あっという間に、11月ですなあ~。
まずハルさんから情報いただきました。
TBSラジオの深夜番組「JUNK」のポッドキャスティングで、ワンフー仲間タカアンドトシが先日の「うたばん」出演(10/19放送分)の感想を熱く語っています。ノリさんとの遭遇体験や「おかげです」の思い出もおもしろいです。
期限の記載はないみたいですが、終了する可能性もありますので、お早めにダウンロードを!
こちらへ→http://www.tbs.co.jp/radio/format/ikura.html
ハルさん、ありがとうございました♪
* * *
さて。
時折ネット散歩をしていると、いろんな所でいろんな人が、とんねるずに関していろんな発言をされてらっしゃるのを見かけます。その中には、是も非も両方あるわけで。
もちろん個人の嗜好ですから、「非」に対していちいち反論するつもりはまったくありません。わたしだって、どーしても受けつけない芸人さんっていますしね。まあ、多少腹は立ちつつも(笑)、笑って聞き流す(読み流す)わけです。
ただ、ひっかかる意見がひとつだけありまして。それは、
「とんねるずの笑いは楽屋オチだからイヤ」
一部の人にしかわからないネタ(スタッフネタ、テレビ局ネタ等)で、一部の人だけがおもしろがっているのが気に食わん、というもの。
・・・そうかしら?それは、ちょーっとちがうんじゃないかしら?
すくなくともわたしは、とんねるずを「楽屋オチ」と感じたことはありません。自分がワンフーで、「楽屋オチ」がある程度わかるから感じないのか?とも考えてみたんですけど、やはりそうでもない。
というわけで、反論を試みてみましょう。
まず、「楽屋オチ」って何だ!?
いろいろ見ていると、案外複雑で、この定義だけで数ページはかかってしまいそう。
「楽屋オチ」自体を論じるのはこの記事の目的ではないので、とりあえずおおまかに、
「事情を知っている一部の人だけにしかわからないジョーク」
としておきます。
「楽屋オチ」というのは水もので、好意的に受け取られる場合と、きらわれる場合の両方があるんですね。しかも、どうやら「セルフ・パロディ」とごちゃまぜにされている印象がある。
それやこれやで、「とんねるずは楽屋オチ芸人」という認識をもつ人が出てくるのかもしれません。
確かに、それは間違いとはいえない。スタッフや業界の裏事情、テレビ界のしくみ、さらには帝京高校や木梨サイクル等々のネタは、まぎれもなく「楽屋オチ」ではあります。
でも、大事なことは、それが「開かれた楽屋オチ」だということです。
一般に「楽屋オチ」が否定される場合、それが「身内だけの密室の陰湿な笑い」であることが批判される。しかし、とんねるずのそれは、「密室の陰湿な笑い」からはほど遠い。
むしろとんねるずは、そういう笑いを嫌い、一般の観客との間にカベを作って喜んでいる業界人の体質を嫌い、そのカベを壊して"暴露"した。業界とトーシローの間の風通しをよくしたのです。楽屋でオチて終わるはずだった笑いを、公衆の場で堂々とやって、日本全国のお茶の間でオチるようにしむけた。
とんねるずファンは、もちろんネタの意味を知りたくて、積極的に学んだことでしょう。だから同じファンの間にも、ネタ理解度の格差は確かにありました。
たとえば、おかげですの「Mr.ノリック」の前フリで、トメ福留(タカさん)が「サイキックソルジャー山口エンタテイメント」と言う。これは、オ-ルナイトニッポンリスナーにしかわからないギャグです(ハガキ職人だったサイキックソルジャー山口さんご自身もブログでおっしゃってました→http://ameblo.jp/psy/entry-10013825055.html#cbox )。
しかし、それがわからないからと言って、おもしろさが半減するかと言えば、そんなことはなかった。わかる人にはよりおもしろく、わからない人にもそれなりにおもしろい。そういう意味でも、彼らの楽屋オチは開かれています。
どこで読んだのか忘れてしまったので正確ではないんですが、小林信彦氏が、「おかげです」のビデオを見ているニューヨークの友人に「トメ正留ってなんですか」と聞かれ、「答えられなくもないが・・・」と苦笑した、というエピソードを書かれていました。
まさに、そういうことなんです。
もし、とんねるずのいわゆる「楽屋オチ」が「密室の笑い」であったなら、それはタカさんの一貫したメジャー志向と矛盾するものだったはずです。とんねるずが本当に「楽屋オチ芸人」だったとしたら、あれほど爆発的にブレイクしたでしょうか!?それが、とんねるずが「楽屋オチ芸人」ではない何よりの証拠です。
