちょうど10周年の記念日だった。


コンビを解消することを公式に発表したふたりは、ニューヨーク最高のナイトクラブコパカバーナのステージに立った。それはいわば”解散ツアー”でした。当時ふたりの関係は最悪になっていて、撮影現場やステージ以外では一切口をきかなくなっていたらしい。


このステージが終われば、マーティン&ルイスも終わる。観客はその現実を知りながら、もっともアメリカに愛されたコメディ・チームの最後を見届けるため、コパカバーナに殺到したそうです。









観客には、なぜふたりが解散しなければならないのか、理解できなかった。マーティン&ルイスは1956年の時点でもまだ人気の絶頂にありました。映画も、CMも、たくさんの仕事の契約が残っていた。解散後、弁護士たちがコンビに予定されていた仕事の残務処理をするのに何ヶ月もかかったといいます。


しかし、観客が本当に理解できなかったのは、あれほど仲の良かったコンビがなぜ別れねばならないのか?ということだったんじゃないかと思う。


ジェリー・ルイス自身、何度も言っています。他のコンビとマーティン&ルイスとの決定的なちがいは"love"だった、と。

マーティンとルイスがたがいに心底信頼しあい、愛しあい、その愛情を一切隠さず、相棒への友情、同情、いたわり、絆を、イノセントに全世界の前にさらけだしたこと。それこそがマーティン&ルイスだった。


そんな強い絆が、こんなにあっけなくこわれてしまうものなのか?------


この謎は、いまだに謎のままのこされているようです。いろいろな原因が指摘されているけれども、決定的な別離の理由は、いまだにはっきりしていない。


いや、それどころか、マーティン&ルイスのシンプルな伝記的事実でさえもがいまだにあいまいなのは、非常に不思議なことです。

ふたりの最初の出会いは1944年とあるホテルだったという人もいれば、1945年のニューヨークの路上だという人もいるし、ふたりがブッキングされていたナイトクラブが最初の出会いだったという人もいる。

コンビ解消後、最初にふたりが公の場で共演したのは1958年だったという説もあれば、1976年にフランク・シナトラの口ききで再会するまで20年間会っていなかったという説もある。


ディ-ン・マーティンの公式ファンサイトDean Martin Fan Centerにも、こう書かれています:




The MARTIN AND LEWIS story is so complex that it would be very hard to cover every aspect of the Duo's success and breakup...


マーティン&ルイスの物語はあまりにも複雑であるため、コンビの成功と別離のすべてをカバーするのはきわめてむずかしい。・・・




It is difficult to explain why these two were not seen more often in public view. Each of them devoted so much time and energy into their own careers, that maybe time just passed too rapidly for them.
Only the two of them will really ever know how often they actually spoke or visited. We just know ourselves what a legacy they left for us.


ふたりが(解散後)公の場でもっと共演しなかったのはなぜなのかを説明するのは困難だ。それぞれが新しいキャリアに時間とエネルギーをささげていたので、おそらくふたりにとって時間はあっと言う間に過ぎてしまったのだろう。
実際彼らがどれくらいの頻度で話したり会ったりしていたのかは、ふたりにしかわからないことだ。われわれはただ彼らが残してくれた偉大な遺産を知るのみである・・・





コンビというのは、結婚とおなじだ、と、これもジェリー・ルイスの言葉です。結婚したことのないわたしには、結局コンビというものも本当のところは理解できてないのかもしれません。

ただ、マーティン&ルイスの歴史を見ていると、あまりにも熱烈に愛しあったがために、すれちがい始めた時の気持ちの振り幅が大きくなってしまったのだろうか、とも思う。「愛」の上に成り立っていたコンビは、「愛」が消えれば死ぬしかない。

互いへの信頼があまりにも強固だったがために、それがいつか終わりを迎えるなどということを、若いふたりは夢にも考えなかったんじゃないだろうか?


それは、ある意味危険な賭けだったのかもしれない。でも、その賭けに飛び込んだからこそ、マーティン&ルイスの10年間は”伝説”になったのではないか・・・


もちろん、真実がそんなに簡単でなかったのは確かです。マーティン&ルイスの関係性は、簡単に結論づけるにはあまりにも複雑すぎる。あまりにも魅力的すぎる。


コンビというもののありかた、その複雑な関係、運命---そのすべてを体現しているのが、マーティン&ルイスだという気がします。














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