とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

アナログでしょうが…

2011年04月29日 14時56分22秒 | ワンフー日記
情報誌「ぴあ」で、唯一発行をつづけていた首都圏版が、7月に休刊するとのこと。
関西版、中部版はすでに休刊していたから、これで「雑誌ぴあ」という存在は消滅することになります。

大学時代には毎号買ってましたが、映画情報とテレビ番組表しか見てないじゃん!と、気づいてからは、図書館に蔵書されているのをぱらぱらとながめたり、コンビニで立ち読みしたりするくらいでした。だからわたしにも、責任(?)の一端はあるのかもしれません。

それでも、なんとかウォーカーとか、ほにゃららマガジンとかではなく、あいもかわらずぴあに依存していたのはたしかです。

新作映画の一覧を確認できること、その映画をどこで上映しているのか、上映何週目か、といった、ぜったいに必要な情報を、かんたんに手にとって一望できることは、わたしのような、デジタル人間になりたいのにどうしてもなりきれないアナログ人間には、このうえなく便利なものでした。

けっきょく、ぴあのフォーマットがいちばん見やすかったしね。

紙媒体というものが、いずれなくなるのだろうな、というのは、かなり前から確信がありました。
媒体がなんであろうが、その中身(コンテンツ)は変わらないわけだし、デジタル化することでひろがる可能性は大きいのだろうと思う。

ただ・・・・・・

と、ここで「ただ・・・」とか言っちゃうところが、アナログ人間のアナログたる由縁なのですな(笑)

ただ、やっぱり、なんとなーく、手でふれられるもの、指先でその形を、その実体をたしかめられるものが失われてゆくことへの、漠然とした不安は、ないわけではないんですね、感覚的に。

2002年に、わたしの親友がはじめて劇団の演出をやって、その上演情報がぴあに載りました。そのとき、すごく興奮したのをいまでもおぼえてますし、その掲載号(02年4月22日号)はいまでも大切にとってあります。

これからは、もうそんな体験はできなくなるのかな。もちろん、デジタルならではの新しいタイプの感動というのも、これからまた生まれてゆくのでしょうけれどね。


すこし前に、某大規模書店の古書コーナーで『パスカル小品集』を買いました。白水社から昭和21年に再版されたもので、初版は昭和13年とあります。日中戦争がぼっ発したころに初版が出版され、太平洋戦争をはさんで昭和21年に復刻された本です。

跋文で、訳者の由木康がこう書いています:

「自分がこの翻訳に著手したのは昭和11年の秋で、今から丁度十年前である。十年といえばいわゆるひと昔であるが、この十年はとりわけ変動が激しかった。その間に我々は水火の洗礼を受けて全く一変した。しかしそれによって我々は一層深くパスカルを理解し得る位置におかれたのである・・・」

「・・・また以前の版には四葉の写真版が挿入されていたが、このたびは印刷と用紙との事情からそれらも割愛した。が、これは現在の出版情勢上やむを得ないこととして読者諸賢が御諒察下さるであろうと思う・・・」
(旧仮名遣いは現代仮名遣いにあらためています)

終戦から数年たっても、まだ印刷事情が良くなかったことがうかがえます。
それでも、ふたたび自由に出したい本が出せることのよろこびが、この跋文からはにじみでていて、なんともいえないすがすがしさをおぼえました。

あまり質の良くない紙の表紙は黄ばんでいて、本文にもヤケやシミがいっぱい。カバーのビニールもボロボロです。でも、『パスカル小品集』はたしかにここに存在して、幾人かの所有者をへて、いまわたしの手の中にあります。

以前の所有者が、こんな一節------

 <人間が愛なしに一刻でも生存するといふことは不可能である>

------パスカルのこんなことばに、生真面目そうな傍線をひっぱっているのを見ると、胸の奥がぎゅっとするような、愛しさというか、切なさというか・・・この人がこの傍線をひいたときの想いって、なんだったんだろうか、と想像せずにいられなくなります。


ところで、ぴあの事実上の廃刊に、今回の震災が追い打ちをかけたのかどうかはよくわかりませんが、震災後、紙とインクの供給がストップしたせいで、出版業界、印刷業界がたいへんな危機にみまわれたという話は、あちこちで聞きました。

