あふまでの かたみもわれは なにせむに みてもこころの なぐさまなくに
逢ふまでの 形見もわれは 何せむに 見ても心の なぐさまなくに
よみ人知らず
また逢える日までの形見といっても、私にとってそれが何になろうか。見ても心が慰められるわけでもないのに。
「形見」は人を偲ぶよすがとなるものの意で、ここでは愛しい人からもらったプレゼントか何かでしょうか。「何せむに」は本来「何をするために」の意ですが、そこから転じて「何の役にも立たない」というニュアンスになっています。もらったもので相手を偲ぼうとするけれどもやはり逢いたい、という詠歌ですね。