それと、もうひとつ付け加えておきたいのは、「みなさんのおかげです」当時のとんねるずの中に、「現場のスタッフを笑わせたい衝動」があった、ということです。
それもプロデューサーやディレクターといった上層部だけじゃなく、大道具、小道具、照明さんに音声さん、美術さんにアクリル装飾の人・・・つまり現場で体をはる「スタッフ」を喜ばせたい、という衝動です。「おかげです」を見ていると、時々そういったスタッフさんたちが爆笑している声が聞こえていました。
そうやって、チームとしてのモチベーションをあげ、結束することを、とんねるずがいかに大事にしていたか。そのためには、ある程度視聴者をおいてきぼりにしてもやむをえない。スタッフが結束することが、より良い番組をつくることにつながるんだ---それもとんねるずの考えだったのではないでしょうか。
「開かれた楽屋オチ」とはやや矛盾するようですが、そういうダイナミズムも、確かにあったと思います(いまそれを真に受け継いでいるのは「うたばん」だと思う)。
いかがでしょう?またみなさまの忌憚のないご意見を、お聞かせくださいねんのねんのねん。
旧ブログでいただいたコメント:
とんねるずは、内輪ネタ・楽屋ネタというくくりで収まるものではありませんでした。内輪ネタを内輪だけでそのまま楽しむことは難しくないことですよ。で、そういう知り合いのネタが日常会話で実は一番おもしろかったりもする。それを知っているとんねるずは、登場人物を見事に"キャラクター"に昇華させることで、誰でも思わず笑ってしまうトークとして成立させてる。ここがなかなか真似のできない点だと思います。聞くほど登場人物が自分の身内に変わっていき、深夜にお腹が痛くなるほど笑わせられてしまう。とりとめなくてすいません。
2006/11/2(木) 午後 10:24 [ けいこさん ]
だれでも分かることをあまりに意識しすぎると、がんじがらめになって結局何も出来なくなってしまうことがあります。(経験上)知らなくてもなんとなく笑える。そのうちちょっとずつ分かってくる。そうやって、観る側を成長させるということを、とんねるずはやってきたのかもしれません。「よく分からないけど、なんとなく面白い」ということではラジオのコサキンもそうだと思いますが、こちらはとことんマニアックで、メジャーにはなりえない点が、とんねるすとは違いますね。僕はどっちも好きです。
2006/11/2(木) 午後 10:58 よっくんさん
気になさることありませんよ。「たけし論」や「ダウンタウン論」のように‘芸人論’で読み解けない玉手箱な魅力こそ≪とんねるず≫です、はい。
2006/11/2(木) 午後 11:10 [ ll_463_no_wplay さん]
>「業界とトーシローの間の風通しをよくした」 これまさにそうですね。オールナイトを聞いて、業界のことが良くわかりましたからね。また、それを知ることによって、より面白くなったって感じがしますもんね。
2006/11/3(金) 午前 0:49 はなひろさん
とんねるずの面白さは、うまく言えないですが自分は枠にとらわれない 笑いだと思うんですよ。理屈ではなくて。ひょうきん族からお笑いが好き になったんで楽屋オチの話は知れば知るほど面白かったです。それを批判 する人は知ろうとしないから面白さがわからないだけだと思います。まあ 今はラジオをやってないから余計理解するには難しいかもしれないですね。自分はいい意味でアマチュアチックなんだけどプロの笑いをする とんねるずが大好きです。自分もまとまりが無い文ですみません。
ではもう一丁^^タカアンドトシのワンフーぶりは凄く嬉しいので、 ついでにですがピン芸人の土田もとんねるずのオールナイトにはまって 「大志」を読んでいつか、とんねるずを超えてやると思い芸人になった そうです。ラジオDEパンチを読んでて感動しました^^ では、みなさんとうたばんのビデオを今から見ますのでコメント書けたら 書いときますね^^
2006/11/3(金) 午前 2:02 [ izumi450329さん ]
竹山さんのラジオで起きてしまった…。みなさんが上手に語っていらっしゃるので、あえて何もいうことはないです。自分は最初(まだ選挙権ない頃)わからなくても笑ってましたよ。それの何がダメなんだろうって考えるとそれは多分嫌いな理由をあえて捜してみた、ってところなんじゃないでしょうか?そういうことをいうなら私だって受け付けない芸人さんはいます。どこが嫌いとかは考えないですね。その人のこと自体を考えないから…^_^;
2006/11/3(金) 午前 4:30 タイタンさん
