とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

馬鹿まるだし

2006年03月21日 23時20分59秒 | 日本的笑世界
『馬鹿まるだし』(山田洋次監督 1964 日本)


「おかげです」の学園コントで、タカさんがチェッカーズを「おかげです中学の馬鹿まるだしです」と紹介してたことがありましたが(笑)…本作とはまったく関係ございません。

ハナ肇主演「馬鹿」シリーズ一作目。藤原審爾の小説『庭にひともと白木蓮』の映画化。「寅さん」の原型になったと言われている作品です。

<あらすじ>
昭和20年代。瀬戸内海のある町。シベリア抑留から帰国したという流れ者の安五郎(ハナ肇)は、仏像泥棒をひっつかまえたことから浄念寺の寺男になる。寺には、新婚の夫をやはりシベリアで捕虜にとられた若い嫁・夏子(桑野みゆき)がいた。直情径行で侠気のある安は、要領は悪いがおだてにゃ弱い。町のさまざまな危機を体をはって解決、次第に町の英雄となっていくが・・・。


と、いうコメディです。
実に見どころの多い作品です。

まず主演のハナ肇が、すばらしい。根っからの善人で純粋で一途、しかもおだてに乗りやすいという性格は、ハナ肇にぴったりだと思います。同じように朴訥でも、鬱屈して毒気をまきちらした『馬鹿が戦車でやって来る』の主人公とは、かなり違う。

安五郎は寺の庭先に一本の白木蓮の苗を植えるのですが、その真っ白な花は、まさに安五郎の純粋さの象徴なのです。

また、さまざまなエピソードが、テンポ良く、一定のリズムの中で語られてゆくのが、実に気持ちいい。

その"リズム"を作っているのは、植木等によるナレーションです。
映画は、安五郎が居候する寺の息子が、成長して安五郎の人生を物語るという形式をとっていて、その息子役が植木等。彼は映画のラストで出演もしています(でもクレジットはされていない)。

その特徴ある声と語り口が、いかにも飄々とした軽いタッチを、映画全体にあたえているのです。
「安さんの予感は的中したんだ」のような言い方は、ちょっと「北の国から」のジュンの語りをほうふつとさせます。寺の幼い息子が、ちょうど「男はつらいよ」の桜の息子(もちろん吉岡秀隆)のような位置なのも、なかなか興味深いところ。

さらに驚かされるのは、この作品が実にパロディ精神に満ちていることです。日本の仁侠映画や博徒映画、プロレタリア文学などのパロディシーンが随所にちりばめられています。安五郎が、子分(犬塚弘)に仁義のきりかたを習う場面なんて、笑える!

また、この作品自体が『無法松の一生』のパロディあるいはオマージュになっているという見方もできます。

山田洋次監督は、「無法松」のようなシチュエーション(未亡人と流れ者)によほどこだわりがあるのかしら。『遥かなる山の呼び声』もそうだし…まあこれは『シェーン』のリメイクと言われているらしいですが…しかも『遥かなる』ではハナ肇さんが重要な役を演じているのですよね。

実は『遥かなる』は未見。でもウチのおかんがストーリーを話してくれたことがあって、それを聞いただけで泣けましたもんね…。

それにしても、『馬鹿まるだし』を見ると、日本の共同体のありかたっていうものがいかに変化したかが、すこしわかっておもしろかったです。

かつては、町の顔役のような調整役の人物がいて、侠客と呼ばれる人々がトラブルを体をはって丸くおさめ、一定の役割を共同体の中でちゃんと与えられていた。普通の人々の生活の中に、彼らもちゃんと位置を占めていた。

だけど、いわゆる近代化や経済成長や民主主義やらのシロモノが田舎の町にも浸透すると、いつのまにか彼らは「悪」と見なされ、水面下におしやられ、排除されてしまう。彼らにかつて助けられたことも、人々はいとも簡単に忘れてしまう…。

いわば共同体の「コブ」のような存在を、山田洋次は「馬鹿」シリーズから「男はつらいよ」と一貫して表現してきたのかもしれません。『馬鹿まるだし』は、それをあくまでコメディとして、ドライに描いているところが、わたしは好きです。ああ、やっぱり好きだああ植木等!!





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