The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

「カリーキ・ペレホージェ」

2006年08月02日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
16・17世紀の頃からロシアには「カリーキ・ペレホージェ」(遍歴の巡礼歌)と呼ばれる巡礼たちが、巡礼歌を歌って門付けをして回る風習があった。彼らはもともとはギリシャやパレスティナへの聖地巡礼に出かけた人々を源流にしており、その地で西欧やビザンチンの巡礼たちと交わるうちに、巡礼歌を歌い歩く彼らの習慣をうけいれたらしい。服装の点でもきわめて特異な風体で、家族単位、あるいは数人が群れをなして、田舎の地主屋敷や教会の門前、市の立つ場所などで、ひなびた楽器を伴奏に哀れっぽい節回しを聞かせては、食物や路銀の施しを受けていた。

彼らの大半は盲目あるいは身体になんらかの障害をもつ者だった。そのために本来は「カリーキ」(巡礼靴)と呼ばれていた彼らが、いつのまにか「カレーキ」(不具者)と訛って呼ばれるようになったという。その姿は19世紀末頃まで、ロシアの農村のいわば風物詩でもあったらしい。

巡礼歌のレパートリーはきわめて多岐にわたっているが、その中心をなすのは、新約聖書、旧約聖書のエピソード、偽経、聖者伝に題材をとったもので、なかでももっとも人気があったのはルカ福音書のたとえ話をもとにした「ラザロの歌」、ローマの聖者伝に基づく「神の人アレクセイ」などがある・・・(中略)

・・・実は「カラマーゾフの兄弟」は全編が「遍歴の不具者」たちの歌う巡礼歌のモチーフに色取られており、さらに言えば、この長編の構造そのものが巡礼歌の旋律のうえに組み立てられている、とさえ言えそうなのだ。


「・・・その忘れがたい音色が天上から響いてくるのでないとしたら、いったい地上のどこから響いてくるのだろうか?そのあたりにはヴァイオリンもなければ、弓を動かす手も見えなかった。それは、クリスティーヌの父が悲しみに沈み、信仰に救いを求めるとき、僕達に弾いて聞かせてくれた「ラザロの復活」でした。(角川P105)

ペロス・ギレックの墓場の場面です。演奏しているのはもちろんエリックです
「カラマ・・・」では被差別者の怨念のこもった哀歌。「カラマーゾフの兄弟」4人の中で差別され、黄色い干からびたような顔のスメルジャコフを連想させる歌として象徴的に扱われています。


全体に「カラマーゾフの兄弟」では「匂い」に強い比重がかけられている。ドストエフスキーは「匂い」とりわけ「悪臭」(腐敗臭)に異常な執着を見せる。もちろんその悪臭はスメルジャコフやラザロのものです。

「・・・その手は死臭がした!わたしは気絶してしまった」(「オペラ座の怪人」角川P207)


そしてスメルジャコフとエリックの共通点は「痩せこけて、ひからびて黄ばんだ顔」
そして「鼻がない」を感じさせる描写でしょう。

スメルジャコフは物語の中で自分の母親を犯して自分を誕生させ、兄弟の中で自分を下僕として扱った父親を殺します。
同じ兄弟のディミトリーも父親を嫌って殺そうとするのですが、結局思いとどまりります。
ディミトリーがポケットから銅製の杵を取り出し、今まさに撲殺しようとする瞬間。


「誰かの涙か、母親が神に祈ってくれたのか・・・
悪魔は征服され・・
僕は塀のほうに駆け出した・・」


スメルジャコフはこの父親を殺し、自殺します。地獄行きは確実でしょう。

悲しいのは「風呂場のじめじめから生まれた」「臭い男」と嘲られ、差別されてきたこの人物と同じ父親から生まれたディミトリーには「祈ってくれる母」が居たことでしょう。

地獄と天国の別れ道にやはり「母親」の存在は大きい。

とどめる者もなく、父親殺しを行うスメルジャコフの巨大な憎悪がなんとも印象的で哀れで悔しいです。

ルルーがスメルジャコフに似た人物を主人公にして地獄堕ちの罪人を「幸せにしたい」と考えたというのは管理人の痛く、激しい妄想です。どうぞお忘れください。

でもそういうことは結構あるような気がします。どうしても悲劇的な人物の結末を変えたい、幸せにしたいというのは。

エリックも「ドン・ジョバンニ」の結末を変えました。そして「勝ち誇るドン・ジョバンニ」を創りだすのです。「幸せに」でなく「勝ち誇る」というのも面白い発想だと思います。


参考文献  江川 卓「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」新潮選書


おまけ  
「カラマーゾフの兄弟」の舞台は19世紀ロシアのノブゴロド。エリックのジプシーから逃れて現れた場所はニジニ・ノブゴロド。でも違う場所です。


WEB拍手

8月1日 17時の方 
8月2日 21時の方   

拍手ありがとうございます。こんなマイナーのサイトに来てくれてありがとうございます(^^)