ちなみにカンニング竹山さんもTN目指して^_^; …って前言いましたよね?東の芸人さんは当然憧れるでしょ、と思います。というかね、ファイアーさんが随所に書いてるように永いこと第一線にいること自体すごいことで、いっぱい歌や用語を浸透させた彼らですから。もう伝説だし、私が死んだ後も伝説に残る。それだけは間違いないです!モノではなく記憶に残ればそれでいいのだ!(また意味不明…^_^; )
2006/11/4(土) 午前 10:19 タイタンさん
「楽屋オチ」の一言でつまらないと感じている人は、単にとんねるずに興味のない人の意見だと思います。ファイヤーさんのおっしゃる「現場のスタッフへのサービスのネタ」が、いつの間にか一般の人たちも巻き込んでしまうほど影響力があったと思うわけです。ラジオでスタッフの名前を出されても最初は「???」だけど、次は名前が出てきただけで笑える。 ラジオとテレビを上手くリンクさせて「分かる人だけ笑ってちょうだい」というスタンスを作った人たちだなぁと思ってます。それが良いのか悪いのか分からないけど…。
2006/11/4(土) 午後 2:39 [ donguri3116さん ]
だいぶ昔に、TVで誰かが当時冠番組持ったお笑い芸人を分析してて、「とんねるず」「鶴太郎」等は波のあるタイプと分類してました。が、その後○年間沈むことなく第一線にいる「とんねるず」を、「楽屋オチ」と片付けるのは、お笑い好きなら言えないことですね。
2006/11/4(土) 午後 3:19 めがねくん
「雑談を商売にできたら凄いぞ」 というのがかつて笑福亭松之助の口癖だったそうですが。それを商売にできた一例がとんねるずだと私は解釈してます。漫談と雑談の違いは、笑いの伏線を客に意識させるか否かという点です。毎回話をきっちりオトすのは勿論大変な業ですが、とんねるずのように、 笑いを欲する性とその緊張感を周囲の人間に伝えないで笑いをとるのも大変な業です。つまり、テレビでダラダラするのにも質というのがあるわけで、それをひらたく表すと “内輪ネタ” という言葉になるんです。
2006/11/5(日) 午前 3:33 [ nakamotoharrisonさん ]
ハリソンさん>なんだかすごくクリアーになりました。トークに関しては、まさにそういうことなのですね。つまり芸として磨かれた雑談ということですね。そう言われて昔の映像を見直したりすると、とんねるずのしゃべりには何か張りつめたものを感じます。そうは見えないけどやはりどこかピリッとしているというか。今は「うたばん」なんかはかなりダラッとしてますけどね(笑)
2006/11/7(火) 午後 6:12 ファイア-
大まかに捉えると東京の笑いって、下町の毒と山の手の不条理でできてると思うんです。毒が漫談、不条理が「ポパイ」世代の雑談、もしくは 動きの芸のことです。で、貴明は主に雑談から、憲武は主に動きの芸から真価をみせ、80年代以降の山の手の流れを決定づけたんだと思うんですね。延いては、その山の手の流れではなく、下町の流れから隆盛してきたという点に現在の爆笑問題の目新しさがあります。“不条理”はいつの間にか東京のメジャーになっていて、ある種その時代のアンチテーゼとして爆笑がでてきたと、私はみてます。
2006/11/8(水) 午後 11:20 [ nakamotoharrison さん]
ハリソンさん>なるほど。山の手派(と言っていいのかわからないけど)の代表的な芸人さんって、どんな人がいるんでしょう?下町-山の手の感覚が、まだ私にはいまいちわからないんですが、TNには東西関係なく芸人全般への憧れがある気がしますね。むしろ「東京」(概念としてのね)を否定というか解体したいという傾向もある感じがしてます。それにしても笑いにおける「不条理」って何だろう?爆笑問題についてはタイタンさんのお考えも聞いてみたいですね~♪
2006/11/9(木) 午後 1:34 ファイア-
いやまさに山の手派の特徴は「芸を受け継ぐ」という概念がないとこなんですよ。ゆるい空気を共有して結果的にムーブメントをつくってるだけで、同志とか伝統とかそういう意識は各々にはないんです、下町派(談志、たけし、爆笑 etc)と違って。シティボーイズ、SET、竹中直人、イッセー尾形あたりはとんねるずと同時代に隆盛した山の手派でしょう。思いつきですが、そのパイオニアは小松政夫かも知れません。笑いにおける不条理とはつまり、「面白いのかどうかよくわかんない、ということを面白がれ」というスタイルなんです。
2006/11/9(木) 午後 9:17 [ nakamotoharrisonさん ]
