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漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0842

2022-02-18 06:49:38 | 古今和歌集

あさぎりの おくてのやまだ かりそめに うきよのなかを おもひぬるかな

朝霧の おくての山田 かりそめに 憂き世の中を 思ひぬるかな

 

紀貫之

 

 朝霧が立ち込める晩稲の山田の刈り取りが始まっている。その「刈り初め」を見るにつけ、「かりそめ」の儚いこの憂き世のことを思ったことよ。

 詞書には「思ひにはべりける年の秋、山寺へまかりける道にてよめる」とあります。「思ひ」は喪、「おくて」は「置く(て)」と「晩稲」の掛詞、「かりそめ」は「刈り初め」と「かりそめ」の掛詞です。歌の配列からして亡くなった友則の喪かとも思われますが、その点は定かではありません。

 


古今和歌集 0841

2022-02-17 07:08:49 | 古今和歌集

ふぢごろも はつるるいとは わびびとの なみだのたまの をとぞなりける

藤衣 はつるる糸は わび人の 涙の玉の 緒とぞなりける

 

壬生忠岑

 

 喪服のほつれている糸は、悲しみに暮れている私の涙の玉の緒となったのでした。

 詞書には「父が思ひにてよめる」とあります。父の死に接してこぼれる涙を玉に、ほつれた糸をその玉をつなぐ緒に見立てての詠歌です。


古今和歌集 0840

2022-02-16 04:27:28 | 古今和歌集

かみなつき しぐれにぬるる もみぢばは ただわびびとの たもとなりけり

神無月 時雨に濡るる もみぢ葉は ただわび人の たもとなりけり

 

凡河内躬恒

 

 十月の時雨に濡れて赤く染まった紅葉の葉は、まさに嘆き悲しむ人の血に赤く染まったたもとそのものなのであるよ。

 詞書には「母が思ひにてよめる」とあります。「思ひ」は「喪」の意。紀友則の死を悼む撰者二人(紀貫之、壬生忠岑)の歌に続いての、もう一人の撰者である躬恒の歌ですが、こちらは自身の母の死に際しての詠歌ということですね。躬恒もまた、友則への贐(はなむけ)の歌も詠んでいるのが自然だと思いますが、何故か現在に伝わってはいません。


古今和歌集 0839

2022-02-15 05:24:14 | 古今和歌集

ときしもあれ あきやはひとの わかるべき あるをみるだに こひしきものを

時しもあれ 秋やは人の 別るべき あるを見るだに 恋しきものを

壬生忠岑

 よりによって秋に人と死別するなどということがあってよいものか。生きている人とでさえ、会って別れると悲しい気持ちになる季節であるのに。

 一つ前の 0838 に続いて紀友則の死を悼む詠歌。友則は秋に亡くなったのですね。


古今和歌集 0838

2022-02-14 06:20:43 | 古今和歌集

あすしらぬ わがみとおもへど くれぬまの けふはひとこそ かなしかりけれ

明日知らぬ わが身と思へど 暮れぬ間の 今日は人こそ かなしかりけれ

 

紀貫之

 

 明日の命も知れないわが身と思うものの、日の暮れるまでの間、今日はあの人のことが悲しく思われるのだ。

 本歌と次の 0839 共通の詞書に「紀友則が身まかりける時よめる」とあり、友則の死を悼んでの詠歌であることがわかります。言うまでもなく紀友則は古今集の撰者の一人であり、本来その中心人物であったとされていますが、その友則の死に際しての歌が当の古今集に採録されているということになります。この点の解釈としては、①友則は古今集編纂の途中で亡くなったという説 ②この両歌(0838、0839)は古今集完成後に増補として追録されたという説 の両説があり、古今集には他にも古今集が完成したとされる延喜5年(905年)より後に詠まれた歌が10首ほど採録されていることから、②の説が有力ではないかと考えられています。