とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

コンビとは(4)ディーン・マーティンに学ぶこと

2009年12月23日 02時11分04秒 | マーティン&ルイス
はじめにおことわりしておきますが、『リオ・ブラボー』も『オーシャンと11人の仲間』も『サイレンサー沈黙部隊』も、わたくしまだ観ていません。『キャノンボール』は昔観たはずだけど、どこらへんにディノが出ていたのか思い出せません。ディ-ン・マーティンがMCをつとめた長寿番組「ディ-ン・マーティン・ショー」も、見たことがありません。

つまり、底抜けコンビを解散してからのソロの活動は、一切知らない状態で書いております。

なぜわざわざ最初にこんな懺悔をしているかというと、ディ-ン・マーティンにはいまも熱心なファンの方がたくさんおられるからなんです。

今回の記事は、歌手や俳優としてでなく、あくまでマーティン&ルイスとして活躍していた頃の、"コメディアン"としてのディーン・マ-ティンにのみ注目することが目的であります。

そうそう、もうひとつ懺悔しておくことがあるんだった。

はじめて『画家とモデル』(1955年の底抜けコンビの主演映画)を観た時、「ディ-ン・マーティンの歌の場面がどーもカッタルイなあ・・・」と思ってしまったことは、正直に告白しておきます。

とはいえ、いまじゃディノのベスト盤CDなんか買っちゃったりなんかして、魅惑のバリトンボイスに酔いしれちゃったりなんかしてるわけですが・・・

だけど、底抜けコンビ映画のディノの歌シーンがかったるいのは、ある程度は事実でもあります。また、彼の役柄も、ジェリーの派手なギャグや体技の陰に隠れた印象を受けるのも、あながち錯覚ではない。

一番重要なのは、それがディ-ン・マーティンのせいでは決してない、ということ。

ジェリー・ルイスの著書『Dean & Me』によると、底抜けコンビ映画のプロデューサーだったハル・ウォリスは、マ-ティンのコメディ・センスを前面に出した脚本をことごとく却下していたらしい。「大衆はジェリー・ルイスを見て笑いたいんだから、マ-ティンにはモテモテ二枚目男をやらしておけばいい」と、プロデューサーはかたくなに信じていたようです。

どこに目ェつけてたんでしょう、ハル・ウォリスは?大手映画会社のプロデューサーって、いつの時代もそういうもんなのかしらん。

Colgate Comedy Hour(と、おそらくステージも)を見れば、ディーン・マ-ティンの独特のコメディセンスが理解できるはずなのに。それは底抜けコンビにとって不可欠だった、いやむしろそれこそが底抜けコンビのアイデンティティだったんじゃないか、とすら思えます。


マーティン&ルイスをひとめ見れば、誰もが首をひねるでしょう、「なんてヘンテコリンなコンビなんだ?」と。

普通、コンビとかトリオとかというのは、何らかの対称性がなくてはならない、とわれわれは考えがちです。たとえばおチビちゃんとノッポくん、おデブちゃんとガリガリくん、というように。

逆にふたりともおデブちゃんだったり、いっそのこと双子だったりすれば、大変落ち着きが良い。とんねるずだって、タカさんとノリさんのルックスが割と似ているというのは実は結構大きなアドバンテージだったと思う。

ところがマーティンとルイスは、身長がほぼ同じという共通点があるだけで、ルックスはかなり違う。年齢が9才もはなれている。ユダヤ系とイタリア系という出自の違いもある。



そしてもっとも奇妙なのは、ジェリー・ルイスが生粋の芸人であるのに対して、ディーン・マ-ティンが歌手である、ということです。

たとえるなら、アンタッチャブルの山崎さんが福山雅治とコンビを組んだみたいなもんで・・・ううむ、このたとえは多方面からクレームがつきそうだが、他に思いつかない・・・

ま、とにかく福山雅治にしといてもらって、その福山くんがさりげなくウィットに富んでいて、完璧なタイミングであいづちが打てて、相方のボケをひきたてる術に長けていて、でしゃばらなくて、コントでは一緒にドッタンバッタンやってくれる。そしてコントの合間合間にはロマンティックな歌を歌ってくれて、女性ファンの心もわしづかみ。そんな福山雅治がもしいたら、理想の相方だと思いませんか!?

ディーン・マ-ティンは、まさにそんな相方でした。本職は歌手だった彼が、なぜコントであそこまで面白い演技ができたのか、わたしには謎です。

彼が時折ぽつりとつぶやく一言は、場内大爆笑とまではいかないにしても、おそらく一部の鋭い観客にはかなりツボにはまるジョークだったのでしょう、特に男性の観客が大笑いしているのがよく聞こえます。

この表現はおそらくポリティカル・コレクトネスの観点から問題アリだとは思うのですが、あえて言っちゃうと、ジェリー・ルイスの笑いはオンナ・コドモに支持される笑いである一方、ディーン・マ-ティンの笑いはオトコ受けするものだったんじゃないだろうか。あくまで比喩ですけどね。いわゆる「男も惚れる男」タイプのユーモアだったんじゃないかと思うんです。

そう考えると、ルックス等の面では非対称なこのコンビも、笑いの面では見事な対称性をなしていたと言えるのかもしれない。


もうひとつ気づいたのは、ディーン・マ-ティンはやはり生粋のコメディアンではないので、コントをやってるとどこかにアマチュアっぽさが残っている。いまの目から見れば、その素人っぽさの方がジェリー・ルイスの芸よりもおもしろいと思える場面はたくさんあります。

しかし残念ながら1950年代の大衆は、アマチュアリズムがもつおもしろさを受け入れる心の準備がまだできていなかったようです。批評家の多くはディーンを「おもしろくない」と決めつけ、「クールな二枚目」のペルソナをおしつけようと躍起になっていたようです。

かたやジェリー・ルイスのことは「天才コメディアン」と手放しで賞賛していた。ジェリーが他のコメディアンと組めばもっとおもしろくなるはず、という声まであったらしい(そういう批評家たちのデリカシーのなさもコンビ解散の一因だったと、ジェリー・ルイスは書いています)。

しかしマーティン&ルイスは、まさにアマチュアリズムを笑いに取り込んだという点において、他のコメディ・チーム=熟練したプロ集団と一線を画している。

アマチュアリズムによって、コメディをやっている自分たちをどこか醒めた目で見ていたのがマーティン&ルイスです。アマチュアリズムによって、彼らは正体不明の大スターになれた。アマチュアリズムによって、彼らは決められた台本を逸脱し、古い喜劇の枠組みを逸脱し、真のアナーキストになれたのではないか。

そして、そのアマチュアリズムの良さをコンビにもたらしたのは、ディーン・マ-ティンだったとわたしは感じています。もしジェリー・ルイスが普通のコメディアンとコンビを組んでいたら、もしかしたら三流のままで終わっていたかもしれない。これはジェリー・ルイス自身が何度も発言していることです、「私を救ってくれたのはディ-ンだった」と。


いま、日本ほどたくさんのコメディ・チームが存在する国は世界でもまれでしょう。「ボケとは、ツッコミとは?」という問いも常に問われ続けています。最近ではいわゆる"ツッコミ役"も"ボケ役"並みにボケることができたり、どんどん前に出ていかないといけないといった風潮になってきている感があります。

これから、いわゆるツッコミ役をきわめていこうとしている若いみなさんに、ぜひディーン・マ-ティンを研究してみていただきたい。エゴのないユーモアだけが持つ気品、優雅さを、彼から学ぶことができるかもしれません。





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