ハリソンさん>確かに山の手派は空気は同じだけど徒党は組まない、孤高と言える芸人さんばかりですね。そういう個人主義的なところに私はひかれるのかもしれません。といっても実はイッセー尾形さんはいまいち面白さがわからないんですが…小松政夫さんはそれこそみごろたべごろのイメージしかないんですーまだまだ勉強です。大阪ですが板尾創路の笑いは不条理の王道(って言い方もへんですけど)だと思いますがどうでしょう?彼の過去のネタや名言を見ると、すべて笑える訳ではないけれど時に訳わからないのに激烈に面白いのがあります。
2006/11/12(日) 午後 3:02ファイア-
(コンビ名が逆説的ですが)ダウタウンの東京進出以降は関西シーンでも、形式的な話芸は古典として捉えられてると思いますね。ごっつメンバーはその基礎があるうえで山の手に傾倒してるんだと思いますが。ただ東京の山の手派と違うのは、彼等はいずれもネタのときとフリーのときとで二面性があるんです。ダウンタウンのネタはシュールを極めてますが、フリーのときはやはり“基礎”に帰結します。どんなに共演者がいても、浜田が松本をツッコむというコンビの型にこだわるとこが、とんねるずとの違いでしょう。
2006/11/12(日) 午後 4:29 nakamotoharrisonさん
ハリソンさん>詳しい考察本当にありがとうございます^^「ごっつ」のコントでは、たとえばお葬式で棺桶の子供が顔を出し、板尾だけが気づく。子供が叫んだり坊さんを邪魔したりするのを板尾が必死で隠そうとする…なんてネタは今観ても十分面白い。でもそういうシュールさってDTだけでは無理で、あのメンバーだから出来たことなんだろうなと感じます。とんねるずはボケ-ツッコミがないのが一番の特徴でしょうねやはり。その辺はさらに深く考えてみたい所です。
2006/11/12(日) 午後 9:20 ファイア-
掻い摘んでいうと、下町派も山の手派も東京も大阪も、カテゴリーそのものには優劣がないわけです、相性があるだけで。それが言いたかった。ちなみに、「ごっつ」では、ほんこんが “ある日突然モテはじめた” っていう話を熱をあげて語る、それだけのネタがあったんですが、あれが特に好きでした。
2006/11/12(日) 午後 11:08 nakamotoharrisonさん
MD見つかりました。ナイナイANNに送られてきた内輪ネタが分からないという葉書に対しての岡村さんの返事「僕らがとんねるずのANNを聞いていた時はもっと分からなかったよ。でもそれを分かろうと一生懸命聴いて何となくボブって誰?とか吉野って誰?それが分かった時に楽しさがぐっと広がったわけ」その後に録音されていた野猿ANNを聴いたら2時間ずっとスタッフの話(笑)全然わかんねーでもスッゲー面白い!!
2006/11/13(月) 午前 0:50 ジロンさん
ハリソンさん>あ、ちょっと話がずれちゃってましたね、スミマセン^^;とんねるずに関して言うと、山の手派に近いけれどもそこにもはまりきらない規格外の芸人という気がしてます。竹中直人がシティボーイズと、イッセー尾形が小松政夫と組んでライブをしても違和感はないけど、とんねるずはまず考えられない。その辺の位置付けが微妙で面白いんですよね。うまくまとまりませんが^^
2006/11/13(月) 午後 1:43
いやでも、蒸し返すようですが小松政夫、梅津栄、ベンガルあたりは、とんねるずとコントで共演するうえでも非常に相性良い印象ありましたよ(極少数であることに変りありませんが)。あとイッセーさんでいうと、ノリさんと「ガイド」か「サイクル」でやった “電気屋親子” っていう即興コントが最高のコンビネーションだったんですよ、腹かかえて笑いました。僭越ですがあれはぜひ観てほしかったです。
2006/11/13(月) 午後 9:11 nakamotoharrisonさん
ハリソンさん>小松政夫、梅津栄、ベンガル:確かに彼らとのコントでの共演は良かったですね。ヒロミも出てましたね。ただ何かが違う…上の面々は芸人としてというより「役者」としてとんねるず主演の喜劇に出た、という感覚があります(小松さんとの共演は覚えてないので何ともいえないんだけど)基本的にとんねるずのコントはとんねるずしかいない。おかげですでやっていたコントは限りなくドラマに近いもので、厳密にはコントとは言えない気がします。
その意味ではやはり山の手派の竹中さんの「普通の人々」に近いのかもしれません…うまく説明できんなあ。でもこれはあくまでとんねるずについてであって、ノリさん単独ならもっとオーソドックスな意味の「芸人」として他の芸人さんとのコラボもできるだろうな、という予想はできますね。イッセーさんとのコント、見たかったなあ!
