The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

聖母被昇天

2008年08月15日 | Weblog


今日は終戦記念日でもありますが『聖母被昇天』の日でもあります。

イタリアに行って感じるのは聖母崇拝の念(と言うのかな?)が非常に強い事です。
どこに行っても「サンタ・マリア・・・・教会」と言う名前の教会が多いですし、街角にもいたる所にマリア様の絵などが飾られ、お花などが供えられています。

こういう光景は大好きでついカメラに収めたくなります。

同じカソリックと思われるフランスでは自由行動も少なかったせいかこういうものはあまり記憶にありません。


1549年8月15日、フランシスコ・ザビエルが日本上陸。

私の大好きなサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂は、イエズス会の創立者イグナチオ・ロヨラが1538年のクリスマスの夜、司祭になって初めてのミサを捧げた聖堂でもあり、フランシスコ・ザビエルが東洋への布教の誓いを立てた聖堂でもあったそうです。


話は大きく飛ぶのですが、ローマのイル・ジェズ教会(イエズス会の本部)にはフランシスコ・ザビエルの手のミイラがあるそうです(本体はインドにある)。
片手だけ切り取ってミイラにしたものが、ガラスの蓋のついた黄金色のケースに入れられ、来た人は誰でも見ることができるそうです。


・・・・・。「片手だけ切り取った」??
ですが、本当に手のミイラが黄金の装飾に飾られた古びて曇ったガラスケースに入っていたりしますよね。
(何度もくどくてすみません。ものすごいインパクトでした。この驚きを分析してみると遺体そのものよりも「切断」という行為が施された「遺体の一部」の方が見る者を圧倒しますし、生きている時はこの手で食事をしたりしたのかな・・・と思うと二重に驚きだったようです)

この手のミイラの聖遺物も遠い土地で亡くなられた方のものかもしれませんね。
ザビエルの右手もインドは遠すぎて遺体全体を持ち帰れなかったからだ、と。

そう考えると「手の聖遺物」も納得がいったりします。(他の理由もあるのかもしれませんが)


逆に「遺体を荼毘にして持ち帰る(火葬)」というのももの凄い行為かもしれません。