The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

私信 keyaki様

2008年08月18日 | Weblog
keyaki様

ブログのアドレスありがとうございます。

早速アクセスいたしました(^^)
オペラファン、ヴィットリオ・グリゴーロ氏ファンでらっしゃるのですね。
あまりオペラの事は知らないのでゆっくり閲覧させていただきます。

You Tubuを見ました。楽しそうなイヴェントでしたね。すぐそこにいたのに!と思うととっても残念です><

グリゴーロ氏の「アヴェ・マリア」も聴きたかったです。


スキンはサン・ピエトロ大聖堂だと分ります!私はクーポラには登らなかったので下から聖人像を仰ぎ見ておりました。

なるほどローマを見渡せそうですね(^^)


イタリア旅行記にはスカラ座、ローマ・オペラ座外観、カラカラ大浴場野外オペラなどの写真も載せる予定です。

ちょっとでも楽しんでいただけると嬉しいです(^^)





日常

2008年08月16日 | Weblog

家の中に他人がいないというのは静かでいいですね。
新盆なので午前中は何人か来客がありましたが、お茶だけです。

仕事をしてもらっているのでこう言う事は思ってはいけないのですが我が家は商家のような雰囲気で常に他人がいて、プライベートと仕事場が明確ではないのでストレスがたまると言えばたまります。

キッチンとリビングと仕事場と玄関(勝手口)が一緒だったりします。
いや~こういう設計する人の気がしれません。私ならこんな設計、絶対しません。
ま、お勝手仕事しながらすべてが見渡せるのはいいかもですが。(今もキッチン、というか昔の土間を改造した場所です)


最近まったくイラストを描いていませんが、こういう風に静寂だとちょっと描きたい気分になりますね。


更新

2008年08月16日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
更新しました。やっと本館LES ILLUMINATIONSの方を。

原作についてで「ガーゴイルについて」です。

原作上「ガーゴイル」と言う言葉は日本語版には出て来ていないと思うのですがルーアンにちなんだ話題でもあるので。

むかしむかしルーアンでは恐ろしい竜の魔物がいて、人や家畜をさらい、セーヌに洪水を起こしていました。
その魔物は処女を好んだので街の人々は生贄を捧げていました。

そのルーアンの町にロマンというお坊さんがやってきます。お坊さんは教会を立ててくれれば魔物を退治しようと言ってくれました。

ロマン司祭は見事に魔物を倒してくれました。人々はその魔物の頭部を街の城壁の晒し者にします。


この伝承の竜(魔物)がガルゴイユ、つまりガーゴイルです。

晒し者にされた頭部は魔よけ、または教会などの建物を雨水などから守るための「雨樋」に転化します。





伝説とはいえ恐ろしい魔物に「生贄」を捧げていた、というのは面白い、というか興味深いです。



追記

久しぶりに自分のサイトを見たらあちこち工事中だらけで驚き。もうちょっと頑張らなくっちゃ・・・と思いました。



聖母被昇天

2008年08月15日 | Weblog


今日は終戦記念日でもありますが『聖母被昇天』の日でもあります。

イタリアに行って感じるのは聖母崇拝の念(と言うのかな?)が非常に強い事です。
どこに行っても「サンタ・マリア・・・・教会」と言う名前の教会が多いですし、街角にもいたる所にマリア様の絵などが飾られ、お花などが供えられています。

こういう光景は大好きでついカメラに収めたくなります。

同じカソリックと思われるフランスでは自由行動も少なかったせいかこういうものはあまり記憶にありません。


1549年8月15日、フランシスコ・ザビエルが日本上陸。

私の大好きなサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂は、イエズス会の創立者イグナチオ・ロヨラが1538年のクリスマスの夜、司祭になって初めてのミサを捧げた聖堂でもあり、フランシスコ・ザビエルが東洋への布教の誓いを立てた聖堂でもあったそうです。


話は大きく飛ぶのですが、ローマのイル・ジェズ教会(イエズス会の本部)にはフランシスコ・ザビエルの手のミイラがあるそうです(本体はインドにある)。
片手だけ切り取ってミイラにしたものが、ガラスの蓋のついた黄金色のケースに入れられ、来た人は誰でも見ることができるそうです。