2006/11/13(月) 午後 10:44ファイア-
まずハルさんから情報いただきました。
TBSラジオの深夜番組「JUNK」のポッドキャスティングで、ワンフー仲間タカアンドトシが先日の「うたばん」出演(10/19放送分)の感想を熱く語っています。ノリさんとの遭遇体験や「おかげです」の思い出もおもしろいです。
期限の記載はないみたいですが、終了する可能性もありますので、お早めにダウンロードを!
こちらへ→http://www.tbs.co.jp/radio/format/ikura.html
ハルさん、ありがとうございました♪
* * *
さて。
時折ネット散歩をしていると、いろんな所でいろんな人が、とんねるずに関していろんな発言をされてらっしゃるのを見かけます。その中には、是も非も両方あるわけで。
もちろん個人の嗜好ですから、「非」に対していちいち反論するつもりはまったくありません。わたしだって、どーしても受けつけない芸人さんっていますしね。まあ、多少腹は立ちつつも(笑)、笑って聞き流す(読み流す)わけです。
ただ、ひっかかる意見がひとつだけありまして。それは、
「とんねるずの笑いは楽屋オチだからイヤ」
一部の人にしかわからないネタ(スタッフネタ、テレビ局ネタ等)で、一部の人だけがおもしろがっているのが気に食わん、というもの。
・・・そうかしら?それは、ちょーっとちがうんじゃないかしら?
すくなくともわたしは、とんねるずを「楽屋オチ」と感じたことはありません。自分がワンフーで、「楽屋オチ」がある程度わかるから感じないのか?とも考えてみたんですけど、やはりそうでもない。
というわけで、反論を試みてみましょう。
まず、「楽屋オチ」って何だ!?
いろいろ見ていると、案外複雑で、この定義だけで数ページはかかってしまいそう。
「楽屋オチ」自体を論じるのはこの記事の目的ではないので、とりあえずおおまかに、
「事情を知っている一部の人だけにしかわからないジョーク」
としておきます。
「楽屋オチ」というのは水もので、好意的に受け取られる場合と、きらわれる場合の両方があるんですね。しかも、どうやら「セルフ・パロディ」とごちゃまぜにされている印象がある。
それやこれやで、「とんねるずは楽屋オチ芸人」という認識をもつ人が出てくるのかもしれません。
確かに、それは間違いとはいえない。スタッフや業界の裏事情、テレビ界のしくみ、さらには帝京高校や木梨サイクル等々のネタは、まぎれもなく「楽屋オチ」ではあります。
でも、大事なことは、それが「開かれた楽屋オチ」だということです。
一般に「楽屋オチ」が否定される場合、それが「身内だけの密室の陰湿な笑い」であることが批判される。しかし、とんねるずのそれは、「密室の陰湿な笑い」からはほど遠い。
むしろとんねるずは、そういう笑いを嫌い、一般の観客との間にカベを作って喜んでいる業界人の体質を嫌い、そのカベを壊して"暴露"した。業界とトーシローの間の風通しをよくしたのです。楽屋でオチて終わるはずだった笑いを、公衆の場で堂々とやって、日本全国のお茶の間でオチるようにしむけた。
とんねるずファンは、もちろんネタの意味を知りたくて、積極的に学んだことでしょう。だから同じファンの間にも、ネタ理解度の格差は確かにありました。
たとえば、おかげですの「Mr.ノリック」の前フリで、トメ福留(タカさん)が「サイキックソルジャー山口エンタテイメント」と言う。これは、オ-ルナイトニッポンリスナーにしかわからないギャグです(ハガキ職人だったサイキックソルジャー山口さんご自身もブログでおっしゃってました→http://ameblo.jp/psy/entry-10013825055.html#cbox )。
しかし、それがわからないからと言って、おもしろさが半減するかと言えば、そんなことはなかった。わかる人にはよりおもしろく、わからない人にもそれなりにおもしろい。そういう意味でも、彼らの楽屋オチは開かれています。
どこで読んだのか忘れてしまったので正確ではないんですが、小林信彦氏が、「おかげです」のビデオを見ているニューヨークの友人に「トメ正留ってなんですか」と聞かれ、「答えられなくもないが・・・」と苦笑した、というエピソードを書かれていました。
まさに、そういうことなんです。
もし、とんねるずのいわゆる「楽屋オチ」が「密室の笑い」であったなら、それはタカさんの一貫したメジャー志向と矛盾するものだったはずです。とんねるずが本当に「楽屋オチ芸人」だったとしたら、あれほど爆発的にブレイクしたでしょうか!?それが、とんねるずが「楽屋オチ芸人」ではない何よりの証拠です。
