えりはな の 「いま」を伝えたくて

「いま」目の前にある感動や景色をたくさん伝えたくて、ここを作りました。

ゆうパック受付開始 東北地方に

2011-03-22 21:57:10 | 徒然なるままに
震災直後はつながらなかった秋田への電話、
数日して、メールを送ると義姉とつながった。

ものすごく揺れて、水と電気が止まってしまったけれど
やっと電気がつながった。
たまたまあったお風呂の残り湯で、トイレをまとめて流し、
飲み水はなくなったので、
買いにいったが、スーパーが一部壊れていてどこも開いていなくて
近所の方にわけてもらってなんとかしのいだ。
やっと電気と水が戻ったので、ほっとしている。
家もうちは大丈夫。
でも、ガソリンがない。
食べ物も、備蓄の米はうちにもあるし、農家もあるから
たぶん大丈夫、当面、米と塩があればやっていける。

そんな会話をして
震災地からかなり離れた地域でも大きな影響があったことを知ると同時に、
食欲がなくなりました。
なんだか普通に今まで通り生活しているのは、申し訳ない気持ちが
さらに強まったからです。
姪っ子立ち、甥っ子も、お腹を空かせてるんじゃないか、、、
そんなことが頭をかすめていました。

鉄道も動いてる、秋田空港も動いてる、
しかし、宅急便は受け付けておらず、ゆうパックも受付をしていませんでした。

それが昨日から、各県のゆうゆう窓口設置局で秋田へも受付が始まりました。
検索したところ、徳島では、徳島中央郵便局のみ。
配達は個人宅ではなく、管轄の郵便局留とのこと。
場所を確認し、同時に秋田の義姉にも電話を。

すると、二日前に送っていた現金書留(入学祝い)が届いたとのこと。
思いがけず早く届くことに感動を覚えながら
指定郵便局までの距離を尋ねると、4キロくらいとのこと。
中学の近くなので、毎日行く用事もあり取りにいけるというので
さっそく祝日でしたが、郵便局から送ることに。

食べ物はだいぶ復旧していて
スーパーにも朝早くいけば、生鮮食品が手に入れるようになってきたとのこと。
あちこち棚はガラガラだけど
食べるものに困ってはいない、とのこと。
なんとかあるもので回っている様子。

何が具体的にないのか、わからなかったけど
こちらでもすでに、電池などは手に入らないので送れず、
もち吉のおせんべいや、ちょっといい緑茶やお菓子、
徳島の名産品などを詰めて送りだしました。

さて、翌日の今日、中央郵便局から中身の問い合わせの電話がありました。
「食品と書いていますが、具体的に何が入ってるか教えてください。」とのこと。
いつ着くかの補償はないといっていたし
だいたい通常+7日見て下さいとHPにも書いていたので
腐るものなどが入ってないかの確認のようでした。
「では、本日出させていただきます」とのこと。
よかった。

そして、今日、高校入学祝いのお礼の手紙が
姪っ子から届いた。
差出日をみると、なんと20日になっている。
早くない???普通通りにみえる、たまたまなのか??
と感動。
お礼のメールを送ると
「義両親から頂いたお祝いで、回らない寿司を食べにみんなで行った」とのこと。
ますます謎、まったく日常に近いってことなのか、そのあたりは
わかりませんが、まずは大きくホッとしたところです。
少なくとも、春休み、食べ物がないからこちらで子供たちを預かろうかと
思っていたことは、なくなりそうです。

一方で、連日報道されいてる被災地の状況は
目に見えて大きく進歩することはなく
どらえもんのどこでもドアがあれば、、、とこれほどに思ったことはありません。

アメリカ軍が原子力潜水艦を基地に、山形空港を基地に、
食糧や紙類などの物資を、自衛隊と協力して
ヘリでいきわたってなさそうなところを空から探して
届けるというのには、涙がでました。
「いまできることのすべてをやってあげることが、とてもうれしい」
インタビューに答えるパイロットが輝いてみえました。

どこでもドアに近いようなものを感じた瞬間です。

そして、一方でそうなるのではないかと危惧をしていた
野菜の出荷制限。。。。
基準を超える放射線が観測されたから、という理由ですが
表面についたものをきれいに洗えば大丈夫だと言っていたんではないの?
出荷制限をすることで、さらなる不安をかきたてるし
そこの農家は収入が途絶えるし、一時的な風評被害では済まなくなる恐れもある。
全然違う地域から出荷されてくるほうれん草なども買わない業者も出てきたりして、
足りない、と言われてるこんな時に、
廃棄処分にしてしまうなんて、、、そう思ってテレビをみつめました。
何か違うのではないでしょうか。
想いは複雑です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