えりはな の 「いま」を伝えたくて

「いま」目の前にある感動や景色をたくさん伝えたくて、ここを作りました。

いま自分にできること

2011-03-27 11:10:19 | 徒然なるままに
東北・北関東大震災が起こり、課題も山積み、現状もまだまだひどい状態が日々報道されています。
いま自分にできることは何か、それぞれの立場でみなが自問自答していると思います。

震災の規模は、最大級で神戸淡路大震災を超えるとは聞きますが、
神戸が焼け野原にかわった光景を、あの時のひどい震動を、当時関西にいた私は忘れることができず、
映像で繰り返しみても、それを超える規模を、的確に想像することはなかなかできずにいます。

大切なものが一瞬で崩れ去る光景を直接目にして、今なお、大変な避難生活を送られている、
将来の希望が構想がもてない、そして、そこに親や親族と一緒に、あるいは親を亡くしている子供たちがいる。
同じ子を持つ親であれば、身につまされるような思いになると思います。

それぞれに家庭の事情は違います。
その中で出来る限りのことをしていくことが、いま自分に精いっぱい出来ることだと
言い聞かせています。

・義援金を送り続けること
・「あしなが育英会」などのように親を亡くした子供だけを対象に支援している団体に寄付を送ること
・興味を持ち続けること
・物資輸送ができるなら、送ること
・里親になって、一生責任をもってわが子同様に育てること
・現地へボランティアとして入り手伝うこと
・節エネルギー、無駄な買い物を控える(緊急支援物資のもの)こと 
・市場に出ている関東の野菜を買うこと、食べること など

他に、「ふだん通りの生活を続けること」もひいては
この国の経済を低迷させないために、税金をみんながたくさんおさめられて
潤沢な税金が支援復興に使われるように、と考えることも出来るとは思います。

各地で、いろんなイベントが中止になっています。
それが、節電などのためであれば、致し方ないと思うのですが
まったく直接関係ない地域でも、全国的に中止が相次いでいます。
人生で一度の卒業式のあとの謝恩会も中止になったりしているとも報道されています。
気持ちはとてもわかります。
では、謝恩会を中止にして、その会費は全額徴収して、それを義援金として送るのであれば
大きな支援になると思いますが、そうでないなら、自粛に留まるとも言えます。

普段通りの生活を断ち切ってまでの支援が出来ないなら、
過去の「普段どおり」から無駄を省き、
出来ることをやっていくしかないと、あらためて思います。


一部の地域の野菜、原乳から放射線ヨードだけでなく、セリウムが検出されたということで
出荷制限から摂取制限までになってしまい、
大量の野菜を廃棄、原乳を処分する映像が日々流れます。
野菜などが作れるようになるまで、牧場が運営できるようになるまで、
どれだけの年月がかかるかと思うと、言葉が出てこないです。

ここまでして、食の安全を確保してくれているのに、
野菜の購買が減少したり、関東産のものが敬遠されるというのは
どういったことなのかと思います。

同じ意味で、水道水から規定量を超えるヨードが検出されたので
乳児の直接摂取は控えるように、と出れば、
乳児・妊婦・5歳以下の人がいない人までがスーパーに殺到し
水を確保する、結果、本当に必要なそうした人に、また被災地に
水が届きにくくなる。
「安全」と「安心」は別物だ、とあるテレビで解説員が言っていました。
「安全」だとわかっていても、「安心」しきれず、確実な「安全」を求める傾向があると
解説されていましたし、意味はわかりますが、
人として考えた時に、そういった行動によって、
「安全」が保障されない人がいるなら、そちらを優先すべきだと思います。

それぞれの人が、それぞれの立場で、「いま自分にできること」を真剣にひとつひとつ
取り組むことで、より早い支援復興が可能になる、そう信じたいです。

ゆうパック受付開始 東北地方に

2011-03-22 21:57:10 | 徒然なるままに
震災直後はつながらなかった秋田への電話、
数日して、メールを送ると義姉とつながった。

ものすごく揺れて、水と電気が止まってしまったけれど
やっと電気がつながった。
たまたまあったお風呂の残り湯で、トイレをまとめて流し、
飲み水はなくなったので、
買いにいったが、スーパーが一部壊れていてどこも開いていなくて
近所の方にわけてもらってなんとかしのいだ。
やっと電気と水が戻ったので、ほっとしている。
家もうちは大丈夫。
でも、ガソリンがない。
食べ物も、備蓄の米はうちにもあるし、農家もあるから
たぶん大丈夫、当面、米と塩があればやっていける。

そんな会話をして
震災地からかなり離れた地域でも大きな影響があったことを知ると同時に、
食欲がなくなりました。
なんだか普通に今まで通り生活しているのは、申し訳ない気持ちが
さらに強まったからです。
姪っ子立ち、甥っ子も、お腹を空かせてるんじゃないか、、、
そんなことが頭をかすめていました。