それと、もうひとつ付け加えておきたいのは、「みなさんのおかげです」当時のとんねるずの中に、「現場のスタッフを笑わせたい衝動」があった、ということです。
それもプロデューサーやディレクターといった上層部だけじゃなく、大道具、小道具、照明さんに音声さん、美術さんにアクリル装飾の人・・・つまり現場で体をはる「スタッフ」を喜ばせたい、という衝動です。「おかげです」を見ていると、時々そういったスタッフさんたちが爆笑している声が聞こえていました。
そうやって、チームとしてのモチベーションをあげ、結束することを、とんねるずがいかに大事にしていたか。そのためには、ある程度視聴者をおいてきぼりにしてもやむをえない。スタッフが結束することが、より良い番組をつくることにつながるんだ---それもとんねるずの考えだったのではないでしょうか。
「開かれた楽屋オチ」とはやや矛盾するようですが、そういうダイナミズムも、確かにあったと思います(いまそれを真に受け継いでいるのは「うたばん」だと思う)。
いかがでしょう?またみなさまの忌憚のないご意見を、お聞かせくださいねんのねんのねん。
旧ブログでいただいたコメント:
とんねるずは、内輪ネタ・楽屋ネタというくくりで収まるものではありませんでした。内輪ネタを内輪だけでそのまま楽しむことは難しくないことですよ。で、そういう知り合いのネタが日常会話で実は一番おもしろかったりもする。それを知っているとんねるずは、登場人物を見事に"キャラクター"に昇華させることで、誰でも思わず笑ってしまうトークとして成立させてる。ここがなかなか真似のできない点だと思います。聞くほど登場人物が自分の身内に変わっていき、深夜にお腹が痛くなるほど笑わせられてしまう。とりとめなくてすいません。
2006/11/2(木) 午後 10:24 [ けいこさん ]
だれでも分かることをあまりに意識しすぎると、がんじがらめになって結局何も出来なくなってしまうことがあります。(経験上)知らなくてもなんとなく笑える。そのうちちょっとずつ分かってくる。そうやって、観る側を成長させるということを、とんねるずはやってきたのかもしれません。「よく分からないけど、なんとなく面白い」ということではラジオのコサキンもそうだと思いますが、こちらはとことんマニアックで、メジャーにはなりえない点が、とんねるすとは違いますね。僕はどっちも好きです。
2006/11/2(木) 午後 10:58 よっくんさん
気になさることありませんよ。「たけし論」や「ダウンタウン論」のように‘芸人論’で読み解けない玉手箱な魅力こそ≪とんねるず≫です、はい。
2006/11/2(木) 午後 11:10 [ ll_463_no_wplay さん]
>「業界とトーシローの間の風通しをよくした」 これまさにそうですね。オールナイトを聞いて、業界のことが良くわかりましたからね。また、それを知ることによって、より面白くなったって感じがしますもんね。
2006/11/3(金) 午前 0:49 はなひろさん
とんねるずの面白さは、うまく言えないですが自分は枠にとらわれない 笑いだと思うんですよ。理屈ではなくて。ひょうきん族からお笑いが好き になったんで楽屋オチの話は知れば知るほど面白かったです。それを批判 する人は知ろうとしないから面白さがわからないだけだと思います。まあ 今はラジオをやってないから余計理解するには難しいかもしれないですね。自分はいい意味でアマチュアチックなんだけどプロの笑いをする とんねるずが大好きです。自分もまとまりが無い文ですみません。
ではもう一丁^^タカアンドトシのワンフーぶりは凄く嬉しいので、 ついでにですがピン芸人の土田もとんねるずのオールナイトにはまって 「大志」を読んでいつか、とんねるずを超えてやると思い芸人になった そうです。ラジオDEパンチを読んでて感動しました^^ では、みなさんとうたばんのビデオを今から見ますのでコメント書けたら 書いときますね^^
2006/11/3(金) 午前 2:02 [ izumi450329さん ]
竹山さんのラジオで起きてしまった…。みなさんが上手に語っていらっしゃるので、あえて何もいうことはないです。自分は最初(まだ選挙権ない頃)わからなくても笑ってましたよ。それの何がダメなんだろうって考えるとそれは多分嫌いな理由をあえて捜してみた、ってところなんじゃないでしょうか?そういうことをいうなら私だって受け付けない芸人さんはいます。どこが嫌いとかは考えないですね。その人のこと自体を考えないから…^_^;
2006/11/3(金) 午前 4:30 タイタンさん