そんななか、「お笑い」専門のムック本であるコメ旬が無事創刊できたというのは、すごいことだし、そこに多少なりとも参加させてもらえたのは、ありがたかったと、こころから思います。

わたしの周りには、ざんねんながらとんねるずファンも、お笑いファンもいません。でも、いつもいっしょに遊ばせてもらっているシネフィルのおともだちが、コメ旬を買ってくださったり、目を通してくださったりしました。

「わたしって、潜在的に木梨さんのことが前から好きだったんだなって、コメ旬を読んで気づかされたわ~」なんてことを言ってくださった人もいます。もう、その一言のためだけにでも書いてよかった!と思えました。

ブログ読者のFUJIWARAさんは、長大な感想をメールしてくださいました。ほんとうに、言葉もありません。

ブログ記事のほうへ感想を寄せてくださったみなさん。ネット上で意見を出してくれている人々。直接キツいダメ出しをしてくれた故郷の友だち。買ってくれたみなさん、読んでくれたみなさん、これから買ったり読んだりしてくれるみなさんも------ご批判もお誉めのことばも、すべてに感謝のきもちです。

今回のとんねるず特集が、とんねるず史、そして日本の演芸史のなかでどんな意味をもってくるか、というのは、もうすこし長いスパンで見ていく必要があるかもしれません。できることなら、これをきっかけとして、とんねるずというコンビの魅力がもっと豊かに、もっと多彩に、もっと深く、世間に受け入れられていけばいいのではないかなと、いまは考えています。

わたし個人としては------まあ、これは以前からひきつづいての自分のテーマなんだけど------とんねるずを、もっと広い時間的・空間的な視野のもとに位置づけていければ、と思ってます。

具体的にいうと、20世紀初頭からのアメリカのエンタメ史から、日本のコメディアンへの影響、さらにそれがとんねるずにつながっていって、1980年代以降どう結実したか・・・みたいな?(笑)

日本の喜劇史にはじつはほとんど無知なので、そこが大きな課題ではあるんですけどね・・・。
サイレント喜劇映画やマーティン&ルイスへの偏愛が、どこかでとんねるずとつながっているのでは、という、予感みたいなものはあります。

なんか、えらく大風呂敷ひろげちったな(汗)
まあ、小さなことからコツコツと、楽しくやっていけたらいいかなっと思っとります。
今度ともよろしくおねがいいたします。


長文を最後まで読んでくださったみなさん、さんきゅーべるまっちょ!





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2 コメント

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ぴあ (FUJIWARA)
2011-05-04 15:46:46

私もぴあにはお世話になりました。
ネット以前、ライブなどの情報収集に欠かせないものでした。

ネットはピンポイントで便利なものです。
それに比べて雑誌などはペラペラページを捲ると
偶然目に入ってきた情報が役に立つ事が多かったと思います。

今まで有難うと言いたいですね。


>ブログ記事のほうへ感想を寄せてくださったみなさん。
>ネット上で意見を出してくれている人々。直接キツいダメ出しをしてくれた故郷の友だち。
>買ってくれたみなさん、読んでくれたみなさん、これから買ったり読んだりしてくれるみなさんも
>ご批判もお誉めのことばも、すべてに感謝のきもちです。
普段生活していてなかなか言う機会はありませんが、
こういう時が「みなさんのおかげです」という事でしょうかね・・・。


ファイアーさんはマルクス兄弟の本、見た事ありますか?
とんねるちゃんがコントをやるならマルクス兄弟の本と偉い人に
言われたみたいですが。
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FUJIWARAさん (ファイアー)
2011-05-04 21:09:18
ウチのPCが古いので、ネットの情報サイトが使いづらいと感じるだけかも(笑)
なるほど。紙媒体での偶然の出会いというのは確かに大きいですよね。

>こういう時が「みなさんのおかげです」という事

そうなんです!

マルクス兄弟の本をとんねるずにすすめたのは、確か井原高忠さんでしたっけ?
トークダービーでタカさんが話してたのを聞いたことあります。
たぶん、中原弓彦(小林信彦)の翻訳本のことだと思うんですよ。
まだ読んではないです。
マルクス兄弟の映画も、2本くらいしか観てないし・・・
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