鉄道も動いてる、秋田空港も動いてる、
しかし、宅急便は受け付けておらず、ゆうパックも受付をしていませんでした。

それが昨日から、各県のゆうゆう窓口設置局で秋田へも受付が始まりました。
検索したところ、徳島では、徳島中央郵便局のみ。
配達は個人宅ではなく、管轄の郵便局留とのこと。
場所を確認し、同時に秋田の義姉にも電話を。

すると、二日前に送っていた現金書留(入学祝い)が届いたとのこと。
思いがけず早く届くことに感動を覚えながら
指定郵便局までの距離を尋ねると、4キロくらいとのこと。
中学の近くなので、毎日行く用事もあり取りにいけるというので
さっそく祝日でしたが、郵便局から送ることに。

食べ物はだいぶ復旧していて
スーパーにも朝早くいけば、生鮮食品が手に入れるようになってきたとのこと。
あちこち棚はガラガラだけど
食べるものに困ってはいない、とのこと。
なんとかあるもので回っている様子。

何が具体的にないのか、わからなかったけど
こちらでもすでに、電池などは手に入らないので送れず、
もち吉のおせんべいや、ちょっといい緑茶やお菓子、
徳島の名産品などを詰めて送りだしました。

さて、翌日の今日、中央郵便局から中身の問い合わせの電話がありました。
「食品と書いていますが、具体的に何が入ってるか教えてください。」とのこと。
いつ着くかの補償はないといっていたし
だいたい通常+7日見て下さいとHPにも書いていたので
腐るものなどが入ってないかの確認のようでした。
「では、本日出させていただきます」とのこと。
よかった。

そして、今日、高校入学祝いのお礼の手紙が
姪っ子から届いた。
差出日をみると、なんと20日になっている。
早くない???普通通りにみえる、たまたまなのか??
と感動。
お礼のメールを送ると
「義両親から頂いたお祝いで、回らない寿司を食べにみんなで行った」とのこと。
ますます謎、まったく日常に近いってことなのか、そのあたりは
わかりませんが、まずは大きくホッとしたところです。
少なくとも、春休み、食べ物がないからこちらで子供たちを預かろうかと
思っていたことは、なくなりそうです。

一方で、連日報道されいてる被災地の状況は
目に見えて大きく進歩することはなく
どらえもんのどこでもドアがあれば、、、とこれほどに思ったことはありません。

アメリカ軍が原子力潜水艦を基地に、山形空港を基地に、
食糧や紙類などの物資を、自衛隊と協力して
ヘリでいきわたってなさそうなところを空から探して
届けるというのには、涙がでました。
「いまできることのすべてをやってあげることが、とてもうれしい」
インタビューに答えるパイロットが輝いてみえました。

どこでもドアに近いようなものを感じた瞬間です。

そして、一方でそうなるのではないかと危惧をしていた
野菜の出荷制限。。。。
基準を超える放射線が観測されたから、という理由ですが
表面についたものをきれいに洗えば大丈夫だと言っていたんではないの?
出荷制限をすることで、さらなる不安をかきたてるし
そこの農家は収入が途絶えるし、一時的な風評被害では済まなくなる恐れもある。
全然違う地域から出荷されてくるほうれん草なども買わない業者も出てきたりして、
足りない、と言われてるこんな時に、
廃棄処分にしてしまうなんて、、、そう思ってテレビをみつめました。
何か違うのではないでしょうか。
想いは複雑です。

震災から10日が過ぎ・・・・

2011-03-20 22:34:33 | 徒然なるままに
まず、長い間更新も出来ずにすみません。
伝えたいこと、写真もたまってきたので、アップしよう、しなければと思いながら、
日本とアメリカの確定申告の期限がせまってきて、かなり切羽詰った時間を過ごしていました。

やっと、やっと出来た時間、、その矢先に、東北地方の大震災が起こりました。

ふだんあまり観ないテレビも、聴かないラジオも、観たり聴いたりできるありがたさを感じながら、
この数日の被災地、それをいろんな角度から支援とりまく環境を見守ってきました。

大地震があった日、子供たちは大津波警報が出たために、早々に帰宅してきました。
情報が安定せず、津波が3メートルとも10メートルともいわれてたらしく、
大きな吉野川が近い、また海も比較的近いこの町、この周辺はサイレント警報が鳴り続いていました。
車で避難していった友達もいました。
ですが、私は、その日は完全に風邪と花粉症で午後からダウンしており、
ニュースもみず、家の二階で倒れていました。。。。
サイレンも、川には近づかないで、ということと勝手に思い込み、何の確認もしなかったのです。
夕飯時に、テレビをつけて事態の深刻さに青ざめました。
そして、そこで初めて携帯にたくさんたまった防災ネットや学校からの緊急メールなどに気づいた次第です。。。