ちなみにカンニング竹山さんもTN目指して^_^; …って前言いましたよね?東の芸人さんは当然憧れるでしょ、と思います。というかね、ファイアーさんが随所に書いてるように永いこと第一線にいること自体すごいことで、いっぱい歌や用語を浸透させた彼らですから。もう伝説だし、私が死んだ後も伝説に残る。それだけは間違いないです!モノではなく記憶に残ればそれでいいのだ!(また意味不明…^_^; )
2006/11/4(土) 午前 10:19 タイタンさん
「楽屋オチ」の一言でつまらないと感じている人は、単にとんねるずに興味のない人の意見だと思います。ファイヤーさんのおっしゃる「現場のスタッフへのサービスのネタ」が、いつの間にか一般の人たちも巻き込んでしまうほど影響力があったと思うわけです。ラジオでスタッフの名前を出されても最初は「???」だけど、次は名前が出てきただけで笑える。 ラジオとテレビを上手くリンクさせて「分かる人だけ笑ってちょうだい」というスタンスを作った人たちだなぁと思ってます。それが良いのか悪いのか分からないけど…。
2006/11/4(土) 午後 2:39 [ donguri3116さん ]
だいぶ昔に、TVで誰かが当時冠番組持ったお笑い芸人を分析してて、「とんねるず」「鶴太郎」等は波のあるタイプと分類してました。が、その後○年間沈むことなく第一線にいる「とんねるず」を、「楽屋オチ」と片付けるのは、お笑い好きなら言えないことですね。
2006/11/4(土) 午後 3:19 めがねくん
「雑談を商売にできたら凄いぞ」 というのがかつて笑福亭松之助の口癖だったそうですが。それを商売にできた一例がとんねるずだと私は解釈してます。漫談と雑談の違いは、笑いの伏線を客に意識させるか否かという点です。毎回話をきっちりオトすのは勿論大変な業ですが、とんねるずのように、 笑いを欲する性とその緊張感を周囲の人間に伝えないで笑いをとるのも大変な業です。つまり、テレビでダラダラするのにも質というのがあるわけで、それをひらたく表すと “内輪ネタ” という言葉になるんです。
2006/11/5(日) 午前 3:33 [ nakamotoharrisonさん ]
ハリソンさん>なんだかすごくクリアーになりました。トークに関しては、まさにそういうことなのですね。つまり芸として磨かれた雑談ということですね。そう言われて昔の映像を見直したりすると、とんねるずのしゃべりには何か張りつめたものを感じます。そうは見えないけどやはりどこかピリッとしているというか。今は「うたばん」なんかはかなりダラッとしてますけどね(笑)
2006/11/7(火) 午後 6:12 ファイア-
大まかに捉えると東京の笑いって、下町の毒と山の手の不条理でできてると思うんです。毒が漫談、不条理が「ポパイ」世代の雑談、もしくは 動きの芸のことです。で、貴明は主に雑談から、憲武は主に動きの芸から真価をみせ、80年代以降の山の手の流れを決定づけたんだと思うんですね。延いては、その山の手の流れではなく、下町の流れから隆盛してきたという点に現在の爆笑問題の目新しさがあります。“不条理”はいつの間にか東京のメジャーになっていて、ある種その時代のアンチテーゼとして爆笑がでてきたと、私はみてます。
2006/11/8(水) 午後 11:20 [ nakamotoharrison さん]
ハリソンさん>なるほど。山の手派(と言っていいのかわからないけど)の代表的な芸人さんって、どんな人がいるんでしょう?下町-山の手の感覚が、まだ私にはいまいちわからないんですが、TNには東西関係なく芸人全般への憧れがある気がしますね。むしろ「東京」(概念としてのね)を否定というか解体したいという傾向もある感じがしてます。それにしても笑いにおける「不条理」って何だろう?爆笑問題についてはタイタンさんのお考えも聞いてみたいですね~♪
2006/11/9(木) 午後 1:34 ファイア-
いやまさに山の手派の特徴は「芸を受け継ぐ」という概念がないとこなんですよ。ゆるい空気を共有して結果的にムーブメントをつくってるだけで、同志とか伝統とかそういう意識は各々にはないんです、下町派(談志、たけし、爆笑 etc)と違って。シティボーイズ、SET、竹中直人、イッセー尾形あたりはとんねるずと同時代に隆盛した山の手派でしょう。思いつきですが、そのパイオニアは小松政夫かも知れません。笑いにおける不条理とはつまり、「面白いのかどうかよくわかんない、ということを面白がれ」というスタイルなんです。
2006/11/9(木) 午後 9:17 [ nakamotoharrisonさん ]