・・・・・。「片手だけ切り取った」??
ですが、本当に手のミイラが黄金の装飾に飾られた古びて曇ったガラスケースに入っていたりしますよね。
(何度もくどくてすみません。ものすごいインパクトでした。この驚きを分析してみると遺体そのものよりも「切断」という行為が施された「遺体の一部」の方が見る者を圧倒しますし、生きている時はこの手で食事をしたりしたのかな・・・と思うと二重に驚きだったようです)

この手のミイラの聖遺物も遠い土地で亡くなられた方のものかもしれませんね。
ザビエルの右手もインドは遠すぎて遺体全体を持ち帰れなかったからだ、と。

そう考えると「手の聖遺物」も納得がいったりします。(他の理由もあるのかもしれませんが)


逆に「遺体を荼毘にして持ち帰る(火葬)」というのももの凄い行為かもしれません。



日常

2008年08月14日 | Weblog
お盆も二日目(?)。お客様のお相手も霊供膳もちょっと飽きてきました。

相変わらずひっきりなしの来客なのですが、今日は助っ人もいますのでさぼってサイトいじり。

WEB拍手のお返事のページがエロサイトに侵食されまくりでしたのでちょっと直しました。(S様、お返事が遅くなってごめんなさい!><)

まったく侵食され始めるとうるさいですよね><

今まで頂いたコメントも同時に消えてしまうので迷ったのですが画像入りの書き込みがあるとさすがに気持ち悪いですし、毎日削除するのも大変だし・・・。
今までコメント下さった天使様ごめんなさい。そしてありがとうございました^^


別館も更新できたので※、旅行記に取り掛かっています。
折角なので全行程分やるつもりです。とりあえず今は一日目のミラノの編集中です。

同時にガーゴイルもけりをつけたいです。


※ 更新できたとはいえ主人公がモスクワにいるように書いてしまったのですが、よーく考えるとサンクト・ペテルブルグだったことに気づき愕然。

間が開くと色々忘れてしまっていけませんね。--;

今日明日中にでも修正するつもりです。あまり「おや?」と気づかれてもいないとは思うのですが一応。



霊供膳

2008年08月13日 | Weblog
今年は新盆なので気合が入っております。

精霊棚を作ったり、迎え団子の準備をしたり、提灯(ちゃんと蝋燭)を用意したりしました。


我が家はいつも午前中にお迎えに行くのでお昼の霊供膳も用意しました。所謂「仏様のお膳」です。


いつもの年は三ヶ所にお供えするのに今年は四ヶ所。


一応精進料理にしないといけないので煮物とかも作るつもりです。
迎え団子は買ってしまったのですが、送りは手作りするつもりです。


改めて見てみると仏教の精霊棚も趣があるような・・・。野菜とかほおずきとか、きゅうりとなすの馬・牛と言うのもユニークです。

もともと「盂蘭盆」と言うのはイランの「ウラバン」という先祖供養のお祭りらしいですね。

「イラン」⇒「ペルシャ」⇒「エリック(というかダロガ?)」とお盆でも頭がオペラ座です。







日常

2008年08月11日 | Weblog

私がイタリアから帰るのを待って主人が末っ子とその友達(小5)を連れて旅立ちました。
千葉・鴨川に。

男一人に小学生二人って・・・・気の毒な感じですが(笑)