二日間続いた大津波警報は、無事に解除になりました。
徳島県南は、下水道が逆流して冠水した地域もあったようですが
幸い、人災はなかったようで、引き潮時の津波だったため大きなことにはならなかったようです。
この町も、安全でしたが、もし、もっと近くで地震が起こったら、
間違いなく沈むだろう、と繰り返しみる津波の映像を重ねあわせました。

あの津波の映像、長年守られてつくられて不変のものと思われる町が
一瞬に飲み込まれてしまう映像、廃墟が広がる映像、
飲み込まれていく住宅を高台から見守る人たちの映像、言葉では言い尽くせない恐怖となり、
何度見ても涙があふれでて止まりません。

毎日報道される被災地の人たちの暮らし、今なお救助活動が続けられる現場、
原発の爆発を最小限におさえるために命をはって作業されている方たちの映像をみるたびに、
いま、自分にできることは何か、何を子供たちにも学ばせ、協力できるのか
一日何度も考えて生活するようになりました。

地震の翌日、一通のチェーンメールが届きました。
「夕方18時に関東地方の備蓄電力が底をつきます。
 関西電力、四国電力からも送電をしているがおいつかないので、節電をするように。
 こんな時だからこそ、みんなで協力しましょう。
 このメールを一人でも多くの人に送って知らせてください。」
悪意のあるメールとは思いませんでしたが、
まったくのウソでもないわけですが、こんな時に、混みあってる電波を使って送ってくるその神経に
腹がたちました。

(ちなみに、関電も四国電力も自社HPでチェーンメールを否定しており、
 送電はしているが、周波数が違うため変換できる量に限りがあり、今のところ
 今以上の節電を皆様にお願いしなければならない状態ではありません、と書いていました)

ですが、関東に住む友達は、停電が続き、スーパーから物が一気になくなり、
秋田に住む義兄家族は、わりと早くライフラインは戻ったものの
ガソリンはなく、スーパーが壊れて閉まっていて
食べ物が備蓄している米しかない、宅配の東北方面への受け付けも止まっている、
そんな身近な知らせは必然的に、節電、ガソリンをなるべく使わない、
なるべく買い物をしない、節約した分、義援金を少しでも多くまわす、
そんな方向へ導いてくれています。
それが、いま自分にできる精一杯のことなのかもしれません。

宅急便が遅延しても届く関東地域の友達には食糧を送り、
そんなことで、何かしなくては申し訳がないと思う自分を落ち着かせているだけなのかもしれないけどそんなことしかできなくて、
日々、ニュースを見つめています。

ここ徳島でもいろんなイベントが中止、延期になると同時に
支援の輪が広がっています。
姉妹都市である仙台に多くの警察官や救助隊を送ったとも聞きます。
民間の大家さんで結成する団体が、空き家を被災地の方に無料でお貸しするという支援を
始めたというニュースも、
街頭やスーパーの前で募金活動をする大学生、高校生の姿も。
所属する各団体(学校や会社、地域、習い事など)でも募金の輪がひろがっています。
教育委員会からは、緊急調査として
被災地の子供たちの里親ができる家庭数の調査が入りました。

「思いは見えないけど、思いやりは伝えられる」
いま、公共広告機構で流れているCMです。
「金のある人は金を出せ、知恵のある人は知恵を出せ、力のある人は力をだせ。
 何もない人は元気を出せ。」
とラジオで松山千春さんが言ってたという言葉が流れていました。

出来ることを精いっぱい出来るだけのことをする、
いま、私たちにできることはそれだけです。

NYでお世話になった現地校でも
いち早く先生たち主導での募金活動が始まったという連絡が来ました。
いま私たちは元気にしていることと、家族も大丈夫だということ、
そして、支援へのお礼をメールで送ってくれませんか?と
日本人のお世話役の方からいわれて校長先生に連絡をすると
すぐさま返信がかえってきました。
とても温かいものを感じます。

外国に住んでいる日本人の友達は、遠くで何もできず、流れてくる悲惨な映像を目の当たりにして
大きなストレスを抱えている人も多いと聞きます。
具体的な方法がみつからず、苦しんでいる人もいると思います。
どうかできることをできる形で、それで十分だということを理解して
いたずらな情報に惑わされることのないように、と思います。
海外からは、主にレッドクロス、ユニセフなどが募金を集めていると聞きます。
お住まいの地域によっては、許可なく募金活動などを行うことを禁じているところもあるので
注意が必要です。

復興には長い年月がかかると思います。
家も何もかも失った人たちが、これからも明るい未来を描けるように、
どうか長い目で見守り、支援を続けてほしい、私もそうしたいと思います。