ハリソンさん>確かに山の手派は空気は同じだけど徒党は組まない、孤高と言える芸人さんばかりですね。そういう個人主義的なところに私はひかれるのかもしれません。といっても実はイッセー尾形さんはいまいち面白さがわからないんですが…小松政夫さんはそれこそみごろたべごろのイメージしかないんですーまだまだ勉強です。大阪ですが板尾創路の笑いは不条理の王道(って言い方もへんですけど)だと思いますがどうでしょう?彼の過去のネタや名言を見ると、すべて笑える訳ではないけれど時に訳わからないのに激烈に面白いのがあります。
2006/11/12(日) 午後 3:02ファイア-
(コンビ名が逆説的ですが)ダウタウンの東京進出以降は関西シーンでも、形式的な話芸は古典として捉えられてると思いますね。ごっつメンバーはその基礎があるうえで山の手に傾倒してるんだと思いますが。ただ東京の山の手派と違うのは、彼等はいずれもネタのときとフリーのときとで二面性があるんです。ダウンタウンのネタはシュールを極めてますが、フリーのときはやはり“基礎”に帰結します。どんなに共演者がいても、浜田が松本をツッコむというコンビの型にこだわるとこが、とんねるずとの違いでしょう。
2006/11/12(日) 午後 4:29 nakamotoharrisonさん
ハリソンさん>詳しい考察本当にありがとうございます^^「ごっつ」のコントでは、たとえばお葬式で棺桶の子供が顔を出し、板尾だけが気づく。子供が叫んだり坊さんを邪魔したりするのを板尾が必死で隠そうとする…なんてネタは今観ても十分面白い。でもそういうシュールさってDTだけでは無理で、あのメンバーだから出来たことなんだろうなと感じます。とんねるずはボケ-ツッコミがないのが一番の特徴でしょうねやはり。その辺はさらに深く考えてみたい所です。
2006/11/12(日) 午後 9:20 ファイア-
掻い摘んでいうと、下町派も山の手派も東京も大阪も、カテゴリーそのものには優劣がないわけです、相性があるだけで。それが言いたかった。ちなみに、「ごっつ」では、ほんこんが “ある日突然モテはじめた” っていう話を熱をあげて語る、それだけのネタがあったんですが、あれが特に好きでした。
2006/11/12(日) 午後 11:08 nakamotoharrisonさん
MD見つかりました。ナイナイANNに送られてきた内輪ネタが分からないという葉書に対しての岡村さんの返事「僕らがとんねるずのANNを聞いていた時はもっと分からなかったよ。でもそれを分かろうと一生懸命聴いて何となくボブって誰?とか吉野って誰?それが分かった時に楽しさがぐっと広がったわけ」その後に録音されていた野猿ANNを聴いたら2時間ずっとスタッフの話(笑)全然わかんねーでもスッゲー面白い!!
2006/11/13(月) 午前 0:50 ジロンさん
ハリソンさん>あ、ちょっと話がずれちゃってましたね、スミマセン^^;とんねるずに関して言うと、山の手派に近いけれどもそこにもはまりきらない規格外の芸人という気がしてます。竹中直人がシティボーイズと、イッセー尾形が小松政夫と組んでライブをしても違和感はないけど、とんねるずはまず考えられない。その辺の位置付けが微妙で面白いんですよね。うまくまとまりませんが^^
2006/11/13(月) 午後 1:43
いやでも、蒸し返すようですが小松政夫、梅津栄、ベンガルあたりは、とんねるずとコントで共演するうえでも非常に相性良い印象ありましたよ(極少数であることに変りありませんが)。あとイッセーさんでいうと、ノリさんと「ガイド」か「サイクル」でやった “電気屋親子” っていう即興コントが最高のコンビネーションだったんですよ、腹かかえて笑いました。僭越ですがあれはぜひ観てほしかったです。
2006/11/13(月) 午後 9:11 nakamotoharrisonさん
ハリソンさん>小松政夫、梅津栄、ベンガル:確かに彼らとのコントでの共演は良かったですね。ヒロミも出てましたね。ただ何かが違う…上の面々は芸人としてというより「役者」としてとんねるず主演の喜劇に出た、という感覚があります(小松さんとの共演は覚えてないので何ともいえないんだけど)基本的にとんねるずのコントはとんねるずしかいない。おかげですでやっていたコントは限りなくドラマに近いもので、厳密にはコントとは言えない気がします。
その意味ではやはり山の手派の竹中さんの「普通の人々」に近いのかもしれません…うまく説明できんなあ。でもこれはあくまでとんねるずについてであって、ノリさん単独ならもっとオーソドックスな意味の「芸人」として他の芸人さんとのコラボもできるだろうな、という予想はできますね。イッセーさんとのコント、見たかったなあ!
2006/11/13(月) 午後 10:44ファイア-
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