お陰でどうにか別館も更新できました。

後は原作コーナーかな?「ガーゴイルについて」です。

教会を見るのにもついついこの「雨樋」を見てしまいます。いくつかの教会の「雨樋」の写真も撮ってきました。




聖遺物の世界

2008年08月10日 | Weblog
結局イタリアとかフランス旅行って教会めぐりの旅のような気がします。
一体いくつの教会を見たか・・・数え切れません。

今回はフランスの教会の時は気づかなかった「聖遺物」との遭遇が多かったです。

古いガラス瓶に聖人の大腿骨や歯や「キリストが生まれた時の飼い葉おけの木片」「手」とか御遺体そのものとか・・・結構インパクトがありました。

特にガラスケースの中の中の聖人の遺骸には驚きです。手のミイラも相当恐いです。


そのあたりの事情を知りたくて「聖遺物の世界」という本を購入。


それから時々「不朽体」とい言葉を使っていましたが、これは正教会の言葉みたいです。腐らない聖人の遺体はカソリックでは「聖遺物」と言うらしいです。

「オペラ座の怪人」で「死んだ女は美しい」という言葉があった上に「愛徳修道女会」という言葉もあったので何となく「聖女の聖遺物」に関心はあったのですが、今回初めて見ることになりました。

アッシジの聖キアラという聖女様なのですが、どうも他人の遺体を鑑賞することには抵抗があります。(観光客と信者さんをいちいち振り分けられないですしね、そういうコースでしたし・・・)



8月11日は聖キアラの祝日。



ガストン・ルルーは「カタリナ・ラブレ」を意識しているらしいなら聖カタリナ・ラブレのファンだったのかも・・・。


雪の聖母教会大イベント

2008年08月07日 | Weblog
2008/8/5、ちょうどローマにいました。
ホテルはサンタ・マリア・マッジョーレ教会のすぐ側でした。
以前ブログでも書きましたが、352年8月4日、教皇リベリウスは、夢の中で「夏に雪の降った地に教会を立てよ」と聖母マリア様からのお告げを受け、実際に奇跡的に雪が降ったことから、その夜のうちに、聖堂の建築計画が作られたそうです。このため、この大聖堂は、最初は「雪の聖母聖堂」と呼ばれそうです。現在の「サンタ・マリア・マッジョーレ」という名前は、ローマにある聖母マリアに捧げられた26の教会の中で、最も大きいことから呼ばれることになりました。世界でも、聖母マリアに捧げられた聖堂では、最も大きいそうです。

 8月5日にローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で、『雪の聖母の奇蹟』の記念行事が行われました。
 Grigolo, Pastore, Menghetti, Hungmeiのアーティストが参加、オペラ歌手のヴィットリオ・グリゴーロが、シューベルトの《アヴェ・マリア》を歌ったそうです。

すぐそこにいたのに参加できませんでした。

悲しいです。

どうも前日から黄色のテープが張り巡らされ、大きな音響機材が教会正面に置かれていたので「何かある!」とは思っていたんですが、ちょうどオプショナルツアー参加中でしたし、ホテルとは逆側が正面なのでコンサートの最中にそのあたりを歩いていたのですが気づかず・・・。惜しい事をしました><

因みにこの写真は合成写真ではない思います。様々な色の大きなライトが教会
正面で入り口あたりに向いて用意されていましたから。


そして本当に「雪の聖母」伝説のように雪(白い花びら)を大聖堂に降らせたのでした。

この特別なミサの様子は後から加筆したいです。
8/5の拍手がとても多かったのでその様子を知りたいという方も多いのかな?と思います。

私自身はクリスチャンではないので典礼(?)や教会用語については皆目分らないのですが写真は何枚か撮れました。(みんな撮影してたのです。シスターもたくさん参加されていたのですがデジカメでパチパチ撮影してましたよ。サンタ・マリア・マッジョーレ教会側も注意はしなかったのです)


帰国しました

2008年08月07日 | Weblog

日本、一体この国の暑さは何事?

イタリアも酷暑でしたよーーー!!!しんどかったです。でも湿度が低いので日陰はエアコンをドライにしたような感じで気持ちいいのです。

でも日本は日陰も日向も苦しいくらいに蒸し暑いですね。(特に今日は暑いという事ですが・・・)

旅の模様はブログに書いていくか旅行記にするか考え中ですがちょっとずつお知らせしていけたら・・・と思っています。

(あまりオペラ座の怪人に関係ない旅行なのでHPと言うのもおかしいかな?)

唯一オペラ座に関係するといえば『ファントム』でちょっと出てきたローマの「トラステヴェレ」という地区をちょっと歩いて来たくらいだったり・・・。


留守中に拍手をどうもありがとうございます!!