とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

フィラデルフィア物語

2007年04月17日 02時05分08秒 | 世界的電影
『フィラデルフィア物語』
(The Philadelphia Story ジョージ・キューカー監督 1940 アメリカ)


スクリュ-ボ-ル・コメディ・クラシックの、めくるめく世界。

<あらすじ>
フィラデルフィアの名門セレブ夫婦デクスター(ケーリー・グラント)とトレイシー(キャサリン・ヘップバーン)が離婚して2年後、トレイシーは下院議員のジョージ(ジョン・ハワード)との婚約を発表。ゴシップ誌「スパイ」は特ダネを求めて貧乏ジャーナリストのコナー(ジェームズ・スチュアート)とインブリ(ルース・ハッセイ)を、結婚式を数日後にひかえたトレイシーの屋敷へ送り込む。その手引きをするのは、何とデクスターだった・・・


フランツ・ワックスマンの華麗でエレガントなオープニングスコアにのって、
<Cary Grant  Katharine Hepburn  James Stewart>
の3人の名前がスクリーンにならび---それだけで、もう心は躍る。

ああ、これがスター。これがハリウッド!

制作されてから67年。アジアの片隅の国の、そのまた片隅の小さな部屋の、小さなテレビモニターで観ていても、彼らはその輝きをすこしも失っていません。

ほっそりとした身体にぴったり合ったパンツスーツを着て、少年のように駆け回るキャサリン・ヘップバーン。真っ白のゆったりしたガウンドレスに身を包んで、ギリシャの女神のように水辺に立つキャサリン・ヘップバーン。

その神々しいまでのエレガントさと、内に秘めた女性らしい弱さが、スクリーンで輝いている。

ヘップバーンとまるで対照的な、貧しくやせっぽちな作家のジェームズ・スチュアート。皮肉とウィットだけが、彼の武器。ひょろっとした長身に子どものような瞳を輝かせて、おさえきれないヘップバーンへの恋情を、まっすぐにつたえる。ジョークの鎧で繊細さを隠した彼に、つい手をさしのべたくなる。

上流階級の青年らしい鷹揚さとエレガンスを、静かにたたえるケーリー・グラントの色気。ヘップバーンとの葛藤に傷つきながらも、奔放な彼女をそっと見守る守護天使のようなグラント。どこかつかみどころがなく、たよりなく見えていた彼が、最後には男の中の男に見える------


ヘップバーンがブロードウェイで演じていた舞台を映画化した作品です。当時のスクリュ-ボ-ル・コメディの特色でしょうか、とにかくセリフが多い。

でも『赤ちゃん教育』のようなマシンガントークとはすこし違って、まるで言葉遊びを楽しんでいるかのような、知的な大人の会話が軽快に展開されていきます。

3人の男に愛されるワガママ女のぜいたくな悩みじゃないか・・・とかたづけてしまうと、この映画のすばらしさを見逃してしまうことになります。上流社会の美しい女として生まれたからこそ背負わねばならない苦悩を、ヘップバーンは実に繊細に表現している!

ひとりの女が、人を傷つけ、人に傷つけられながらも、虚飾をぬぎすてて、心が本当に欲するものを手に入れる。女の弱さを嘆くのでもなく、それを乗り越えるのでもなく、弱い人間のままの自分を受け入れること。みずからの無知と欲望を知ること。

それこそがすばらしい、それこそが美しい---『フィラデルフィア物語』のキャサリン・ヘップバーンは、すべての女性がこうなりたいと願う最高の女、です。

山田宏一氏は『何が映画を走らせるのか?』(草思社)のなかで、ヘップバーンを評して「彼女の代表作の一本である映画の題名どおりの現代的な『女性No.1』だったのである」と書いています。

ヘップバーンがいかに「現代的」かということを、わたしは『フィラデルフィア物語』で思い知りました。「セックス・アンド・ザ・シティ」を何百時間観るのもよいのだけれど、112分の『フィラデルフィア物語』を観るほうが、もっと胸をはって「女」として歩いていける---そんな気がします。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (タイタン)
2007-04-17 06:36:51
こういうハリウッド映画大好きです。
また例の如くHDDに映画がたまってすごいことになっているので、早く消化しなくちゃ…!!!
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Unknown (ファイア-)
2007-04-17 12:04:56
タイタンさん、私もずっとさぼってた映画記事をひさびさにアップできました^^;
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